〜prologue


 そこは熱砂の街。
 争いを続ける二大強国の狭間で、巧みに生き延びている。それが、その場所の印象だった。それは、後にそこで育ったある男の印象にも繋がるものだったが、今は昔。
 預言という権力を持ち独立していたダアトと同じく、経済という武器を手にした街ケセドニアは、時に両国を繋ぎ、時に衝突する両国に手を貸しながら繁栄を続けていた。

 その街はずれにある、大きな白い塀に囲まれた屋敷。
 ケセドニアを収めるアスターの屋敷に勝るとも劣らない豪華な造りの家から、子供が走り出てくるのが見えた。悪戯で、はしこそうな様子は、そのあたりの悪ガキに勝るとも劣らなかったが、子供が身に付けている衣裳は、平民と一線を引いている。
 慌てて追いかける従者を眺めて、直も走り出そうとするとその頭から、ベールが落ちた。しかし、太陽の光を反射する金髪と可愛らしい顔立ちが露わになっても、子供は止まろうとはしない。
「待ちなさい。」
 後から門を出て来た女性がそれを見咎める。
 亜麻色の髪を腰まで延ばし、しなやかな肢体を南国特有の肌も露わな衣裳に包んだ褐色の美女は、優しく、しかし、しっかりとした声で子供に告げた。
「駄目よ。これを被っていなければ。」
 子供はその声に面白くなさそうに立ち止まる。彼女は薄いベールを拾うと、髪と顔を覆うように頭にのせた。
 こうしてみると、二人の顔立ちはよく似ていて、親子であることがわかる。不満そうな様子をのせた子供の薄い唇の形すら端正に整っていた。
 しかし、子供がその女性から受け継いだものは、その美貌と褐色の肌のみ。ペールの下から覗く薄いの金髪も、これもまた淡い碧眼も栗色の髪と同じ色の瞳を持つ彼女のものではなかった。
「どうしても、被らなくては駄目?」
 不満そうな瞳が彼女を見るが、優しく微笑んで『ええ』と答えた。
「貴方の髪も瞳の色も薄すぎて、この辺りの強い太陽光には負けてしまうの。病気になってしまうのよ。もちろん直接太陽を覗き込んだりしてはいけないわ。」
『貴方を守る為なのだから、仕方ない。』
 彼女は再度そう言うと、今度は落ちないようにと自分が付けていた髪飾りを使ってベールを止めてやる。
 そうすると、金髪に付けられた女物の蒼い髪飾のせいで、子供−少年なのだが−は女の子にも見えた。
「あら、意外と似合うわね。」
 彼女は、栗色の瞳を真ん丸にして笑う。
 従者達にも、どうどう?と尋ねると、彼等は困ったように頭を掻いて、苦笑いを交えこう答えた。
「ウパラ様は、貴方によく似て整ったお顔立ちですから…。」
「そうねえ、あの人に似ているのが髪と瞳の色って言うのは、ケセドニアに住むには不便この上ないわね。」
 顎に手を当てて、憂い顔を見せた彼女に、従者達も苦笑いが隠せない。
「かあさま、もう行ってもいい?」
 焦れたように子供が女性の手を引く。はいはいそう言ってから、彼女は笑う。
「それが終わったら、譜術のお勉強をするから覚えておいてね。」
 そして、母親のみが持ち得る、我が子を見る柔らかな笑みで子供に向かうと、頬に口付けを落とした。
「貴方は、我が身が守れるように早く音素を操れるようにならなくてはいけないわ。それから、怪我をしないように気を付けて。」
「はい。」
 良い返事と共ににっこりと微笑むと、子供はお気に入りの従者達と一緒に外遊びに向かう。
 彼女はその後ろ姿を眺めて、溜息を付いた。
その憂いの理由を知る従者達も、美しい主人の心を想い、眉を潜める。
「不便なだけではなくて、マルクト皇帝の血が随分とやっかいな出方をしてくれたものだわ。」


 彼女は『砂漠の華』と呼ばれた譜術師だった。
その美貌と共に強力な譜力を持つ傭兵だった彼女は、現マルクト皇帝陛下の目に止まる事となり、側室としてマルクト帝室に迎えられた。
 皇帝には既に、正妃、嫡子ともに存在し、彼女も帝室の礼に習い故郷であるケセドニアにその居を置き、皇帝はそこへ通うという暮らしを保っている。

 そして、彼女の胸を塞ぐ最大の憂いの原因。それは、マルクト帝国の帝位継承問題にあった。
 皇帝の位は代々世襲性で、その血の証である金髪碧眼を持ってその継承の資格を得るという事実。
 それを理由に皇帝は、正妃にその条件と同じものを持つものを迎え、側室には、濃い色を持つ女性を寵愛するのが慣わしになっている。血に不純なものが混じるほどに、淡い色は生まれなくなるのだ。
 ただ、これによって兄弟での帝位継承争いが激しくなるという副作用と、代々血族婚に近い事を繰り返した血は、希にその法則を無視したように金髪碧眼を持つ者を生み出すという希有を生じさせた。

   そう、自分の子供のように。

 皇帝即位の願いなど、彼女の中には最初から無い。
 ごく普通の母親として、この争いの中で、我が子が無事に生き延びて幸せになって欲しい。という思いだけがそこにはある。
 そうして、権力の渦から身を引こうとしている彼女には、その真っ只中にいる皇帝も心安らぐものがあるらしく、遠く離れた地に住まう彼女とその息子への寵愛は薄れる事などなかった。

 金髪碧眼の子供と、皇帝の寵愛。そのどちらもが新たな争いの火種を呼んだ。


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