まやかしにすら縋りたい


ジェイド生誕記念。



 22日を過ぎると、ああ、また一年、生き延びてしまったのだと愚痴を零す。
そうすれば『つまらない奴だなぁ』と、あの人は呟くのだ。
 サラサラとした金色の髪を滑らせて笑う姿は、余りにも変わらずにいるものだから、既視感のようだ。
 
「折角俺が祝ってやってるのに、本当にお前はツマラナイ奴だよ。」

 ククと喉を鳴らし、蒼穹の瞳を向けてくる。
白いワインが詰まった瓶を片手に持って、もう片方の手はふたつのグラス。鼻歌混じりで、注いでいく様は全くただのおっさんだ。
 机にかじりついたままで、顔を上げようともしないジェイドの横に置かれたグラスの中で、ゆたりと液体が揺れた。
 チラと視線を割いて、しかし結局は分厚い資料に戻っていく。
「自分を殺したいと願った事もあるというのに、一体何が目出度いのやら」
 呆れた様子で溜息をのせれば、まだわからないのかと悪戯な瞳が微笑む。

「俺の側に一年もいられたじゃないか。」

 ただひたすらに、虫のように細かな文字に向けられていたジェイドの端正な貌が、上がる。執務室の真ん中に置かれたジェイドの机に座り、片手をその表面に置いて、ピオニーは背を丸めていた。
 身体を揺らすたびに、その金はキラキラと光る。
「…それこそ、命が幾つあっても足りないような任務を命ぜられている気もしますが? それでも?」
「お前は、俺の懐刀なんだからしょうがないだろ。」
「いつそんな事に?」
「始祖ユリアが生まれた時からだ。どうだ、嬉しいだろう?」

 パタリと閉じられた本は溜息を模倣していて、言葉もなくジェイドは主の顔を見る。無茶ばかり告げ、無茶なことを望む、恐ろしい皇帝陛下。

 何よりも恐ろしいのは、その君主に“価値”を見出している自分自身だ。

「私の人生は予言できまっていたと、そう言いたいのですか?」
「ああ、違う違う。」
 ひらひらっと手を振って、ピオニーは微笑む。
「決めたのはきっと、俺だ。生まれる前から願ってるさ、きっと。」
 途方もないと言うよりは、これでは既に大法螺を吹きだろう。苦笑が混じった端正な貌は、普段の凛とした姿を留めてはいない。
 緩く柔らかな雰囲気すら身体に纏い、手袋を脱いだ綺麗な指先でグラスを弾く。硬質な音が響き、けれどただそれだけだ。
 ふくよかなラインが細く縊れていく場所に、白い指が絡まる。亜麻色の長い髪を掻き上げる仕草で、天井を見上げた。
「……乾杯しましょう。」
 観念したように、ジェイドは呟いた。机の上に腰掛けて変わらずに笑みを浮かべていた皇帝もおやと表情を変える。
 青い宝石がゆらりと揺れて、その身体はジェイドに向き直った。
行儀が良いとは言えず、皇帝がする態度とは遙かにかけ離れているだろう仕草で、机の上に胡座をかいた。ひっくり返らないのは、重厚な作りの机ならではだ。

「誕生日おめでとう、ジェイド。」
「……今年も貴方に仕えなければならない不運に乾杯。」
 
 カチンと鳴るはずのグラスは、机の上に転がった。互いの口腔に含まれた白い液体は、互いの唇を通じて交ざっていく。鼻から抜ける息が、静かな部屋に音を落として、指先で、その腕で確かめる相手の姿に衣擦れの音は絶えない。
 ゆうるりと離れていく互いの体温は、いつも余韻だけを相手に残した。


 褐色の頬に滑る、白い指先。
 それは、譜術の印を描くのに似た約束事のようだった。手順を踏んで高まっていく音素の波も又それはよく似ている。解き放つ瞬間の高揚感は、巨大な力を扱えば扱う程に味わう恍惚とした快楽の味だった。

「は…っ…」
 
 荒い息を整える。吐き出してしまった欲望は白く手を濡らしていたが、元々色素の薄い肌では、まるで吸収されてしまったかのように目立たない。
 またひとつ絶望する。
濃い色の肌にさぞかし似合うだろうと思えば、ふっと溜息を付き、ジェイドは旅先の安宿に置かれたベッドから身体を起こした。飼い慣らされたと言ってしまえば、それだけの事なのかもしれない。あの男の側を離れて迎える誕生の日に、心寂しさを感じるなどとは。
 勿論、帰国するようにと命も受けた。
 しかし、未曾有の災害に追われ、待ったなしの処理に当たっている軍人とし、ノコノコと鼻の下を伸ばして帰国するわけにはいかないだろう。
 命令書は右から左に受け流した。皇帝への命令違反など、本来ならば大罪に値するが、そこは懐刀とまで呼ばれる自分の言葉は、ある程度の我が侭を通させるのだ。
 ガックリと肩を落として帰国についた兵士を気の毒に思わないでは無かったが、しっかりと嫌がらせを置いて行ったことに今日気付く。
 メンバーの誰も知らないはずの誕生日を、子供達以下全員知っていたのだ。
こればかりはアニスにすら話した事もない上に、その兵士が来るまでは不穏な動きなど無かったのだ。
 
「ジェイド、誕生日おめでとう!」

 安宿の食堂に施されたいかにも手作り感の溢れる飾り付けと、ケーキにこれでもかと刺された蝋燭に目眩を覚えたのも束の間、クラッカー攻撃から始まり、最後はナタリアの手料理という爆弾を投下された。
 命を掛けるのなら、仲間同士ではなく戦場でかけたいジェイドは丁重に断りを入れて、勿体ないのでガイ頂きなさいと、隣でニヤニヤ笑っていた不謹慎な若造にプレゼントを譲った。
 彼らの心遣いを有り難いと思えるほどにも、飼い慣らされたのだと自覚する。

 生まれる前からの約束だなどと、戯れ言だと一蹴していたが、どうにも真実味を帯びてくるからおかしなものだ。
 部屋へ戻り、持て余した感情が流れる先はあの男だった。持て余した身体を鎮めても、憔悴した心は変わることがない。この世界に生を受ける時、渡された身体が欲した行動をしても、満たされないものがある。 

 酌に障るが、後は具現化する前からお前がもっていた感情だなどと言われれば、それはそれで論理的に思えてしまう。
 何故なら、欲しいからだ。心の奥底から欲してしまう。同じ身体の構造を持ち、遺伝子を残す事など絶対叶わない相手を。
 
「ピオニー…」 
  
今此処に、貴方が現れるというのなら、私は、まやかしにすら縋りたい。


〜fin



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