六花爛漫 意識が白くなって、再び戻った時には色の付いた世界になっているのだろうと思っていたが、それが珍しく楽観的な考え方だった事にジェイドは気付く。 目前の(余りにも見覚えのある風景)にうんざりする。 よもや天国の扉に迎え入れられるとは思っても見なかったが、此処が死後の世界なならば、幼少を過ごしたのと同じ場所で永遠に居続けろという罰なのだろうか。 ジェイドは普段通り両方のポケットに手を突っ込んだまま、辺りを見回した。 朝陽がようやく顔を出した時間。人影は無い。幼少時代に、よく遊んだ(とディストンやピオニーが言う)公園の街灯の下。 無駄に頭の良い自分は、忘却を忘れる。記憶にある場所と其処はあまりに似すぎていた。頭上の譜灯がいつも、瞬くように明かりを途切れさせるところまでそっくりで。ただ、周囲は、夜に降り積もったのだろう雪が足跡を消していた。 …否。 自分は永遠にひとり、という可能性も捨てがたい。地獄だとすれば尚更だ。 此処に突っ立ち、己の愚考を反省しろと言われれば、頷くより他ないのではないか。 そんな自分の思考を止めたのは、子供の声だった。 どうやら、ひとりきりではないようだと思い、そちらへ顔を向ける。そして、ジェイドは驚愕に目を見開く。 周囲を見向きもせず、扉へ向かう子供は、あろうことか(自分自身)だった。 鏡の中でしか会った事はないが、見間違える程愚かでもない。 鼻持ちならない、自信満々の子供は、迷いなど一点も見せない様子で歩いて行く。 その後を、おぼつかない足取りで追いかけていくのは、ディスト。当時はサフィールの姿だ。両手いっぱいに音機関を抱えている。想像するまでもなく、足を滑らせ、、強か鼻を打ち付けて泣きべそをかいた。 なら、もうひとり。 思った時には、その姿は己の側にあった。 「…あんた、何者?」 水色の瞳を真ん丸にしている少年は、ピオニーだった。見下ろす視線が新鮮で、思わず凝視してしまう。そして見ると、あの男の印象は全くと言って良いほどに変わっていない。三十代半ばにして、未だに子供だ。 「何やってんの、ピオニー!!ジェイドがいっちゃうよ!!」 取り落とした音機関はそのままに、サフィールが両手を交互に振り下ろし、ピオニーを呼ぶ。焦れた鼠のように、その場で足踏みをしてみせた。 「だって、サフィール、ここにいる奴が…。」 ピオニーがそう告げた途端、サフィールはむと顔を膨れさせる。 「誰もいないよ! そんな嘘ひっかからないからね!!」 「え…嘘じゃ…な?」 年相応の困惑は、サフィールに向かった後自分に向けられた。 声を掛けようとしたジェイドも、己の発した言葉が空気を振動させない事に気が付く。足も張りついたように動かない。 視線だけが、お互いを凝視した。 「…見えないのか…?」 立ち竦むピオニーの襟首をサフィールがむんずと掴み、歩き出す。 「馬鹿な事してないで行こうよ! 遅れたら、なんだかんだでジェイドの機嫌が悪くなるんだから。」 「勝手についてきて、とか言うくせに我が侭だよな。あいつ。」 「ジェイドの悪口言うな!!!!」 遠ざかる声を聞きながら、大きなジェイドは大きな大きな溜息を付いた。 第二音素の悪戯。理屈のほどはわからないが、事実はそう告げていた。 自分は、「此処」にいるようでいない。意識体(魂なのか?)が、この場所に貼り付けられている。それに至るキーワードは恐らく二つ。 「ピオニー」と「お化け」 深々と降り続く雪を眺めながら、ジェイドはそう考察した。だから、彼にのみ姿を見る事が出来、場所は此処なのだろう。時間の概念はなく、自分の意識が途切れると、周囲の様子が一変していく。 この奇妙な状態で、唯一救いは己の自由が効かない事。 ピオニーが、子供の自分を連れて目の前に現れた時、殺意と共に持ち上げた手を下ろすのに苦労した。 此処が過去なのだとすれば、今、この愚かなるものを滅してしまえば先生が死ぬことも、無意味で哀れなレプリカ達が生じる事もない。どれほどの後悔を重ね、懺悔を繰り返そうとも消えない史実は、この「馬鹿な子供の命」ひとつで完全に消し去る事が出来るのに…と。 学者らしからぬ、パラドックスは、しかし叶う事などない。 「…何もいないよ。」 「そう…かぁ。」 寂しげに声をくぐもらせる。ザクザクと足音を立てて、街へと戻る子供が振り返る。名残惜しげに街灯を見続けるピオニーに向けた、その瞳。 自分でも気付いていない、相手に対する執着が、今の自分には手に取るようだ。 「くだらない…。」 吐き捨てる言葉は、甘えが刷り込まれていた。 「たとえ、其処に何かいたとして、それに何の意味があるの?」 「意味がなきゃいちゃいけないのか?」 ようやく己の方を向いた碧眼に、安堵する子供がいる。なのに、口から出るのは辛辣な言葉だけだ。 「ピオニーの事いってるわけじゃないだろ。僕には見えないから意味はない。それだけだ。」 「結構酷い事言うのな、お前。」 呆れた声色。特別に怒った風でもないピオニーの余裕が時に苛立ちの原因になった。 「そう?」 ぷいとそっぼを向く。直ぐに歩き出さないのは、ピオニーがついて来てくれるのか探っているせいだ。雪を踏みしめる音を耳にして、やっと足を踏み出す。 哀れな子供だ。 ジェイドは心底そう思った。今、手の中にあるものが失われる事に怯えながら、それでも欲しいものをかき集めようとして、結局腕の中から落としてしまう。 「じゃあな。」 決して返ってはこない挨拶を残してにこと笑うピオニーが、その子供に追い付くと、子供は、冷たい視線をジェイドに送る。 まるで、勝利の宣言をするようだと、本当に馬鹿な子供だとジェイド思った。 運命の日は、いつの間にか過ぎていたのだろう。 久しぶりに姿を見せた子供は、二人。 ピオニーは難しい顔で歩き、サフィールは何かを必死で訴えている。 嫌だよ。とか、何でだよ。と言う抗議の叫びが、ピオニーに浴びせかけられていた。 「…だから、ピオニーが引き留めたら、ジェイドだって養子になんか…。」 「あいつは俺の言葉なんか聞き入れない。」 ふるりと首を振った。眉を歪め、それでもピオニーは笑う。降ろされたサフィールの拳がぶるぶると震えた。 「馬鹿! ピオニーの馬鹿!!!」 罵声と共に上げた貌は、鼻水と涙でぐしゃぐしゃになっている。鋭くピオニーを睨み付けて言葉を吐く 「いいよ。僕は絶対、ジェイドを追いかけるんだ。ピオニーなんか、ずっと此処にいればいいんだ!死ぬまでひとりでいればいいんだよ!」 ずずと鼻水を袖で拭き取ると、サフィールは駆け出した。 content/ next |