六花爛漫


『幽霊とは、大地が持つ音素(地場)が脳の電磁波を、記録再生しているものである。』

 幼い頃そんな論文を読んだ事があった。その理論が正しいのか、間違っているのかジェイドにはさっぱりわからない。
 所謂その手のものとは会った事も無いし、感じた事も無い。無いものの存在など、肯定も否定もしようがないというものだ。
 こんな事を言うと、大問題なのは百も承知なのだが、『ローレライ』と名乗る第七音素の化身も、理論上まったく合点がいかない存在のひとつだ。理屈にはちっとも収まらないので、ジェイドの中の分類は『幽霊』と同じといっても過言はない。

「で…?」
 ジェイドは眼鏡のフレームに指を掛け、溜息をつきながらそれを押し上げた。
「お化け探知機です。」
 ディストの手には、音機関の端末。幽霊が側にいれば、ぴーぴー鳴いて教えるのだそうだ。

 ギャーギャー騒ぐのは、貴方だけで充分です。

 即座にジェイドの脳裏に浮かんだのは、そんな言葉だ。
そのまま首だけを捻り、端末が繋がっている音機関を見る。それはディストの背中に背負われていたのだが、小さな箪笥ほどの大きさがある。おいそれと、あちこちに持ち歩けるような代物ではない。ジェイドはそれを踏まえて、得意満面のディストに問い掛けた。
「…で、どんな利用価値があるのですか?」
「よくぞ聞いてくれました。金の貴公子!
 なんと幽霊の所在がわかるのです。」
 ほほう。にこりと微笑みディスト胸ぐらを掴むと自分の顔まで持ち上げる。息が出来ずに、ジタバタと暴れる相手にゆっくりと言葉を掛けた。
「貴方は、何の利用価値もないものに、マルクトの国家予算をつぎ込んだとそういう訳ですね?」
 蟹のように口から泡を出し始めた相手が解放されたのは、ジェイドが立っている場所にほど近い床が、ぱくりと口を開けたからだった。
 ヨイショという掛け声と共に、皇帝陛下のお出ましとなる。

「よお、ジェイド。なんだ、サフィールもいたのか?」
「また抜け出してきたんですか?」
「苦情の出る事はしてない。おい、いい加減サフィールを離してやれ。顔が土気色になってるぞ。」
 ちっ。小さな舌打ちと共に、サフィールの足は地に着き、それがスイッチだったように再び騒ぎ始める。
「貴方さっき舌打ちしましたね! それにピオニーなんで貴方がこんなところに来るんで、んが。」
 最後は、ジェイドのヒールがディストの顔を床と仲良くさせた音だった。
「何度言えばわかるんですか?
 一応あれでも皇帝陛下です。呼び捨てはお止めなさい。」
「一応あれって…お前。」
 ピオニーに苦笑いが浮かび、そして背中の音機関を不思議そうな表情で見つめた。それに気付いたジェイドが、触らないで下さいと注意する。
「今、粗大ごみ毎捨てますから。」
「それは私のことですね!?」
 きいいいいいと奇怪な叫び声を上げたディストが飛び起きるのと、『粗大ごみです』と兵士を呼んだジェイドをまぁまぁとピオニーが宥めるのは同時だった。
『なんで、こんなもの創ったんだ?』ピオニーの当たり前の疑問に、鼻息も荒くとディストが応える。
「悔しいじゃないですか、貴方に見えて私に見えないなんて。」
「は?」
 ぽかんと口を開けた間抜けな皇帝に、ジェイドは深い溜息をついた。
「俺、お化けなんて見えたっけ?」
「何を言うのやら、白々しい。私の『復讐日記No.5−85頁』にも残っていますよ!!」
 え〜と。
 ジェイドには、ピオニーの頭の上の吹き出しにそう書いてあるのが読めた。得意満面なディストを暫く眺めていた皇帝が、ちらとジェイドに視線を送り「あのな」と言葉を発する。

「あれは、幽霊っていうか…。」

 困ったように頭を掻くピオニーを、自分に向けられた視線だけ奇妙に感じて、ジェイドは『幽霊』を思い出した。復讐日記の番号が一桁なのをみると、幼少時代の事だと推察出来た。そう言えば、僅かな間だけではあったが、ピオニーが公園の街灯に話しかけているとディストが告げ口をして来た事があったはずだ。
「ああ、あれですか?」
「そうですよ。聞けば、そこに人がいる。なんでお前見えないんだ…とこうですよ?そんな選民意識、私は許しません!!!」
「いや、だから、お前。どうして急にそんなことを思いついたんだよ。だいたい、あれはガキの頃の、うん十年前の事だろうが。」
「第三音素の新たな使い道を模索していた挙げ句の産物です。」
「…それ、まだ迷路の中に居る状態なんじゃねぇか?」
 ピオニーの一言に、むぐぐと唸ったディストは、さあと背中の音機関をピオニーに差しだした。有無も言わさずその腕に押し付けると、片手で端末を、片手で機械についている装置を調整し始める。
「おい?」
「馬鹿には理屈はわからないようですね。試して差し上げますよ。この機械で音素を集めて、地場を感じとるんです。出力120%!!!!!!」
「おっ、おい。昔のアニメじゃあるまいし、出力を最初から、んな目一杯上げて大丈夫なのかよ!?」
「私の音機関は大丈夫ですよ。」
「どっからそんな自信が溢れかえってくるんだお前は、ガンガン言っているぞこの箱!!!」
「煩いですね! 落としたら許しませんよ!!!」
 余りのくだらなさに呆れ返り、視線も机に戻していたジェイドは、急速に高まっている音素の感覚に振り返る。
 くだらない音機関であっても、流石に天才と呼ばれた男が作ったもの。
 集約する音素の密度は、圧倒的だ。
 起爆物質が存在すれば、大惨事を引き起こし兼ねない密度だと察したジェイドは、「起爆剤」があることにも同時に気付く。そう、今まさに、起動を始めようとしている『ディストのお化け探知機』。 

「陛下!離れて下さい。」
「え!?」
 音素の異常を感じつつもディストの音機関を今だ手に持つピオニーを引き剥がす。機械と彼の間に入り、庇うように抱き締めた直後。閃光が、執務室を包み込んだ。


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