過ぎた日の幸い 恐らくフリピオ(のはず・汗) 議会による査問委員は、冷静な様でいて何処か興奮を抑えきれない口調で文面を読み上げる。 「…以上の仮定により、貴公の婚約者でいらっしゃる『キムラスカの将校』が凶行に及んだ際、貴公は如何になさるおつもりだ。」 議会の代表と言える貴族の面々は、一様に顔を顰めて、ほぼ中心に立つアスラン・フリングス少将の姿を見据えていた。 真摯な表情はそのままに、彼は口を開く。 「ジョゼットが…ですか?」 「そうだ。」 先程から、多々なる質問を繰り出している人物は、更に言葉を重ねる。 「その女性がキムラスカの刺客で、陛下に刃を向けたとするならば、…とお尋ねしておる。」 シンと静まる室内に、アスランは珍しく口から溜息に似た息を吐く。そして、室内に一巡した視線は、質問者に戻った。 「彼女を殺して、返す刃で私も死にます。」 躊躇いなく返される言葉。視線にも、態度にも揺らぎはない。それに対し、明確な反論は生まれなかった。 静まりかえっていた場が、音量を上げていくように騒がしくなる。 隣合う者達がそれぞれの私語を交わし初め、纏める事も出来ず、こうという結論が出ぬまま(と言えども、この国の最高権力者の認を得てはいたが)、アスラン・フリングス少将とキムラスカ公国のジョゼット・セシル少将の婚儀の承認は、先送りされた。 貴族達の退出を見送って最後に部屋を出たアスランは、後ろ手を組み、にこにこと笑うジェイドが、開いた扉に並んで立っている事に気付いた。 アスランは彼の方へ足を向け、ジェイドも同じく歩を進めた。 「お疲れさまでした、少将。」 「お気遣いありがとうございます。ジェイド大佐。」 「この様子だと、承認はまだのようですね。」 何事か話し合い、時には拳を振り上げるようにして熱弁を続ける方々の背中を見遣り、ジェイドはそう告げる。アスランは微苦笑を浮かべ、軽く頭を下げた。 「貴方にも随分とお手を煩わせたのにも係わらず、こんな状態で申し訳ありません。…ところで、私に何か御用事でしたでしょうか? お待たせしたでしょうか?」 ジェイドは眼鏡を押し上げながら、眉を顰めた。 彼の様子に、不機嫌を示すものを感じて、アスランは再度頭を下げようとした。世界を救うべく飛び回っている彼の事、暇などはないだろう。しかし、それより先に、ジェイドは口を開く。 「陛下が、『お前も手を貸した事だし、同僚の処遇は気になるだろうから見てきてもいいぞ』と仰るものですから来た次第で。 やれやれ、私も仕事が山積みなんですがねぇ。」 アスランは、何度か瞬きを繰り返し、嗚呼と声を上げた。 皇帝が、自分に対する査問を気に掛けて下さったのだと思うと意識せずに頬が紅潮した。光栄な事だと、心底感じる。 「持ち場に戻る前に、陛下の御前に挨拶をさせて頂きます。大佐にはご足労をお掛けしました。」 「私は別に。まぁ、それが、いいでしょうね。」 ジェイドはそう告げ、また、食えない笑顔で貌を満たした。 「外からも聞こえましたよ。『彼女を殺して、返す刃で私も死にます』…相変わらずの忠臣ですねぇ。」 お恥ずかしいと言葉を添えて、アスランは笑う。 「順位を付けろと仰るのなら、まず陛下が…と私は告げねばならないでしょう。けれど、彼女は掛け替えのない女性です。 万が一、ジョゼットとの婚姻が叶わず、他の方と結ばねばならない時は、陛下の次に、そしてジョゼットの次にとその方に告げなければなりません。」 「貴方らしいと、陛下なら仰るのでしょうね。」 ジェイドは思案する如く、腕を組み眼鏡に手を伸ばす。 「…けれど、次点で甘んじる方は少ないのでは?」 「確かに、色恋沙汰は、先着順ではありませんが。気持ちは、無理矢理にねじ曲げられるものではありませんから…。」 困った貌になったアスランに、ジェイドはさも可笑しそうに笑う。 「からかって差し上げようかとも思ったのですが、気の毒になるほどの生真面目さですね。…陛下が待ちくたびれて逃走を謀る前に行って差し上げて下さい。」 真剣な眼差しで机に向かっていた貌が、自分に向く。 キラキラと、陽光を受けて金の髪が輝く。アスランは、己の目が、眩しそうに細まるのを感じた。 「アスラン。」 自分の姿を捕らえて、主の表情は笑みに彩られる。 「爺どもに虐められなかったか?」 「皆様の危惧も最もですから、今はこんな情勢ですし。」 「こんな情勢だからこそ、そんなちっぽけな事を気にしなくてもいいだろうになぁ。そんなに心配ばかりしていると、胃がやられる。」 クスクスと笑う姿に、見惚れる。 魅せられる方だとつくづくに思う。そうして、思い出すのは、彼と初めてあった時の事。 それは、薄暗い一室で行われた。 細かな詳細は覚えてはいないが、懇意な方を通じての謁見だったと記憶している。 屋敷の奥まった部屋へ入ると、彼は熱心に本を読んでいた。陽光を拾わない窓際。薄明かりの中で据えてあるソファーに、両足を投げ出し頬杖を付いて読みふけっている。 扉の開け閉めさえ気にならなかったようで、顔すら上げない。 アスランは、そうして暫く彼を観察する時間を得た。 精悍な横顔。褐色の肌。金の髪は暗い部屋でも光を集め、微かな動きに輝く。手にした分厚い本は学術書の類だろうか? 「……何だ?」 漸く顔を上げ、眉間に皺を寄せた不機嫌な表情が見上げて来る。 蒼穹は強く、軍人である己が恐れを感ずるほどの力があった。廃された人間という陥溺が何処にも感じられず、アスランを驚愕させる。長きに渡り、軟禁生活を送っていた人間の様子に思えなかった。 自然に、そして当然の様に頭が垂れる。 「申し訳ありません。熱心にご覧になっていらっしゃるようでしたので。」 お声が掛けづらく…そう続けようとしたアスランは、再び言葉を失った。 目の前の皇太子は、子供の様に頬を赤らめている。そして、大きな音を立てて本が閉じと同時にそれは椅子の向こうに落とされた。 思いもかけない行動に、アスランは瞬くのを忘れる。 「馬鹿、早めに声を掛ける親切だってある。」 見開いた瞳には、拗ねた表情で睨み上げる顔。高鳴る心臓の音を自覚しながら、もう目を離す事が出来なかった。 content/ next |