escape at midnight


フォミクリーの封印話

 ピオニーは黙って聞いていた。そして、ジェイドが口を開かなくなって始めて声を発する。
「…で、どうするつもりだ?」
 そう言いながら、手近な瓶に指を滑らせた。
 ジェイドが座っている机を囲むように規則正しく置かれている瓶。
この研究室の殆どがそれで占領されている。そして、僅かばかりの空間に机が置かれ、ジェイドはそこに腰掛け、ピオニーの姿を眺めていた。
 アルコール液に浮かぶサンプル。

 彼はそこに何が入っているのか知っていて、触れているのだろうか?

 ジェイドは、褐色の指が『眼球』の入った瓶を何度も上下するのを見ながらそう思った。部分だけを見て、その生物を特定することなど彼には出来ないだろうが、実験用の動物達だけが、そこに入っている訳ではない。現に視線を移したラベルに記載されている場所が、戦地を書き留めているのを確認し、ジェイドは顔を顰めて立ち上がった。
 その恨みが込められているとでも言いたげな眼球達の視線は、薄暗い部屋の中ですら煌めきを感じさせる相手に向けられていた。
 乱暴とも思える仕草と力でピオニーの手を掴み、瓶から遠ざける。

「貴方が触れるようなものではありません、殿下。」 

 罪深い闇の中に落とされるとするのなら、相応しいのは自分だけだ。目の前の皇太子は、穏やかな光の中で輝くべき存在。こんなもので穢したくはないそう感じた。
 自分の手を握ったままの相手を、ピオニーは静かに見つめ返した。深い蒼が真っ直ぐに貫く。その澄んだ眼を見つめ返す事が叶わないのは、あの時と同じ感情だとジェイドは気付いた。

 そう、ネビリムを計らずも殺し、辱めてしまったあの時の後ろめたさ。

「お戻りくだ「お前は、自分の研究をそう思っているのか?」」
 常に綺麗な弧を描く形良い眉が潜められる。
「ただの学者に『死霊使い』などという二つ名がつきますか?聡い貴方らしくもない…察してください。」
 
 死体を漁ると陰口を叩かれた。子供の頃は「悪魔」と呼ばれた。
 命をなんだと思っているんだとあからさまに非難された事もある。それが間違っているなどと、もう自分は思わない。
 様々なもの踏みつけて、自分が望むものを掴み取ってきたことも認める。愚かで欲深い子供の姿が今ははっきり見えていた。


「問題が生じました。いえ、最初から生じていたと言っても過言ではありません。この原理が持つ根本的なものであり、これを打破する糸口は今のところ『私』には見つかりません。」
 稀代の天才と呼ばれるバルフォア博士が、打破できないと明言する事象だ。非凡な奴らが何人寄ったところで、どうこう出来るとは思えない。
 しかし、一見素晴らしいこの研究をマルクトが放棄するかどうかはまた別の問題。数年前から、大規模な施設を構築する目的で、研究中枢はホドに移行されて、サフィールもそちらで常駐している状況だ。きっと、あれは今喜々として音機関の構築に取り組んでいる。

「おい、サフィールは…知っているのか?」
 頭に浮かんだ事は、同じで流石に幼馴染みの間柄。少々眉を顰めてピオニーが問う。
「あれは、目の前のおもちゃに夢中で、細かな理論はただの理屈でしかありません。それが何を、導きどういう結果を生むのか…興味はないようですね。」
「あいつ…らしいな…。」
 クスリと笑う顔。そこには、寛容な顔しかない。サフィールが馬鹿にされると言って、最も嫌う表情だ。
 サフィールとピオニーはある意味対極を為す存在だとジェイドは認識していた。
目先の細かな部分に囚われ流れを掴み取る事の出来ないサフィール。
先見の妙がありすぎて、今彼が何をしているのかを掴むことが難しいピオニー。
 …そう、今も、ピオニーが何を考えているのか、ジェイドの思考は定まらない。鎌を掛ける如くジェイドは言葉を発した。
「貴方は、死体を肉片だとおっしゃった。」
「あれは、心を持たない肉体は、肉片と同じだと言っただけだ。
 お前の報告書を見る以上、生体レプリカは個体としての意識を持ちうる。…それを肉片だとは思わないし、もっと別の…。」
「欺瞞ですよ、殿下。軍部に研究成果は提出してあります。上層部がどのような判断を下すのかはわかりませんが、それには従うつもりです。
 壊れたおもちゃですら手放したくないとおっしゃるのなら、それを続けていくしかありませんが。」
 ジェイドは綺麗な貌に邪な笑みを浮かべた。

 ただの好奇心がネビリムを殺し、それ故に罪を重ねていった。そんな傲慢で独りよがりの罪と一緒に。逃れる事のも出来ずに不毛に思える行為を続ける。けれど無限に続く、贖罪こそ己に相応しいのではないか?
「どうして。」
 
 どうして?

 ピオニーの言葉に、ジェイドは目を見開いた。
「聞け、ジェイド。
 確かに言いたい事は色々とある。黙ってお前が聞くとは思えないが、それこそ一晩中言い続けたいくらいあるさ。
 でも今、俺が告げたいのは、お前が作ったものを、どうして俺が否定していると思うかって事だ!」
 声を張り上げたピオニーはジェイドを睨んだ。幼少期から、自分の行為に剣呑な表情を見せていた彼の事だ『それみたことか』と罵倒されると思っていたジェイドは呆気にとられる。
 
「目的を失った力はただの凶器と化すだろう。
 お前の手を離れたそれが向かう先に、何が起こるのか特定することはできん。けど、何が起こったとしても、それはお前が生んだものだ。
 俺は、お前を…ひいてはお前が生み出したものの存在を否定なんかしない。」

 反らす事の叶わない真っ直ぐなその輝きは正に陽光。
白日の元に晒されて、隠す事が出来るはずがない。何故自分はこの男に忠誠を誓う気になったのか、今更ながらに思い出す。
 闇に紛れて逃げ出す事など、もう自分には不可能なのだ。
 
 ジェイドは、くっと口元を緩め眼鏡を押し上げると、普段通りの醒めた美貌を微笑みで覆った。

「私は、今フォミクリーの研究を正式に放棄し、封印する事を決意致しました。軍部の意向も、私の決意を揺るがすことはないでしょう。」
 ジェイドはそう告げ、恭しく一礼する。ピオニーの返事など聞かずとも、彼の表情も言葉も全て察する事が出来た。
 
「再び、お前がそれを欲した時、きっと力になってくれると、俺は信じてる。」
 背中に向けられた言葉に信憑性などありはしない。

 ジェイドは軽く溜息を付き、呆れた貌で振り返った。満面の笑顔が見返すといっそう深い溜息が出る。何の根拠があって、そう自信満々でいられるのだろうか。
「全く、貴方はお気楽で羨ましい。」
 言い置いて部屋を出る。けれど、後かたづけの疎ましさすら、もうジェイドの足を鈍らせる事はなかった。
 

あとがき
 ぴおさまはきっとジェイドを否定したりしない。うん。
そして、肯定されたからこそ、ジェイドはそれにしがみつく事もなく研究をあっさり放棄したんだと思う。サフィールは自分を否定された気がして、逆にそれにしがみついたんじゃないのかなぁ…。とか。


〜fin



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