鬼畜眼鏡は、的確な物言いをする。
 その場に流される事なく、情に絆される事もなく。時には、チームの非難を浴びる事になっても(恐らくわかってやっている)告げられる言葉の信憑性は揺るがない。『けれどこれは、どう解釈すればいいのだろうか』
 人生まだまだひよっこのルークは、活動している脳を精一杯使いそう思った。


  ひそやかでささやかな恋


「よぉ。」
 のんびりと廊下を歩いてくる相手に、ルークは軽く一礼した。その途端にこりと微笑まれ、鮮やかで綺麗な笑顔に引け目を感じる。
「陛下…。」
「どうした?また、誰かさんに虐められたか?」
 そう告げられ、頭を撫でられる。
「…や、あの…そうじゃね…、いえ、違います。」
 馴れない敬語に皇帝陛下は声を上げて笑う。ちょっとだけ苦手で、でも心が軽くなる朗らかさ。苦手ではあっても嫌いではないし、あのジェイドを振り回す豪快さは、ちょっとばかし羨ましくも思う。
 だから…なのだ。
 少し話をしてみたいなぁなどと、気の迷いが起こったのは。立ち去った皇帝の後ろ姿を見送ってから、その後を追ってみようなどと思いついたのは。
 

 完全に見失ったと思った場所は、宮殿の裏庭。歩道に沿って柱が並んでいるだけの殺風景な場所だった。
 全く土地勘もないので探しようもないだろう。
 特別に用事があるわけでも無いと判断したルークの耳に、ふいに声が飛び込んでくる。

「貴方と言う人は!」

 滅多に…というか一度も聞いた事のない、ジェイドの激昂の声。崩落させたあの時でさえ、彼が自分に示したのは冷淡な態度しかなかった。
 こんな風に感情の起伏を表立ってみせている事などはじめてだった。おまけに、何か…(きっと頬だろうけれど)を力任せに叩いた音が、辺りに響く。

 少し離れた此処にまで、ジェイドの怒気が伝わってくるようで、ルークは思わず肩を竦めた。
「どうして、いつもそうなんですか!」
 一方的に、相手を責める言葉だけが続く。
「貴方はいつも、いつも…無茶ばかり…。」
「すまない…。」
 小さく…けれどはっきりとした低い声。それで、ルークは相手が誰なのかわかってしまった。

 自分が追ってきた相手。ジェイドの主君でもある彼。
 親友同士に遠慮は無いとは言うものの、一国の王に手を上げるというのは、ルークには考え難かったし、実際のところ自分自身が親友だと思っているガイに叩かれた事など無かった。どうも、不味い場面に居合わせてしまったと思ったものの、こうなってしまうと身体が動かない。
 間が悪い事に、柱が影になり自分は相手に見えることはないが、こちらからは二人が見える事にも気が付いた。つまり、動いたらばれる。

 乱れた金髪の間から、頬が赤くなっているのが見えた。あそこが叩かれたところなのかと思っていると、ジェイドの手が顎に沿って頬にかかる。
 何かを告げようとしたのか、薄く開いた唇にジェイドは自分のものを重ねた。驚きに声が出そうになり、ルークは慌てて両手で抑えつける。
 濡れたものが絡み合う音が響く。
「…ん。」
 鼻に掛かった甘い声。「ふ…ジェ…イド…。」
ぞくりと背筋になにかが走ったのは、誰にも言えないとルークは思う。きっと、自分の顔も髪の毛と同化しそうなほど紅いだろうという自覚もあった。

 両手で包み込むようにして、自分が手を掛けた頬に口付け囁く。
「…今度は、これで許してもらえると思わないでくださいね…。」
 皇帝の頬は赤く染まって、縋るようにジェイドの腕を掴んでいる。金の睫毛が濡れていて、僅かな光に輝いていた。
 ジェイドはと言えば、あの張り付けた笑顔では無く、口元だけが少し上がった柔らかな表情。微笑んでいるというよりは無表情に近いのだが、緋色の瞳は、それしか写すつもりはないと主張するが如く、腕の中の人物を見つめていた。
 そして、大きく肩を上下させ、それでも返事をしようとした言葉を再び奪う。一瞬抵抗の動きをした褐色の腕は、彷徨った果てにジェイドの軍服を強く握りしめた。


 あっけにとられて、一部始終を見てしまったルークは、近付いてくる足音で、はっと我に返る。

「覗き…とはいい趣味ですね。ルーク?」

 隠れていた柱の横に並ぶと同時に、笑みを含んだ声がルークの耳に届く。
まるで、誰かに(恐らく悪魔だ)心臓をぎゅっと握られたかのように鼓動が激しさを増し、息がつまった。
「…や、俺…その何も…。」
「おや、何も見ていないのに、その動揺はなんなのですか?」
 この柱の向こう側で笑みを浮かべているであろう鬼畜眼鏡を思うと、ルークは生きた心地がしない。振幅のしすぎで胸から飛び出してしまうかと思える心臓を、身体の上から抑える。
「や、こ、そ…。」
 認めてはならない、そうだきっと命に係わる。
「そう怖がらなくてもいいんですよ、わざとですから…。」
「あ…?」
 間の抜けた声は、自分の口から発せられたとは思えなかった。
「貴方がいるのがわかっていましたから。」
 クスリと笑う声がした。そして、何事も無かったかのように、ブーツの音は遠ざかって行く。

 一体あの鬼畜眼鏡は何がしたかったのだろうか。どうして、自分にわざと見せたのだ?
 もしや、陛下と話をしていた自分に対する牽制なのか…?
 それとも、誰かに話しをするのを見計らって、お仕置きでもするつもりなのだろうか?。それとも、からかわれただけ…?

 座り込むとルークは痛む頭を抱えた。


 それが、ひそやかでささやかではあるが『恋の浮かれ』であったことなど、少年の頭には欠片も浮かんではこなかった。


〜fin



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