七夕


 手にした槍を大きく振りかざすように弧を描くと、がらりと空いた上半身に目掛けて魔獣が飛び込んでくる。黒々とした身体の中心に空いた鮮血に染まる口腔目掛けて、譜術を叩き込む。
 喉まで入り込んだ腕と牙の隙間から、閃光が漏れたかと見えた次の瞬間には、魔獣は目に見えない音素になり果てていた。
 
 存在すら残らない。

「…すげぇ。」
 思わず、剣を持つ手を止め、口の中に留まりきらなかった呟きを漏らした少年に、『死霊使い』はあくまでも笑顔だ。
「ほらほら、よそ見をしていると食べられちゃいますよ。」
 ハートマークが語尾につく物言いに、うげと顔を歪めたルークの背後。飛び掛かってくる相手は、ガイが仕留める。尻餅をついたルークが、頭を振った。
「げ!?ホントにいたのかよ。」
「旦那、見えてたなら援護してやってくれよ。」
「いやですよ〜。面倒くさい。」
 辛辣な言葉は、綺麗に形づくられた唇から発せられ、切れ長の瞳はあくまでも冷ややかな緋。整った美貌は、揺れることもない。崩れる事を知らない笑みが、その容貌を覆う。
「それに、早く雨宿りの場所を探さないとずぶ濡れになってしまいますよ。」
 ポツリポツリと落ちはじめた雨粒に、女性陣が悲鳴を上げた。


「折角の七夕なのに、雨ね…。」
 運良く見つけた廃屋。辛うじて残った半分の屋根の下に七人は身を寄せ合う。ティアが外を眺めて呟いた。
「ティア、七夕って何?」アニスの疑問に『そうねぇ』と口ごもる。
「年に一度しか逢えない恋人同士を祝うお祭り…かしら?」
「ふ〜ん。」
 興味があるような、ないような微妙な反応に、ジェイドが言葉を加えた。
「笹という植物に付けられた短冊というものに願いを書くと叶えられるそうですよ、アニス。」
「やっだ〜大佐 vvv、そんな子供騙しでアニスちゃんをひっかけるんですか?」
「いえ、アニス。僕も聞いた事がありますよ?」
 イオンの言葉には、俄然瞳を輝かせた。
「一年に一度の願い。流れ星に願うよりは高確率かもしれませんねぇ。」
 その言葉と同時に、アニスの視線は自分が最も操りやすい人物に、向けられた。
両手を広げた抱きつきポーズ。笑顔の懇願で迫る。
「笹を探しに行ってくれるよねぇ、ガぁイぃ〜。」
「ひぃい〜〜、なんで俺が!?」
 行く気は無くとも、ガイの身体はアニスに追われて外へと向かった。待って〜と、呼び声だけは可愛らしくその後を追う少女。
 雨足は徐々に強くなっていくように思えた。
「あ、あの、雨が降っていると二人が逢えないからお願い事は…。」
「ティア。こういうのは、気持ちの問題ですから。」
 にこりと笑う死霊使いも、雨をものともせずに走りさる導師の守り役も、その言葉からは遠く離れているようにティアには思えた。
「…。」
「大佐が、こんな昔の風習をご存じだとは思いませんでした。」
 にこりと笑うイオンに、ルークとティアも頷いた。
「そうですか?」
「でも、まぁジェイドなら、知識として知っていそうだよな。」
 そう呟いたルークに『ですの〜』と声が被る。可愛いとティアが頬を染めた。
 眼鏡を押し上げたながら、ジェイドは笑う。
「買い被っていただけて光栄ですが、専門以外の知識はそれほどに豊富ではありません。七夕の知識は、まだ下級兵士だった頃の同僚に聞いたんですよ。」
「まぁ、博識な方ですのね。私達もその方にお目に掛かった事ありますでしょうか?」 「あるでしょうねぇ。」
 小首を傾げるナタリアにジェイドはそう告げて意味深に嗤った。

 孤児院の慰問。
 子供の好きそうなものを見繕って持っていけばいいと言った自分に、何処から用意したものか、七夕という行事をやると言い出した男。
 書かせたものを見て物資を用意するのかと 短冊に願い事を書かせてみれば、死んでしまった者に会わせろだの、焼けた家に帰りたいだのと叶いそうにもない願いばかりが連なっていた。
 『なんて無駄な。やはり、玩具か食料でも援助しましょう』と言った自分に、相手は首を縦には振らなかった。

『食い物はもちろん大事だ。でも、こいつらは今喰うために生きている。生きる為に食うことを教えやりたいんだ。』

 自分の『本当の願い』を知る事。その意味を考えること、それが大事なんだと言い張った。
 当時の自分はそれを理解することは出来なかったが、ただ長年の経験として、彼はいつでも何かを創る事に長けていたし、そういう時は頑固で決して譲らないのを知っていたので、結局自分が折れたのだ。しかし、僅かばかりの菓子を持って向かった星空の下で、一番はしゃいでいたのはその男だった。
 結果的に彼が目論んだ通りになったかは、今だもって謎。ただ、星空に願う子供の瞳が印象的だったことは覚えている。


「あったよ〜〜〜!!!」
 叫び声はアニスから、しかし、笹のような植物を肩に担いでいるのは勿論ガイだ。 息も絶え絶えに、屋根の下に潜り込んだ彼を放置して、他のメンバーは乗り気で短冊の用意などを始めた。
 ワイワイとお互いの願い事などを覗き込んで、楽しげな様子を眺めていたジェイドは、ふと雨が上がりつつあることに気づき、悪戯を思い付いたように嗤う。

「私も一枚頂けますか?」

 にこりと笑って手を出した『死霊使い』に、メンバーの動きが一瞬止まる。
え、ええと差し出す紙に感謝の笑顔を返した彼を見る目は、異様な物を見る目つきに変わっていた。
 圧倒的な強さと、美貌と、知能を持ち得る彼が、一体何を望むと言うのか。
『今だに解明されない、白癬菌の正体を知りたいとかかも。』
『いやいや、案外、歪んだ性格が治りますようにとか…』
『それはないですよ。』
『案外、世界平和かもしれませんわよ。』
『ソレ、マジありえんから。』
 ボソボゾヒソヒソと続く会話を聞いているのかいないのか、鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌で短冊には言葉がしたためられていった。



「ジェイド・カーティス大佐より伝令です。」
 恭しく頭を下げた兵士が、皇帝に差し出した書状。
王座に腰掛け、優雅に手を伸ばすとピオニーはそれを受け取った。『ご苦労』と声を掛けると、再び頭を下げて去る。
 金色に輝く前髪をかき上げ、肘掛に置いた手に顎を乗せる。そして、短冊に綴られた言葉を目にして蒼穹の瞳が僅かに煌めいた。

「…そうか、七夕か…。」
 微かな笑みがその端整な顔に浮かぶ。思い出を探るように目を細める。


『数多の慈悲を陛下から承れますように。』


 暫らくの間、眺めていた短冊から目を離し、それにしたって…と呆れた表情で呟いた。
「普通は星に願うだろう…。本人に送りつけてくるってどうだよ。」


〜fin



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