短編


 謁見室から出て行く人影に目を止めて、ジェイドは立ち止まった。
『あれは…。』
 緋色のキムラスカの軍服。しかし、ジェイドが足を止めたのは、その人物がキムラスカの軍服を着ていたせいではない。平和条約が結ばれ、経済の流通が活発になるにつれて、その行き来は頻繁になり珍しいものでは無くなっていた。
 ただその軍人がージョゼット・セシルーだったからだ。

 いつものように、自分の執務室に現れたピオニーは珍しくお酒を持参している。
どうなさったんですか?と聞けば、見ていただろうとニヤリと笑って返された。
「セシル少将のお姿を見掛けましたが…。」
「察しはついているくせに、遠まわしない方だな。」
 ピオニーは、いつもの自分の住処ではなく、横に設えられたソファーに腰を下ろす。
ジェイドが執務をしている机には背を向ける形になった。
 グラスを二つサイドテーブルに並べると酒を注いだ。そのうちひとつを手に取ると、一気に飲み干す。
「墓参りに来たそうだ。良い女だったな…。アスランは幸せだっただろう。」
ポツリとピオニーが言う。
「そうですか?」
「ああ、情が厚くて、優しくて、何よりも美人だ。」
「世間のお嬢様方に石を投げられるような発言ですね。ナタリア姫に性的嫌がらせと称されますよ。」
 きょんとした顔で、ジェイドの言葉を聞いていたが笑みを浮かべた。
「それもまた、一興だろ?冷たくされるのもたまらなく良い。」
「やれやれ。」
 ジェイドは溜め息を付きながら、眼鏡を指で押し上げる。
「そんなに女性がお好きなら、結婚なさったら如何ですか?
 結婚なさらなくても、最低世継ぎは出来ますが、体裁上はその方がいいでしょう?」
「お前…即物的。」
 ぷっと頬を膨らませてジェイドを睨みつけてから、ピオニーは表情を緩めた。
「ただ、幸せな時間をもう少しくれてやりたかったと思ってな…。」
 まるで、目の前に彼がいるように、寂しげな笑みを浮かべながらピオニーは言葉を続ける。きっと、この男の中の彼は、軍人とは思えぬはにかんだ様な笑みを浮かべているのだろう。
「幸せな気持ちが、その時間と比例することは無いと知っている。知ってはいるが、アスランにもう少しだけ、大事な人と幸せな時間をくれてやりたかった。」
「…陛下、私にも一杯いただけますか?」
ん?と驚いた顔をして『執務中に珍しいな』と言ってから、ピオニーは、もうひとつのグラスを指差した。
 しかし、ジェイドは苦笑を浮かべるとピオニーの背を覆い隠すように体を重ね、驚いて顔を向けた彼の唇に唇で触れた。
「そのグラスは、フリングス少将のものでしょう?私はこちらで我慢して差し上げましょう。」
「どの口が言うかそういう事を…。」
「この口です。もう一度確認して頂いても結構ですよ。」
 笑みを浮かべるジェイドに、彼の腕に身体を預けながらピオニーはふんと鼻を鳴らした。
そして、指でちょいちょいとジェイドを呼ぶ。
 顔を近づけると、耳元で声を潜めた。 「さっきの話だがな…。お前にだけは言うが、俺は自分の代で世襲制を止めたいと思ってる。平和を長く続ける為には、それを望むものが頭になるのが一番確かだ。血じゃない。」
 そして、更に声を潜めた。
「…なぁジェイド。俺がただのおっさんになっても、側にいてくれるか?」
 悪戯な笑みを浮かべるピオニーにジェイドもクスリと笑う。
「私が忠誠を誓ったのは、マルクト帝国では無く、貴方ですよ。陛下。」
 十数年前でしたから記憶が…と前置きをしてから、ジェイドは言葉を続けた。
「確か、死が二人を分かつまで…だったような…。」
「そりゃ、結婚の時にする誓いだ。」
 呆れた顔をするピオニーに、『おや、そうでしたか?』とジェイドは嘯いた。


〜fin



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