月夜 この世界に、何事もなかったかのようにその光は降り注ぐ。 足音もなく近付いた男は、床に座って窓を眺めていた皇帝に敬重し声を掛けた。 「恐らく全て終わりました。」 胸元に手を当てジェイドは深くお辞儀をする。 語るべき事は多く、だがそれは言葉では伝えられない。そして有能な死霊使いは、敢えて語ろうとはしなかった。 「ご苦労だったな。」 ピオニーは傍らに置いた瓶から手元のグラスに液体を注ぐと、一息に飲み干した。その横に数本の瓶が転がっているのを見ると、かなりの量を摂取しているように見えた。 ジェイドが部屋へ入ってもピオニーは視線を移さない。グラスを傾けながら、淡々と語る彼をジェイドはじっと見つめていた。 深い声が音のない空間に響く。 「よく生きて帰ってくれた、ジェイド・カーティス大佐。…ガイラルディアは…?。」 「キムラスカのファブレ侯爵のところへ向かいました。そちらの用事が済み次第、マルクトへ戻るそうです。」 「そうか。細かな報告は軍部へ出してくれ。」 ふっ…と表情が緩む。初めて、ピオニーの瞳がジェイドを捕らえた。 「…ああ、そうだ。世界を救ってくれた英雄殿に何かご褒美をあげないとな…。 ガイラルディアには帰ってから聞くとして、お前は何が欲しい?望みのものを言ってみろ。」 緋色の瞳は、彼の主を見つめている。 「…陛下を…頂けますか?。」 ジェイドの言葉に、ピオニーがくつりと笑う。 「大きく出たな。」 「ご命令を。」 ピオニーは手にしていたグラスを床に置き、目の前の男を見据えた。 微かに首を傾げて、不敵な笑みをその唇に乗せる。 この世界を救った者に出し惜しみをする理由などないだろう?そう告げて、蒼い瞳をすっと細めた。 「いいぜ…来いよ。」 月光に照らされ、腕の中にいる輝きは、予言を覆した事によって得られたものだということをジェイドは知っていた。それを可能にしてくれたもの。 笑みを浮かべた仲間の姿が浮かぶ。 帰ってくるのかもしれない…しかし…。 ふいに下から伸びてきた手がジェイドの眼鏡を外し、床に放り投げた。見下ろすとピオニーが嗤つている。 「俺を前にしても、随分余裕があるんだな…。」 「ありませんよ。覚悟してください。」 床に散る金糸を指に絡めて、唇を重ねる。 流れ込んできた酒を苦いと感じた。世界は救われ、大切なものは守り抜けた。それでも、胸に溢れる想いは甘くなどない。 それはきっと、こんな酒を飲まずにはいられなかった男の胸の内と酷似しているのだろう。 全て世は事も無し。 空々しく響く言葉をその唇に乗せながら、ジェイドは緋色の瞳を瞼で隠した。 〜fin
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