どちらの愛をご所望ですか?(ver.サフィール) いなくなった。 本当にいなくなってしまった。 僕らのネビリム先生は。 ならば、どうしたらいいのだろう。 ジェイドやネフリーや大嫌いだけどピオニーと共に過ごしたあの時に どうしたら戻れるのだろうか。 一度だけ牢屋を訪れてくれたジェイドの態度は、やっぱり変わらなくて、どうしてもネビリム先生がいないと、戻れないのだと思いながら、ディストは牢屋の片隅で丸くなっていた。 詰問があると言われて、牢屋を出されたのはそんな時。 部屋へ連行される間に、ヴァンがどうなっただの、六神将がどうしただの、ダアトの情勢だのを兵士が説明していたようだったが、聞く気にもならなかった。 興味があるとするのなら…。 「ジェイドはどうしているんですか?」 「相変わらず、ジェイドだなぁ。サフィール。」 ふいに掛けられた言葉に、眼を剥いた。 連行された部屋の正面。 座り心地の良さそうな椅子に座して、片手を肘掛けから下に降ろし、もう片方の手の上に顎を乗せ、足を組んでいる相手。 偉そうに自分を見つめて、蒼穹の瞳を細める男。最も偉そうなのでは無く、偉い相手だ。 マルクトの若き皇帝−ピオニー− 「何ですか?私は貴方に用事なんてないですよ。」 そう告げた途端、兵士達から押さえつけられ、無礼な口を聞くなと怒鳴られる。 ああ、腹が立つ。何処にいても、皆は彼の味方だ。幼い頃も、今でも。 私のジェイドでさえも。 そして、『稀にみる賢帝』がこの男の形容詞で、世界さえ彼の味方。 自分の味方など、この世界の何処にもいないのだ。 「いいから、放してやれ。こいつの口の聞き方は昔からそうだ。」 意に介するでも無く、クスクスッと笑う。このゆとりにも苛つく。自信たっぷりで、余裕を見せつけてくる態度。 兵士を下がらせ、何か話しかけてくるがどれを取っても腹が立つばかり。視線の中にだって入れたくなくて、そっぽを向く。 それでも、きっとピオニーは困ったような笑みを浮かべたままなのだろうとわかる。自分の一言で、私を極刑にすることすら可能なはずなのに。この男は…理解不能だ。 ノックの音と共に、背を向けていた扉が開く音がした。メイドらしき女の声とピオニーの会話。わざと脳の中を通さない。 突然、背中に衝撃が来た。 それも、ひとつでは済まない。何度か繰り返され、翻弄されたのちにディストは床と仲良くなっていた。 き〜〜〜〜〜!!!と叫び、なんなんですか!と喚き周りを見回すと、ぶうさぎの群れが自分を囲んでいる。 全部で6匹。ああ、理解出来ない!! 「……一応危ない…とは言ったぞ。」 いつの間にか椅子から立ち上がったのか、ピオニーがくくっと笑いながらぶうさぎの頭を撫でている。家畜どもは彼によく懐いているように見えた。 「可愛いだろ〜。」 「…。」 そうでした…とディストは記憶の引き出しを開けた。 ピオニーは昔からこの生物が好きだった。よもや、宮殿の中で家畜を飼うほどとは思わなかったが。 ふんと鼻を鳴らして、吐き捨てる。 「いい身分ですね、貴方は。何もかも思い通りというわけですか?」 その言葉にピオニーは、笑みを深める。自分の嫌味すら受け流す相手は、ただ腹が立つだけだ。ジェイドのように馬鹿にしてくる方がまだ、マシだとディストは座り込んだまま、幼子のように地団駄を踏む。 「貴方は…!何も持っていない私を馬鹿にしているんですか!」 ぶうさぎが、ピオニーの腕に身を摺り寄せる。こんな家畜にすら愛されている彼。誰からも相手にされない自分。 「サフィール。」 ピオニーが笑みを浮かべて、ふいに名を呼ぶ。 「何ですか?」 「いや、お前じゃない、こいつ。」 ピオニーは、腕の中のぶうさぎを示す。 「こっちが、ネフリー。それが、ジェイド、お前を舐め回しているのがゲルダ。」 なんですって!? 「そっちがルーク。あれがアスラン。」 尻餅をつき、ゲルダにひたすら懐かれているディストの薄紫の眼が大きく見開かれる。鼻からずり落ちそうになっている眼鏡を、ジェイドが囓る。涎でべたべたになっていくそれを奪い返す気力がわかなかった。 「皆、俺の大切な人達の名前を持ってる。大事な奴らだ。」 「貴方は…何を言って…。」 「ゲルダはお前が好きだと言ってるぞ。先生は、昔からお前を可愛がっていたからな。」 私に懐いているのはぶうさぎで先生とは無関係でしょうと反論しかかって止めた。 ピオニーの腕のなかにいる『サフィール』が、喉を撫でられて幸せそうに眼を細めているのが見えたからだ。もっと、もっと、とねだるように、彼の腕に身体を擦り付けていく。それを見つめるピオニーは柔らかな笑みを浮かべていて、そうかそうかと頷いている。 自分の名前が付いたぶうさぎは、なんて幸せそうなのだろうか。 大切に思われ、確かに愛されている。 自分以外の名前を冠するぶうさぎを彼が大切にしているのは理解できる。 ゲルダは大切な先生だし、ネフリーは初恋の相手らしいし、ジェイドは親友。ルークはあのレプリカでアスランは部下の名だったはず。皆、彼を大事にしている人達だ。 自分は差し出してくれていた手を拒絶し、彼にやさしくなんてしたことはない。 なのに、ピオニーは『大切な』と己の名前を付けてくれた。 本当に大切にされていることは、ぶうさぎの態度で直ぐに知れる。 世界の誰も、自分を必要としていないのに。見捨てられたはずなのに。 自分が必要としなかった者だけが、大事だと思ってくれていたとは、なんという皮肉でしょうね。 眼鏡を租借しているぶうさぎの頭にそっと触れてみる。もっと撫でろと頭をぐいぐいと押し上げてきた。差し出した手に素直に応じるジェイド。人々に疎まれた自分の手でも逃げ出すこともなく懐いてくる。 けれど、試しに手を振り上げると耳を垂れ後ずさり、近付こうとしなくなった。これが普通だ。拒絶されれば、近づかなくなる。 ジェイド以外は不要だと、世界を切り捨てていたのは自分だったのに。 「ああ、もうこんな時間だな…。」 自分の思考に囚われていたディストは、ピオニーの声で我に返った。 「ほら、立てるか?」 にっこりと笑い躊躇いなく差し出される手。 何度拒絶されても、変わらない彼の姿は、遠いあの日と重なった。取り戻したいと願った過去の記憶そのままに。 私が、本当に望んでいたものは…なんだったんでしょうか? 熱くなった目頭とは裏腹に、その手を取るには、まだ素直に自分の思いを認める事が出来なかった。 ディストは横にいたサフィールを掴んでその腕に乗せる。 そして、自分で立ち上がり、ぶうさぎに蹂躙された服の汚れを叩いていると、自分を連れにきた兵士の声がした。 「貴方は、私とぶうさぎと、どちらから好かれたいのですか?」 帰り際に、サフィールを抱き締めたままのピオニーに向かってディストがそう問うと、幼なじみは満面の笑顔を見せてこう答えた。 「俺はサフィールが好きだぜ。」 随分と狡い男です。 content/ |