親友と下僕


 外勤を終えて、執務室に帰るとその部屋になんの変りも無い。
一瞬だが、下がる気分に苦笑する。
部屋の隅を見れば、本位置も変化無し。此処には来ていないようだ。
「これで、執務を行っていただいていれば問題ないのですがね。」
 そんな事はあるはずもないだろう。だが、それはそれで、自分の仕事に支障が出るわけでもない。ジェイドは、席に着くと、机に積み上げられている懸案や報告書の束に目を通しだした。
『なぁ。』
 仕事を始めだすと、いもしない男の声が聞こえる。それは、まるでこの部屋の会話が録音されていて、同じ作業をするとそれを再生するようだ。
『結構、長い間会ってないと思わないか?』
 ええ、たった三日ですが?
『構え。』
 今、仕事中ですよ。
『見りゃわかる。俺はお前ほど頭は良くないがそれぐらいはわかる。』
 何を威張っているのですか?
『なぁ。ジェイド…。』
  
 画像まで再生されそうになって、ジェイドはふっと溜息を付く。
邪魔をされない事より、邪魔される事の方に自分は慣れてしまっているらしい。全くどうかしている。
 ジェイドが軽く頭を振ると、扉を叩く音。それは、皇帝の行方を尋ねる衛兵の訪問だった。
「ジェイド!」
 その部屋を開けると、恐ろしいほどの素早さでディストが擦り寄ってきた。
研究用にあつらえられた部屋は音機関で溢れていた。
「ついに親友である私に一目置くつもりになったのですね。」
「貴方にですか?そんな事をしたら、譜眼の制御が利かなくなりますよ。それより…。」
「ああ、あれですね。」
 不機嫌に顔を歪めて、ぷいっと横を向く。釣られてそちらに目をやると、自分の部屋と同じように乱雑につまれた本。よく見ると自分のところに置いてあるのは譜術の本が殆どなのにも係わらず、此処にあるのは音機関の本だ。
 その中に埋もれて、読みかけの本を胸に抱いて眠っている皇帝陛下。
廊下には、兵士まで配置されているというのに、どうやって入り込んできたのだろうか。
 彼が皇帝などではなく、密偵の類だったとしても充分にやっていけるような気がして、ジェイドは、軽い眩暈を覚えて眉間を抑えた。ある意味非常に才能に溢れた男だ。
「陛下…。」
「…ん?」
 肩に手を置いて揺すると、大きく伸びをしてから自分を見た。そして笑う。
「お、ジェイドお帰り。」
「何をしていらっしゃるですか?衛兵が探していましたよ。」
「まだ、休憩時間だろ…?へ…あ!」
 時計を見た途端、ピオニーは慌てて起き上がり手に掴んでいた本だけを持って戸口に向かった。一度だけ、振り返る。
「あ、じゃあ、またなサフィール。」
 そして、ディストの返事など気にすることもなく出て行った。閉じられた扉の向こうから、へへへ、陛下〜!?という兵士の叫び声が聞こえる。
「やれやれ…。」
 ジェイドは、額を押さえて溜め息を付く。
「よく、害しようと思いませんでしたね。」
 幼い頃、大嫌いだと叫んでいた男にそう問うと、むっとしたまま、自分を見つめ返す。
助けを呼ばれても面倒だとか、身元引受人だからとか取りあえず皇帝陛下だから(ここでジェイドに殴られる)と、理由を列挙した挙句にこう言う。
「その男にとっては、私も親友らしいですからね。」
 皇帝のくせに、下僕がいないなんて可笑しな話です…と告げる言葉を聞きながら。ジェイドも部屋を出る。そして苦笑した。


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