さりげない言葉が 「どうした? 俺に見惚れたか?」 ピオニーの言葉に、ディストは飛んでいた意識をたぐり寄せた。手の中には、縮れた金の糸。これを切り整えてやらなければならなかったのだと、頭から答えが返る。 飛んでいた意識を取り戻した時に、びくとなった身体から気配を感じたのだろう男は、目を閉じたまま、クツリと笑う。声を出さずに喉を鳴らす仕草はディストの見慣れた男のくせだ。 酷く馬鹿にされている感じを受けるのも屡々で、ディストは余り好きではない。その上…。 「まぁ、我ながら大した美青年だからなぁ。」 鼻歌混じりに呟かれ、ディストの鼻柱に横に大きく皺が寄る。 実に腹立たしいのだが、この台詞に対して異論はないという点だろう。 年齢からすれば、青年というよりも中年じゃないのか!? という言葉尻を捕らえた反論しかディストの中から出てこないのが悔しい。 こうして手にした髪は、恐ろしいほどに手触りの良い金。今は瞼の下に隠された碧も常に強い光を秘めた宝石のようだ。褐色の肌も艶やかで、なまじ自分やもうひとりの幼馴染みと同じ白い肌でない分、健康的だ。ひょろりと、骨ばった自分の手を見ると尚更そう思う。 その上、脳味噌も馬鹿ではない男は、外面が充分武器になることを知っている。 だから、維持する為にそれなりの気を使っているという事実も手伝って、統治者として君臨する場に置いては『耀映』の皇帝として他を圧倒した。 ダアトに席を置いていた時期にも、何度かこの男を見る機会はあったが、正直なところあそこまで影響力を持っていた権力者はいなかった。 この星を騒がせた一連の事件(勿論自分も手を貸していた)は、目の前の幼馴染みがいなかったと仮定するのなら、別の方向を向いていたかもしれないと容易に感じる。 さしもの金の貴公子でも、主席総長の意を覆すことは出来なかったかも知れないなどと思う事もある。だからこそ、あの秘預言が覆されたという事実にこの星が受けた影響は計り知れない。自分の処遇も含めての話しだ。 「なんだ、図星…「余りふざけた事を言っていると、手が滑りますよ。」」 尚も茶化してくる言葉を遮り、同時に髪に鋏を入れた。滑らかな髪は、刃の鋭さまで、そのしなやかさでもって、退ける。 要するに、滑って上手く切れないのだ。 それでも、なんとか刃を刈込みザクリと落とすと、金の糸がパラパラと床に散った。薄汚い床に散ってくる金は、それでも輝きを失わない。 忌々しいにも程がある。 「…それで、開発中の音機関はどうだ?」 「なんの事ですか?」 「とぼけるなよ。ガイラルディアが褒めていたぞ。 いや、あれは褒めてじゃなくて崇拝か? ま、いいやともかく俺は凄い以外の表現で新しい音機関の話を聞きたいんだがな。」 ディストはちっと舌打ちをする。あの若造随分とお喋りじゃないですか…。ぼそり、文句を告げた後、言葉を続ける。 「貴方の目の前にある、アルビオーレの模型に試用しているところですよ。」 「これが、か…!」 目を輝かせて、身を乗り出した男にディストは罵声を浴びせる。 「私は刃物を扱っているんですよ! 急に動かないでください!」 「いや、だってお前…。」 「禿げたいんですか!!!」 ギュッと、髪の束を持って椅子に引き戻す。軽い悲鳴は無視して、ふんと鼻を鳴らした。 「子供ですか貴方は。今見ている通り、音機関は逃げませんから、終わったら、見せてあげます。大人しくしていなさい。」 「ひでえな、お前は…本気で禿げるぞ。」 口を尖らして、ディストを睨みあげる碧い瞳は涙ぐんでいて、そんなに痛かったのかと胸の内では後悔したが、口は変わらず嫌味を返した。 「いいじゃあないですが、いっそ剃ってしまえば、貴方に足りない落ち着きでも醸し出してくれますよ。」 「…。」 これ以上反論しても雑言が返ってくるだけだと悟り、ピオニーは黙って姿勢を戻した。訪れた沈黙に、今度はディストはゆっくりと口を開いた。 どうも、この男に対して甘くなるのは、もう一人の幼馴染みと同じ悪癖だ。 「今は、音素を消費しながら動く音機関しかありませんでしたが、無限に音素を生み出していた過去の遺物はもうありません。 試作機は、つまり消費する事ではなく、利用することでエネルギーを産み出すように設計したものです。」 「理論は、ジェイドか。」 「ええ、半分は…ですが。こればかりは机上の空論では進まぬ世界ですからね。実働する方法を見つけなければ意味がありません。」 「エネルギーを産み出すには、それ相応の原料を消費する必要がある。今までの常識を覆すやり方だが、勝算はあるのか?」 「付加価値を付けて音素を使用して力を産み出す。それこそ、理論上では可能ですよ。最も試そうとした馬鹿は、誰ひとりいなかったでしょうけれど。」 くくくっ。堪えきれずに、ピオニーは笑いだした。 呆れたディストは鋏を入れるのを諦め、手を放す。仰け反って笑い続ける男を見ていると、何故か笑みが込み上げる。 「ならば、俺は歴代の皇帝の中で最も【馬鹿な】男な訳だな。」 ふっと収まった笑いの合間に、ピオニーはそう呟く。口元をにまりと上げ、薄笑いを浮かべたままディストを見上げた。 「ええ、最も愚かな皇帝として名を馳せる事でしょうよ。」 ディストの言葉に、満足そうに笑みを浮かべる男は本当に馬鹿だ。名誉や栄光を退けて、その責任のみを果たそうとする皇帝はただ、愚かだ。 そうして自分も幼馴染みも、最も愚かな皇帝に仕えた愚臣として名を連ねていくのだろう。なんとも愉快な話ではないか。 腹の底から笑い出したくなり、ディストは鼻孔から息を逃がしなんとか押さえ込む。馬鹿笑いなど、薔薇を名乗る自分にとって、全く美しくない。 「さて、いい加減大人しくしないと、今日の日付が墓石に刻まれる事になりますよ。ピオニー。」 そう言って、鋏を翳してみせれば、大いに眉の間に皺を寄せた。 「そいつは、困るな。まだ、やらなきゃならん事が山積みだ。ネフリーにも首輪を新調してやらなければならん。」 「ならじっとしていなさい。終わったら飴を差し上げますから。」 幼い頃に、街の床屋が告げた常套句に、ピオニーは楽しげに笑った。いいなぁそれと言うのだから、飴を探さなければならないのだろうか。本気か? 嗚呼、そう言えば、この男は幼少時代を軟禁されて過ごしてたのだ。街の床屋など行った事もないのだろう。 なぁ、サフィール。 ピオニーは、椅子の背もたれに置いた腕に顎を乗せると瞼を落とす。そして唐突に言葉を紡ぎ出す。 「今日の日付が墓石に刻まれる事になってもさ、願いを託したいと思う奴らがいるのっていいよな。」 たとえ、今自分が消えてもこいつらだったら、絶対になんとかしてくれる。そう思えるのは、贅沢な幸せってヤツだよな。 「…ピオニー。アナタは何を言って…。」 顔を強ばらせたディストを見遣り、ピオニーは片手をひらひらと降って見せた。 「深読みするなよ? 俺がそういう地位にいるってだけって話だ。 いつ暗殺されても可笑しくないし、その危険は俺の背中にぴたりと張りついて消えない。それこそ、死ぬまで、そういう話なだけだ。」 さりげない言葉が重い。 口調や、話し方は本来重さなど欠片も感じさせないものだったから、若造の類ならば、そのまま流してしまうような巧妙さを持っている。けれど、この男が消えた後にきっと思い出すに違いない、酷く重いものだ。 狡猾すぎる。そして、己の存在というものを完全に軽んじている男に腹が立った。 様々な政や問題は、確かにこの男がいなくても動いていくのかもしれない。けれど、ピオニーという男がいなくなったという事実を埋めてくれる存在など、一体何処にいるというのだろうか。 遠い雪国で出会い、紆余曲折を経てこうして再び並ぶ機会を得た今確かに思うのだ。この男を失えば、その変わりなど未来永劫手にすることなど叶わないと。 それを認めるのに、こんなにも時間を費やしてしまったのだけれど。 「…だから、貴方は馬鹿だというんですよ。 貴方は私の身元引受人なんですよ。いなくなれば、即処刑されるかもしれない。私の事など、どうでもいいというんですね。薄情な男です、貴方は。」 わざと、嫌味な言い方をしてやったが、口元を綻ばせてにやりと笑う。意図するものを読んでいるのは、嬉しいけれど、酌だ。 「それに、アナタにはまだ仕事が残っているでしょう?」 「へ?」 なんだっけ。腕組みをしながら、左右に首を傾げている。溜息をついて一瞥してやると、なーなー意地悪しないで教えてくれよ、と袖を引いてくる。 「…跡継ぎですよ。ジェイドじゃあるまいし、何で私がこんな事を言わなければならないんです。」 「あ〜子供な。つくる過程は大好きなんだが…。」 とりあえず、お前生んでみるか? 次の瞬間、ディストの手はピオニーの後頭部を強打していた。 content/ |