ふとよぎる不安


 傾いだ金属が奏でる不安定な音。それを発する音機関を眺め、首を傾げる金髪の青年は、観念したように側で作業をこなしているディストに顔を向けた。
「設計上、間違いはないと思うんだけど…。」
「…。」
 ディストは、ちらとだけ視線を送る。僅かな時間だけ手を止めて、しかし視線はすぐに目の前の音機関に戻っていった。
「試験をしなさい。」
「え?」
「その音は確かに異常です。この場合はASTME-18に従ってするべきですね。あっちに試験機がありますから使いなさい。」
 顎でしゃくられた先の機器を認めて、ガイは作りかけの音機関−アルビオーレ縮小版−を持って立ち上がった。
 駆動部分から作業をしようとしたガイに、もう一度ディストは声を掛ける。
「そこじゃありません。翼の小骨部分です。」
「え…あぁ?」
 中の回転部分を作動させると異音が聞こえるのに、どうして翼かと少々半信半疑のまま、ガイは音機関をくくりつけ測定値が写し出されるモニターに視線を移す。

「なんだ、やっぱり此処か、ガイラルディア。」

 ふいに開いた扉から、ピオニーが顔を出した。
「陛下…?」
 ガイは驚いたように彼を見て、そして足元を行き交う獣に気が付いた。そうだ、愛玩動物のお散歩時間ではないか。
「お楽しみのところ悪いが、頼む。な?」
 そう告げると、手綱を軽く顔まで持ち上げてみせた。
 皇帝自らがこんなところへ足を運んできたという事は、自分で散歩に行こうとして誰かに止められたに違いない。そりゃそうだ。止めるだろう、自分だって止めるに違いない。旦那の耳に入ったら、どれ程嫌味を注ぎ込まれるかと思うと眉が寄った。
「申し訳ありません、陛下。今、行きます。」
 ガイは慌てて皇帝の手から手綱を譲り受け、それに繋がれたぶうさぎ共々扉の向こうに消えていく。
「おい、これ、そのままでいいのか?」
 赤い線が行き交う音機関を見つめてから、ピオニーが振り返った時は既に遅く、ガイの姿は何処にもなかった。
 うむ?と口を曲げて、自由になった手で後ろ頭をぼりぼりと掻く。
「なぁ、サフィールこれ。」
「…ったく、煩いですねぇ。」
 ようやく熔解温度に達した鏝を元に戻し、ディストは面倒くさそうに立ち上がる。そして、ピオニーの横からモニターを覗き込んだ。画面に点灯する数値に目を走らせて、やっぱりと呟く。
「何がやっぱりだ? どうなってるんだ? どうするんだ?」
 重ねられる質問にディストは、き〜〜〜〜〜〜っと力一杯叫び、皇帝を振り返った。ピオニーの瞳が真ん丸に広げられ、ディストの姿が其処に映る。彼の目の中の自分は驚くほどに楽しそうに見えて、顔を顰めた。
「いちいち煩いんですよ、貴方は! あの若造が小骨のクラックに気付かないで何度も試験運転をするものだから、劣化が進んでいると言っているんですよ。」
「…そう、か。」
 にへらと笑う皇帝に、ディストは益々顔を顰めた。
「わからないくせに、適当に返事をするのを止めなさい。鬱陶しい。」
「お前の話しを聞いていると、分かった気になるんだよ。」
「貴方は…って、言ってる側から、何してるんですか!!」 
 ピオニーはさっきまでディストが持っていた鏝に興味津々で触れようとしていた。ディストの声に、急いで手を引こうとした指先が留め具に触れ、コードが外れ重力に従い、勢い良く落下する。
 先端は、鉄をも溶かす温度に設定されていた。触れば、ただでは済まない。
「…ピオニー!」
 叫び声に反応し、ピオニーは咄嗟に避けた。彼の顔を掠って、一旦遠ざかったそれは、しかし天井からコードでつり下がっている事もあり振り子のように大きく弧を描き再び戻ってくる。
 ディストの顔を机に叩き付け軌道から外すと、ピオニーは側にあった長めの工具を手にして、軸として戻ってきた鏝のコードをぐるりと巻き付けた。
 顔を強か打ち付けられながらも、ディストは熱線の電源に手を伸ばす。カチリと音が鳴ると赤く焼けていた鏝は鉛色へと急速に温度を下げた。
「全く、貴方ってひとは…。」
 苦情を告げるべく顔を上げると、髪の焦げる嫌な臭いが鼻についた。ピオニーの横髪が熱で縮れているのを見てはっと息を飲む。
 その視線で、ピオニーは自分の髪に手を触れさせると顔を引きつらせた。
 
「まいったな、ジェイドにどやされる…って、どうした、お前、真っ青だぞ?」
「…なんでも…。なんでも、ありません。」
 肩に置かれたピオニーの手を振り払い、ディストは彼に背中を向けた。身体が震えていた事に気付かれただろうか? 額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。
「とにかく、その辺にあるものを勝手に触らないでください。貴方に怪我でもされたら、」

 あれがピオニーの喉を灼いていたら…?

「あの鬼畜眼鏡に…。」
「サフィール?」
 心配そうな声で呼ばれ、ディストは無理矢理、語意を荒くする。
「なんでもないと言っているでしょう。」

 形すら留めない遺骸が打ち捨てられた戦場では、辺り一面にこの臭いが充満していた。それに、感慨を覚えた事は無い。
 けれど、ダアトで知った秘預言の指し示す未来に、この男はいないはずで…。

「…………洟垂れ。」
「なんですって!!!」
 反射的に睨み付けたディストを眺めて、ピオニーは腰に手をあて溜息を洩らす。
「何考えてんのか知らないが、俺も怪我なかったんだからいいじゃねぇか。」
「…ば、何馬鹿な事を言い出すんです。そもそも、貴方が悪戯をしようとしたのがいけないんじゃありませんか!」
「まぁ、そう怒るなよ。触ってみたかったんだからさ。」
 悪びれた様子もなく笑う男。その、あまりにも確かな存在を確信すればするほどに、得体の知れない不安が胸にわいた。
 それは、どんなに握りしめていても、いつか雪が溶けて消えていく事を知っているようなものと何処か似ていると心の奥底で思う。
 口元を手で隠し、ディストは小さく息を吐いた。
「焦げた部分を切ってあげますから、そこに座りなさい。ジェイドに知られると拙いのは私も同じです。」
「お、そうか?」
 酷く嬉しそうに笑い、両腕で椅子を抱え込むように座った男の仕草は、どうにも子供じみている。
 髪を切る鋏などない。が、思いあたって工作用のそれを机の引き出しから取りだす。ピオニーはディストが手袋を外して鋏を手に向き直ると、すっと姿勢を正して、瞼を閉じた。そうすると、先程までのふざけた雰囲気は跡形なく消え、触れる事さえ憚られるような荘厳さが彼を包む。
 一部だけ縮れた、しかし綺麗な金の髪を手に掴み、ディストは少しばかり動く事が出来なかった。


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