君のために、と嘘をつく


「アスラン! アスラン!」

 はい、此処に。と告げるかどうか考えて、アスラン・フリングス少将は躊躇した。
どうも、先程からの主君の呼び方を考えてみるに、彼のお側近くに常に控える『アスラン』を呼んでいる気がしてならない。
 なので、アスランは扉の前で、白い手袋を顎に宛てて思案を繰り返す。ジェイド大佐ならば、有無を言わさず押し入って、それが「可愛い」と皇帝が称するものだったとすれば丸焼きにしかねないのだろうけれど。
 クスと、口端を上げた目尻を下げたアスランは、いきなり開いた扉とそこから顔を覗かせた皇帝にギクリと身体を震わせた。
 綺麗な眉が、薄い唇が不機嫌そのものに歪んでいた。
「陛…下?」
「お前は、一体何回呼んだら俺の部屋に入ってくるんだ。あぁ?」
 唾と共に吐き出された言葉は、アスランを平身低頭して許しを乞う状態へ容易く誘った。皇帝と同じ血色の良い肌を白く変え、皇帝の足元に跪く。
 片手を膝に、片手は床に拳を落として許しをこう。
「申し訳ありませんでした。私ではなく、てっきりペットの名を呼んでいらっしゃるとばっかり…。」
「最初は、あいつだったが、途中からお前になった。」
「は?」
 慌てて表を上げたアスランを見下ろし、にやと笑う。
「扉の外にお前がいるのがわかって、用事を思い出した。」
「私がいることをですか?」
 ピオニーは、ふふんと鼻を鳴らす。得意げな表情は、四捨五入すれば四十だなどと思わせる顔ではない。悪戯な、『少年』のような造形。 
「お前と俺のつき合いの長さを舐めてもらっちゃ困るな。アスラン少将。」

 少将

 唐突に掲げられた肩書が、『用事はお前』を強調する。呼び方ひとつとっても、己を翻弄してしまう主君にアスランは思わず苦笑してしまった。そして、慌てて口元を覆い、平服する。
 どうにも、この主君相手では、なければならない敬愛など根こそぎひっぺがされそうになる。駒とその主である男の間にある一線は、油断した途端『親密さ』という真綿にくるまれ、本来の鋭さを消してしまうのだ。

「申し訳ありません。それで、御用時はいかがなものでしょうか?」
「何、お前の意見を聞きたかっただけだ。」
「どのような要件に関してかは存じ上げませんが、私ごときのものの意見でいいのですか?」
 跪いたまま押し問答のような言葉を繰り返すアスランに、ピオニーは『ははぁ』と顎を指で悪戯しながら、蒼穹の瞳を細めた。
「お前、ジェイドに何か釘を刺されているだろう?」
 ギクリと心臓は微かに不正な脈を打ち付けたものの、アスランとて前線で幾度となく戦った事のある強者。それを押し隠す事など、難しいものではない。
「申し訳ありません。何の事をおっしゃっているのか、計り兼ねますが。」
「謀り…だろ? 」
 いつの間にか、ピオニーも膝を抱えて座り込み、頭を垂れているアスランを覗き込むようにして見つめていた。
 本来王座にすわるべき相手のちんまりとした姿に、アスランはぎょっと目を剥いた。目線は、寧ろ自分のそれよりも低い。何かを乞う如く上目づかいの蒼穹に、青い髪飾りを付けた金髪がゆらゆらと揺れた。
 まじないと同じく、目の先でゆれる輝きに自然と目は吸い寄せられる。
謁見の間よりも近い主君の表情。護衛をする時以上に、近付く身体。繰り返す呼吸音も、アスランの耳を徐々に浸食していくような気がした。
 静まり返った廊下は、ピオニーに味方している。

「狡いな、お前ら」
「俺に黙って、何か決めてさ」
「問い掛けると、陛下の為ですとか言うんだよな。」

 狡いよ。

低くて響く声が、アスランの耳を覆う。

「皆、俺の為にと嘘をつく。」

 その一瞬だけ、ピオニーの声が吐き出すような溜息に聞こえた。しかし、主君の声がそこで途切れたので、追求は終わったのだとアスランは勘違いをしてしまった。
「申し訳ありませんが、私は執務に戻らなければならないので…」
 上げてしまった瞳は、真正面からピオニーの目を見つめる事になった。主君と正面がら瞳を会わせて、先に逸らす無粋さをアスランは持ち合わせていない。
 
「なんで、ジェイドは自分の音信が不通になったら、グレンを寄越せなんて命令を残していったんだ?」


「それは、陛下のご命令ですか?」
 この水都よりも深く、そして青く感じる主君の瞳が細められる。
 この聡い主君は形式を嫌う。
 重んじるところに手を抜く事はなく、敬意は払うものの、まわりくどい装飾よりも、本質を知りたがる。その部分に関しては、アスランも同意出来た。元々、自分もそういう性格らしい。
 手にしたいと望めば、己の信念の許すかぎりどんな手段も厭わない。
そんな面倒な部分が巣くっている事も重々承知している。
 尤も、心をこめた装飾にケチをつける無粋さを持ち合わせていないところが、主君の主君たるところだろうか?

「命令…って言葉を、俺が嫌がると思ってるな?」

 クスリと笑うピオニーに、アスランも微笑んだ。
次のピオニーの言葉を待つ。
「アスラン。お前もジェイドの側にいると、可愛くない性格になるもんだな。あれが、感染するとは知らなかったぞ。」
 綺麗に描かれた眉を思いきり歪めて、ピオニーは嫌そうにそう告げる。
「そんな…、ジェイド大佐をばい菌か何かみたいに…。」
「ばい菌が嫌なら感染症。」
「陛下。大佐は常に陛下の為を思って行動していらっしゃるのです。
 一見陛下にとって不愉快な事をなさるような様子もありますが、それをばい菌だ、何だと仰るのは、感心出来ません。」
「なるほど、俺の為だな?」
 
 クスリと笑う。

「お前が、言い切るという事は、内情を熟知していて尚、納得できる内容だという事だ。納得出来ない事を、言い切るほど器用な性格はしていない。」


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