罪人たちの宴


 ピオニー

 切り裂く声が、皮膜に包まれていたガイの意識を通常の認識へと誘う。
ジェイドの腕の中で横たわる身体は、その瞳よりも明るい赤で包まれていた。自分自身の何処にも裂傷など無いはずなのに、ガイの鼓動は痛みを伴って、激しく収縮と拡張を繰り返す。

「…陛…下?」
 
 跪いたジェイドの左手は皇帝の腹部を押さえ込み、指の隙間から煌びやかな装飾が施された柄が垣間見える。青いジェイドの手袋は、そこから吐き出さされる赤い液体を吸い込んで、見る見るうちに赤黒い色に変わっていた。
 刺さった剣は抜いてはいけない…。
 ふいにそんな事を思い、しかし愛おしい皇帝の体内に埋められたものを我が手にしてみたいという欲求が、高まってくる。
 だって、さっきまで、彼は自分の腕の中にいたはずなのに、まるで決められたよう旦那の所へ行ってしまう。せめて、彼の中に残した証くらい、手にしても罰は当たらないのではないか。

「旦那…俺…。」
「ガイ、自分の手を見なさい。」

 え…?

「濡れたグローブに付いたそれは、いったい誰のものですか。」

 即されて落とした視線。持ち上げた両手は、茶色いグローブは黒ずんでいた。袖口に擦りつければ未だに乾く事のない液体は赤く布を染め、鉄の臭いが鼻につく。
 幾度となく戦場を駆け巡った身だ、それが何かなどわからないはずはない。
「…血…。」
 腕に付着する血液を持ち主を繋ぐ事が出来ず、ただ見つめた。こんなに流血すれば、命に係わる。死んでしまう。
 
 だって、姉上も…。

 突き刺された剣は、引き抜くと同時に赤い液を吹いた。どさりと倒れ込んだ身体は動く事を止める。オイルが吹いた音機関のように。
 ゆっくりと視線を戻せば、再度、皇帝に刺さる剣が目に入る。記憶と、状況がやっと繋がると同時に、両手や身体が震え出す。
 カタカタと腰に下げた剣が鞘に擦れて音をたてる。

「俺、俺…は?」

 目の前の状況が信じられなくて、確認するように向けたジェイドの背後には、無数の衛兵がその剣を構えていた。ジェイドの目は、感情を映すことなくガイを見つめる。
「ガイラルディア伯爵を、謀反の疑いで捕らえなさい!」
「はっ!」
 ついさっきまで、好意的な目で挨拶を交わしていた兵士達の、血走った目で、ガイは完全に正気に戻る。敬愛する皇帝に刃を向けられたのだ、彼等とて正気でいられるはずがない。
 もし、他の誰かが皇帝に手をかけたのなら、自分だとて容赦しないだろう。
けれど、いま、彼の存在を奪おうとしたのは…

「ジェ…「逃げます! 抑えなさい!」」
 
 抵抗の兆しなど見せていなかったガイだったが、ジェイドの叱咤で剣を振り上げた兵士達と対峙して、本能的に腰の剣を抜き打ち据えてきたそれを跳ね上げる。
追い打ちをかけるように、ジェイドの放つ譜術がガイの足元に叩き付けられたが、直接的に彼を攻撃する事はない。マーキングの為だが、冷静に判断する理性など衛兵にもガイにも残ってはいなかった。
「きさま! 抵抗するか!?」
 怒声の言葉は、ガイの背中を押した。更に打ち据えてくる剣をかいくぐり手近な窓を叩き割る。
 振り返ったガイの瞳には、生死不明の皇帝を抱きかかえるジェイドの姿が映った。ジェイドが微かに目を眇めたのは目視出来たが、声を掛ける事など叶わず、ガイは皇帝を暗殺しようと企てた謀反人として、宮殿から逃走した。



トクリトクリと心臓が脈を打つ。

 厳戒態勢となっている宮殿。多くの兵士達が表情を険しくして行き交う中、ただシンと静まり返っている部屋があった。
 白い布で幾重にも仕切られた中心にはこの部屋の主が横たわっている。
 両手や身体のいたるところに白色のチューブが纏わりつき、周囲に置かれた音機関へと吸い込まれていた。
 可愛いペット達は移動を余儀なくされ、散らかり放題だった部屋からは荷物すら運び出されていた。普段の部屋を見慣れた者達にとっては、既にこの場所は別世界になっている。常ならば控えているメイド達すら、この部屋から離れた場所へと移っていた。
 この場所に存在するのは、扉を守る兵士とベッドの横に控えるジェイドのみ。
計測器のひとつひとつに目をやり、吸入器をつけたピオニーの様子を伺う。
 眠り続ける皇帝の顔は僅かにやつれていることを除けば、造形の美はそのままだ。周囲にはびこる鬱陶しい音機関をものともしない存在感は、眠ったままの彼から確かに感じられる。
 ジェイドは微かに口端を上げた。

「…ピオニー、これが貴方の…」

 蒼白の皇帝に呟くと、眼鏡を指で押し上げる。掛けるはずの言葉は空に消え、ジェイドは音もなく部屋を後にする。機関の音が部屋を満たした。

 トクリトクリと胸が上下に動く以外、この部屋で動き続けるのは音機関だけだった。


 どうして…。

 ガイは両手で頭を抱え膝の中に顔を落とす。
 迷路の様に入り組んだ水路の一角。
 ピオニーの共をした際に、内緒だぞと教えられた宮殿と街を結ぶ通路の途中だった。未だに使われている太古の音機関は、明々とガイの周囲を照らしていた。
 その灯が余りにも明るいせいなのか、影がやけに濃い。
 薄黒いグローブの血も返り血も、その影に飲まれたように全てが黒く溶け込んでいた。

 誰かが、囁いた。

 それが身体を揺さぶり、思いもよらない行動へと己を駆り立てた。

「違っ…!」

 ガイは大きく頭を振り、否定の言葉を叫ぶ。違う、心にある言葉だった。奥底に封じなければならないと思いながら、その願いを遂げたいと願う言葉だった。
 植え付けられ種が環境を気にすることなく伸びていくように、小さな感情は、いつの間にか大きな願いへと膨らんでいた。

〜To Be Continued



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