頼むから、黙って愛されてくれ ジェピ前提。 見て見ぬ振り。 それは素晴らしい所業だとガイは、頭の中で繰り返した。 足元で、ぶひぶひと華麗に泣き叫んでいる家畜に一撃喰らわせて、もう一度行ったばかりの散歩コースに戻ればいい。 同じ事の繰り返しが不満だと言うのなら、コースを逆さから回ったってかまわない。左右反対に見える景色は、さっきまでと趣を異なるかもしれないではないか。 そんな馬鹿な考えに、無理に身体を従わせようとした時、ジェイドは前足を扉へ擦り付けようとした。ガイはしゃがみ込むと、ぶうさぎの小さくて頑丈で短い足を慌てて抱き込む。 ぶうさぎを抱えた己の姿を衛兵が見咎めて首を捻っているのが、視界の端に見えた。 (奇人変人大集合でも良い、許す。) ガイは恥ずかしさを飲み込んで、それでも、少しばかり頬を赤くし、ジェイドを腕に抱き上げる。 不満そうな、太々しいブウサギの鳴き声が腕のなかでくぐもった音になった。中に入りたい家畜の気持ちがガイにはわかり、それと共にどうしても入りたくないと否定する。けれどこの扉から離れることが出来ないとは、どういう理由なんだろう。 嗚呼、それにさっきよりも近付いてしまったではないか。 皇帝の私室とその間を遮る扉は、僅かにその間をあけていた。ちらちらと、金色の髪が見えるから、皇帝は此処にいるらしい。 それだけなら、自分も入ったさ。お前のように、意気揚々と。 ガイは言い訳を胸の中で繰り返す。 もうひとり、皇帝の幼馴染みで懐刀のあの人がいるのがわかったから、入室するのに覚悟が必要になってしまった。 何をしている訳でもないし、何かを始めようという気配でもない。 ただ、時折楽しげな皇帝の笑い声が、扉から漏れ聞こえるだけ。それを聞きつけて、腕の中の可愛い方は、腕の中で暴れはじめる。こうしていると大人しい家畜だが、それなりに体重はあるし、野生に戻る事もあるという動物だ。腕に抱き止める事は難しく、ガイに決意を強いる。 扉を開けるか、踵を返すか。 心を決めるべく覗き込んだ隙間に、栗色の髪がさらりと揺れるのが見えた。そうして…。 ふんわりと重なる。 そんな表現が相応しいと感じて、ガイは肺の空気すべてを吐き出すような溜息をつく。三十路をとうに過ぎた二人の様子をそう思う自分は、どこか可笑しいのだろうし、実際おかしい。 啄むような、触れあうだけの軽い口付け。浮かれるような熱情なんて欠片も感じられない。なのに、彼等はお互いを深く思い合っていると確信出来る。それこそ、根拠なんてない。 何だ、何だ。このタイミング。計ったようにとは、この事だ。ガイは無言で、扉を押し開く。素早い動作で、扉に滑り込んだ家畜を見つけて、ピオニーの顔が笑みを浮かべた。 「御苦労。ガイラルディア。」 足は遅めに顔を斜めにして、決して飼い主を真正面に捕らえないまま、それでも真っ直ぐに皇帝に近付くブウサギは憎たらしいほどに、その名の持ち主に似ている。 可愛くない方は眼鏡を指で押し上げて、ガイを見つめて唇で弧を描く。 「入室にはノックをするべきではありませんか? ガイ」 「お前だってしないくせに、何言ってやがる。」 ブウサギの頬(?)を両手で包み込み、自分の頬に擦り寄せていたピオニーが、呆れた声を出す。 ちらと一瞥した赤い視線が痛い。ガイは慌てて愛想笑いを顔に貼り付けた。 邪魔をしたつもりもないし、邪魔をしたいとも思わない。違う、そうじゃない。邪魔など出来る訳がない。…そこまで、考えてやはり、自分はおかしいとガイは思考を停止させる。ノック…そうだノックを忘れていた。 「貴方以外の方がいらっしゃるようでしたら、当然しますよ。」 謝罪ひとつで済む話しだと、ガイが口を開くよりも早くジェイドの言葉が皇帝に降ってくる。 皇帝は思いきりよく眉を顰めた。そうして、手には力が入ったようでジェイド(可愛い方の旦那だ)が頭をぶるぶると振り回しピオニーの褐色の手から抜け出す。 すぽんと頭を抜くと同時にふんと大きく鼻息を鳴らして、旦那(可愛くない方だ)を見上げると、なにか?とでも問うように、ジェイドも視線を向けた。 ぶうさぎにすら、その視線を向けるのは少しばかり滑稽だとガイは思う。なので、しゃがみ込むと、ブウサギの背中を頭から尻尾にかけて何度か撫でてやった。手が離れる瞬間、身震いをして気持ちよさそうに目を細め、そのうち居眠りをし始める。 暫くそれを眺めていたピオニーが、漸くをジェイドを見上げた。 「当然の使い方が、思いきりよく間違っているぞ。そもそも何で俺だとしないんだ。…てか、どうして俺だとわかるんだよ。」 「…そうですねぇ。」 口元を覆い、くくっと笑みを漏らしてから徐に振り返る。 緋色が細められると、応じるように碧も細くなった。その様子を充分に堪能してからジェイドは口を開く。 「愛とかだったら、どうしますか?」 薄く開いた皇帝の形良い唇は、白い歯を少しだけ覗かせた状態で固まった。キモイという常なる返事も出てこない。 呆けた貌でジェイドを眺める陛下を見ていると、ガイの腹の中で何かがぐるんと回った。そのうちに加速をつけて、ぐるぐる回るものは脳味噌を巻き取っていく。 脳味噌がからっぽになった後に、ジェイドの声が聞こえてきた。 「…ともかく、余り志の宜しくない輩がグランコクマに集まりつつあるという情報はお伝えしておきましたからね。私は仕事があるので失礼しますよ。」 「ああ、わざわざ悪かったな。」 お礼とともに軽く褐色の手が振られ、それを見るでもなくジェイドは部屋を後にする。細くなっていく扉から、すり抜けるように栗色の髪が消えていった。 皇帝の答えを聞いていない。 ふいに、何よりも重要な事を思い出した気がして、ガイは皇帝を振り返る。目が合うと、ピオニーはにかりと笑った。 「聞いたか、ガイラルディア。愛だとよ。」 呆れたような声。眉間に皺が刻まれる。 でも、どこか柔らく、微笑んでいるようにも見えて、ガイはぽつりと呟いた。 「愛…ですか。」 間抜けな表情を晒していると自覚はあるのだが、50個はあると言われている顔の筋肉がどれひとつとってもまとに動こうとしないのだ。 先程の旦那の台詞に、氷漬けになってしまったのかもしれないとガイは思った。その証拠に、身体中のどの筋肉も動く事を良しとしてくれない。 「確かに、俺は慈愛で溢れているがな。」 くくと笑う悪戯な笑みがガイの肩に触れてくると、身体は過剰に反応する。背中から顎をのせたピオニーは、視線をガイに向けた。吐息が首にかかるし、何より耳がくすぐったい。 「な、なんです? 陛下。」 たじろく様子にその笑みが深くなる。にいと唇の端がつり上がった。 「欲しいか? ガイラルディア、俺の愛。」 ごくりと喉が鳴ったのは、きっと知られてしまった。 「…丁重にお断り致します、陛下。」 (はい、お願いします。欲しいです。) 咄嗟に言葉が出そうになってやっと気付いた。気付いた途端にぎゃふんといった気持ちになり、足に力が入らなくなる。がくがくする、震える。 ゆらりと身体が沈み込み、おっ?と言いながら皇帝は身体を起こし、離れていく。 この歳でこんな気持ちに気付くなんて思ってもみなかった。出来れば気付きたくなかった。 ふふんと鼻を鳴らして、皇帝至極楽しそうに笑う。 「なんだ、勿体ない。仕方ないから、ジェイドにでもくれてやるか。ガイラルディアがいらないって言ったんだもんなぁ。」 頼むから、黙って愛されてくれ。 駆け引きもなにも吹き飛ばす程に、足掻いても無理なんだと知らしめる程に。 たった今気付いた恋情だが、無下になるなら早い方が良い。 伸ばせば、手に入るなんて希望は絶望よりも質が悪い。 content/ next |