逃げ水を追いかけて お前がいつも気に掛けてくれているのは知っている。俺が『皇帝』らしく、威厳を持って君臨していくことを。お前が望む俺になりたいとも思う…でも、その為の奸計を知る度に、俺から離れて行こうとしていくお前を感じて、寂寥感は拭えない。 気に入らないんだ。この距離は。 嗚呼、この歳になってやっとわかった。 逃げ水なんて奴は、追いかけて行けば遠ざかるに決まってる。でも、俺が追わずに見ているのなら、幻だろうとなんだろうと確かにそこにあるもんだ。 見えてるのに、触れられないのは寂しい。…でも、だ。見ることすら出来なくなったら、それは寂しいとか言う問題じゃねぇだろう。 俺は深呼吸をする。遠ざかっていく背中を追わなかった。 宮殿の入口へと歩を進めるあいつ。動かない俺。 このまま宮殿の衛兵に密告(とは言わねぇか)されたら、回れ右をして執務室まで走って帰ってやると覚悟も決めた。いやいや、何の覚悟とかツッコミも無しだぞ。 「陛下、我が侭が過ぎますよ。」 足が止まる。背中越し、ジェイドの声。 「我が侭で結構。」 皇帝なんざ、本来我が侭なもんだろ?親父をみりゃ一目瞭然。だったら、俺の我が侭なんて、些細で可愛いもんじゃねぇか。 大事なものを引き留めるのに、手段なんか選んでられるか。 「お前はどうでもいいのかもしれないけど、寂しいんだよ。幼馴染みのジェイドに会うことが出来ないのはな。」 「それは…。」 息を飲む気配がして、ひと呼吸おいてジェイドは言葉を続けた。振り返る事もしやがらないあいつの、表情は伺えない。それでも、続いた言葉になんとなく想像はついた。 「ご命令ですか?」 きっと、自分の事を駒だと言った時と同じ表情に違いない。 「いや、お強請りだ。」 「…いっそ…。」 声のトーンが一層下がる。 「王座に座り命令いただいた方が、暗君だと笑い飛ばせるのですがね。」 相当に怒っているらしい。今まで穏やかだった空間に、あいつの音素が溶け込んでるように剣呑だ。 一応、俺も譜術師の端くれなんで、肌にビンビン感じる。 威圧感が半端無い。 近付いてきた気配に思わず目を閉じて…。頬に手が伸ばされたような気がするも、何事も起きず…? 「ジェイド…?」 薄目を開けた。両手を後ろに組んだジェイドが、眼前−数センチ−に立っている。 嫌味たらしい笑顔で、唇は僅かに弧を描いてる。 「何故、目を閉じているんですか?いくら私でも、皇帝陛下に手を上げたりは致しませんよ。 それに、幾ら私が駄目だと言っても、貴方は手段を講じて会いにくるのでしょう?こんなところで、論争するだけ無駄です。」 あいつらしい…肯定。 「ありがとな、ジェイド。」 「眠って頂かないと、明日の執務にも差し支えますから。」 「お前んとこのソファーの方が良く眠れるんだ。今夜発見した。」 にこりと笑うと、ジェイドの口は真一文字に結ばれた。 どうやら、本当に引きどきのようだ。ジェイドの横を擦り抜けて、宮殿の正面玄関に向う。 俺の姿を見つけた警護の兵士が大慌てで近寄って来たので、そちらに気を引かれ、ジェイドの言葉を聞き逃した。 「……そのかわりどうなっても…知りませんよ。」 誰かに聞かせるように呟いたその言葉を。 next…voice is delivered
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