逃げ水を追いかけて


ジェイドは身じろぎもせずにこちらを見つめている。
感情を映さない緋色の瞳からは、怒っているのか、呆れているのか…ま、ありえんが、喜んでいるのかわからない。相手からの応えがないから、つい言い訳めいた言葉が出る。
「すまん、その…単純な理由で…。」
「…貴方らしい、理由ですよ。」
   眼鏡を押し上げる嫌味たらしい仕草で、書類を机の上に置く。そのまま無言で、ペンを走らせ始めた。
 それで、終わりかよ?
 妥当な線で、怒り3割で呆れ7割ってところだろうか。嫌味をたらたら聞かされないだけでも有難く思えとそういう事。
 ピオニーも、仕方ないかと戸口に向い、蝶番に手を伸ばした。(さすがに隠し通路から堂々と帰れんだろう。こいつに知られたら、ロクなこたぁない。)
「何処へ行くおつもりですか?」
 途端、きつい声が制する。見ると顔すら上げてないし、動いてる手は止まってない。気配だけで相手を察するのはさすがにジェイド。
…つうか、怒りが7割か…?
「いや、その、帰ろうかと…。」
「ふざけるのもいい加減にして下さい。」
 大きな音を立てて、椅子から立ち上がるジェイド。そんな音を出すと外の兵士が覗き込んだりするぞ?などと、思っていると、ドアに掛けていた手を捕まれて、ソファーまで連れて行かれた。
 乱暴に、座らされる。
「ジェイド…?」
「何処の世界に、皇帝を深夜おひとりで外に放り出す部下がおりますか?お送りしますから、其処で待っていてください。」
「此処にいても、いいのか?」
 きっと、俺満面の笑顔だ。顔の筋肉が緩んでいるのがわかる。対するこいつは、やっぱ無表情。はりついた笑みすら見せやしねぇ。
 お、溜め息ついた。
「貴方は今何処にいらっしゃるんです。仕方が無いでしょう。」
 ああ、でも本気で、寛容だよ、こいつ。
 何だ?優しい?思い切りよく相手の首に抱き付いてやる。鬱陶しげな表情すらも、近くで見れば愛嬌があって可愛いじゃねぇか、美人だし。
「邪魔です、陛下。」
 ぺっと弾かれ、ジェイドはまた机に戻る。
 ソファの背もたれがジェイドの机と向き合っているから、その上に腕を掛けて、執筆活動に励むジェイドに話し掛けた。久しぶりとか、ぶうさぎがなぁとか話題豊富に話をしていると、端整な顔が上を向く。目が合うと笑い掛けてやった…けど。
 
「…言い忘れました、煩いです。」
「…。」
「大人しく待っていてください。」
「昔は良かったなぁ。」
 さっき思っていた事が言葉になって出た。
「私は今の方がいいですよ。貴方の子守から解放されましたから。」
 涼しい声と澄ました顔。よけいに凹むだろうよ、それは。普通なら気にする事なく続けるだろう気力がぽっきり折れる。本気に重症だ。


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