逃げ水を追いかけて ※注意 まるで少女漫画です。そして、勝手設定満載。 皇帝が即位して何をしたのかと問われれば、市民は執行された数々の政策の事を告げるだろうし、軍部や議会は外交政策の大幅な変更等、国家単位での彼の意志を言うだろう。 小さな事を言えば、宮殿に使えるメイド達は、皇帝の私室がぶうさぎ小屋になったと声を潜めて(最も現皇帝がぶうさぎ愛好者なのは知られているのだが)教えてくれるのかもしれない。 しかし、実際ピオニー自身が皇帝になって何をしたのかと問われると、彼は『探険』と答えたに違いない。 其処に響く靴音は鈍い。 自分が履いているものは、固い素材でもなく高いヒール(何処かの鬼畜のような)もない。肌に馴染む柔らかなもので、なおのこと足音などしない。 そして、この通路は全て湿気を帯びている。 地下深くに張り巡らされた水脈から水が沁みている…などと言うこともはないのだが、ひんやりと湿っぽい。人がひとり、やっと通れる幅でぐるりと周囲は石造り。素材に何か混ぜ込んであるのか、地下だというのに仄明るいのが不思議。譜灯を持たなくても不自由は感じない。 こっちは行った事がないなぁ。 …そう考えて、多分。と付け加えてみる。同じような情景が続いているのだ、方向感覚が狂わされているとしてもおかしくない。 ピオニーは、顎に手を当ててふむと思案しながら、左右に分かれている道を確認する。壁に跡は無い。やはり、初めて通るところなのだろう。 手にした短剣で跡をつけた。進む方向に矢印。来た方向には×印。 皇帝に即位して半年は経つ。それでも、時折新たな道を発見するのは、これが余程複雑に構築されているせいなのだろう。 いわゆる皇帝の私室から続く秘密通路。即位した次の日に、壁を相手に鍛錬をした時に気が付いた。そうして探ってみると、入口もひとつではなく幾つも用意されている。 逃走用か、この街を建築したときの名残か…。しかし、ピオニーがこれらを発見した際に考えた事は、そんな論理的なものではなく『面白そう』だったのだ。 忙しさと不慣れで目がまわりそうな状態だったのは、三ヶ月程。今ではしっかり要領を得て、自分の時間を確保出来るようになった。 しかし、そうなるとやっかいな感情が浮かび上がってくる。 寂しい。 常に自分の横にいてくれた幼馴染みとも、朝の会議で顔を見る程度の接触しかないという事実が無性に心寂しく感じる。 皇太子の身分だった時も、それなりに不自由な暮らしを虐げられてはいたが、皇帝になった今、それですら自由だったのではないか…と思えるほどだ。 自然と脚が止まり、深い溜息が漏れる。 「昔は良かった…なんぞと思うかよ、俺が…。」 目に掛かる金糸を掻き上げて、苦笑した。随分と弱気になったもんだ。 口を開けば悪態ばかりで、共に戦地に向かえば人使いの荒い男だったが、どうやら依存していた事は認めざる得ないだろう。 今だもって、有能な部下の一人であることは確かだが、あの頃の気の置けない…それでいて背を預けることを可とする安心感を自由に手にすることは出来ない不自由。個人の感情で左右出来るほど政治という代物は甘くも無く、権力のもつ効果なんてそんなものだ。 そこにあるように見えて、触れられない。実は結構これが辛い。 幼い頃に、見たあれのようだなと思い立ち、ピオニーの表情は憮然としたものに変わった。この歳になっても、人生におけるやるせなさなんて代物はどうやら変わらないものらしい。 「お?」 曲がった先は、行き止まり。目の前には梯子。そのまま視線を上に向ける。天井に続くそれ。手をかけて、一段だけ昇り体重を掛けてみる。よし、行ける。 両手が天井に届く高さになると、そこに譜陣が見えた。結構単純な封印を解けば、人が一人通れるほどの穴が出来上がる。 さて、今度は何処へ出るんだ。 この前見つけたものはグランコクマの街の一角に通じていたし、海に面した崖に出られるものもあった。ガキのように胸を高鳴らせて、出てみると部屋。 住宅というよりは、事務室。びっしりと資料が詰め込まれた棚が周囲を覆い、真ん中に机。前にソファー。比較的小綺麗に整理されている。 「…どこだ、此処…。」 面白くもなさそうな部屋に苦笑する。並んでいる資料を見ると「軍本部か…?。」 まぁ、皇帝の私室と繋がっていても不思議はないだろうと納得した。 深夜にも係わらず、譜灯が点いているという事は、この部屋の持ち主は未だ此処にいるということだ。ならば、長居は無用。帰ってこないうち退散しないと不味いだろう、そう思った時、最悪のタイミングで扉が開く音がした。 「げ…まず…。」 「貴方は…!」 振り返って、驚きの余り言葉が出ない。資料を片手にドアを開けた人物は、余りにも見知ったあの男だった。 「…ジェイド…。」 「どうか、なさいましたか?」 外にいるらしい見張りの兵士が声を掛け、ジェイドは「いいえ、何も。」と声を鎮めて扉を閉じた。 射すような赤い瞳が懐かしいと思うあたり、重傷だとピオニーは思う。 「時々私室を抜け出されると噂には聞いておりましたが…。」 「いや、その…。」 「手段など聞いても仕方ありませんね、貴方は脱走の名人でしたから。何故此処に?」 何故…。偶然…いや、そうだ。 「お前に会いたかったんだ。」 すとん。何の躊躇いもなく言葉が出た。 content/ next |