Fly Me to the Moon 譜業椅子の肘掛けに、ちょこんと横座る少女が口ずさむ。それは古い古い、懐かしい曲。金の髪がさらさらと夜風に揺れて、薄桃色の唇から零れる歌声。 In other words hold my hand In other words darling kiss me 深い意味など、ないのだと何度頭で繰り返せばいいのだろうか。年若い娘が歌うにして古いが、こんな満月の夜に相応しい曲ではないか。 『私を月まで連れてって』 ディストは深く椅子に腰掛け、少女がいるのと反対側に肘を乗せ顎を置く。 不機嫌そうな表情は、勿論つくりものだ。そうでもしないと、月明かりに浮かぶ少女の横顔に不躾な視線を送ってしまうのだから、我ながら始末が悪いとディストは思う。 こうやって、空の散歩に出てからどれ程の時間が経っただろう。 常に少女に甘い鬼畜眼鏡でも、いい加減痺れを切らしている頃合いだと推測し、ディストは意を決したように、ピオニーの方を向いた。 「もう、戻りましょう。」 「サフィールはムードが無いな。」 呆れた表情で、ピオニーはディストをいなす。すんなりと細い腕を組み合わせて、眉を顰める。月を思わせる、琥珀がすっと細められた。 「こんなに可愛い女性とふたりきりでデートをしてるのに、そんな言葉しか浮かばないのか?」 「で、デートって、これは貴方が宮殿が退屈だから、散歩だと言って…。」 「そんなもん。口実だろ?」 「な、な…。」 「せっかく好きな相手を誘いだしたのに、何も無しじゃあ、つまらんだろう。」 「馬鹿な事言ってないで、帰りますよっ! ジェイドに何を言われるか…。」 譜業椅子の向きを変えようとしたディストに、ピオニーはむっと頬を膨らませた。両手を肘掛けにのせたまま、じりと下半身を先端にずらす。 「今、宮殿に帰るって言うのなら、ここから飛び降りる!」 譜業の下は大海。脅しだとは思うものの、じっと見つめる瞳はいつも以上に真剣だ。駄目です、ああ、全く…。 「わ、わかりました! やめなさい!!」 思わず腕に手を伸ばし胸元に引き寄せる。にやりと笑う確信の笑みはまるで小悪魔。確か、父親は大魔王だったと思い出した。 少女を膝の上に置き、それでもそっぽを向いて口を閉じたサフィールを見遣って、少女はもう一度夜景に目を移す。再び口ずさむ歌は、先程と同じもの。 「私は、貴方の父親のように素晴らしい男でも、ジェイドのように才能溢れる天才でもありませんよ。」 サフィールの言葉に、少女は微笑んで続く歌詞を口にした。 In other words please be true In other words I love you 流石にあの男の血を引くだけあって、人の機微にはなんとも聡い。落としどころを心得すぎだとディストは思う。 「貴方は皇帝。私は、ダアトへ亡命した犯罪者です。それに、言葉通り、親子ほど歳が離れているんですよ。わかって、いますか?」 「障害があるほどに恋は盛り上がると、父上ならそう言うはずだ。」 ケロリと返され、豪快な幼馴染みを脳裏に浮かべて、ディストは即座に納得する。全く、あの親ありてこの娘ありだ。 「それは違いますよ、ピオニー。」 額に指を置き、ディストは銀の髪を掻き上げ溜息を付いた。 「不本意ながら恋ではありません。私はどうやら愛しているようです。」 この娘の為に両親を蘇らせてやりたいと望んだ時から、私はもう囚われていたのだろう。笑う顔も、拗ねた表情も、泣き顔も全てがただ愛しくて。 「証明してみろ。」 頬を薔薇色に染めた、愛らしい花が瞼の中に琥珀を隠した。つんと突き出した唇は小さくて可愛らしい。色を付け綻びかけた蕾のようだ。 触れあうだけの口付けを今は贈ろう。 ディストも目を閉じながら考える。彼女が大輪の花となる頃には、きっと私の忍耐はブチ切れているだろうから。 月だろうとなんだろうと、連れていってしまう。 それは 私の手を握ってってこと それって キスしてってこと 肘掛けに置かれた少女の手に重なる指先とその唇は、彼の性格を示すように、躊躇いがちに重ねられた。 〜fin
恐らくこの後、ジェイドに撃ち落とされたと思われます。(笑 どこら辺が、カッコイイのかは気にしないで下さい。 content/ |