どうか終わらぬように


『 世界は未だ未曾有の混乱の中にあった。
マルクトを統治する二十歳に満たない少女の辛労は想像を絶する。けれど、今彼女を悩ませているのは、全く別の問題であった。


「見えない。」

 ムスっとした声が、ぷっくりとした桃色の唇から漏れる。不機嫌そうに、碧い瞳が揺れると、絹糸を思わせる金がさらさらと左右の肩を滑った。
 ぶうさぎ達が、ぶうぶうと歩き回る床の上に胡座をかいて座っている彼女の手にはマニキュアの瓶。けれど、どうしても、見えないのだ。
 ピオニーはフウと溜息を付いた。
「AがCになったのは、嬉しかったんだけどなぁ。」
 けれど、これは予想外。ムムムと乾かないように蓋をしめた、瞳と同じ色の瓶を床に置いて腕を組んだ。
 下を向いた彼女の視線に写るのは、上質な白いレースを幾重にも重ねたふわりとした上着。そしてそれを視界いっぱいに広げているピオニーのお腹だった。
 思案していると、扉を叩く音がする。入れと命じ、顔を上げるとルークが覗き込んでいた。チームがこちらへ帰港していると聞いていたから、渋々ながらのご機嫌伺いだろう。
「え〜と、陛下にはご機嫌麗し…「調度良かった、こっちへ来て手伝ってくれ。」」
 ピオニーは、そういうと目を瞬かせているルークの前にポンと素足を投げ出した。



「なんだ、かんだ言って。決めちまったらやること早いよな、旦那は。」
 戦況の激化と周りの勧めで、ジェイドとピオニーが内々に結婚したのは半年前の事だ。最後まで反対していたジェイドを陥落させたのは、勿論ピオニーのおねだりだった。
「いつ種なしになるかわかりませんからね。全く年寄りに酷な事です。」
 ジェイドは指で眼鏡を押し上げながら溜息をつく。はははとガイは笑った。
「若い嫁さんを貰ったら苦労するものらしいぜ、旦那。」
「ああ、貴方には一生掛かっても出来ない苦労かもしれませんねぇ。」
 食えない笑顔と共に吐き付けられる毒に、大きなお世話だぁああああとガイが叫んだ直後、皇帝陛下の自室から頬を赤らめた、涙に目を潤ませたルークが飛び出して来た。
「ガイ〜〜〜俺には出来ねぇ〜〜。」
「な、何やってんだ、ルーク。」
 ルークの掴んでいるものをひょいと取り上げ、ジェイドは嗚呼、水色ですねと溜息を付いた。
「マニキュアです。」
 部屋の高級そうな絨毯やら床に、落書きをしたように同じ色が塗りたくられている。そうして、床に座り込んでいる皇帝に視線を移す。
「陛下。」
「俺が悪いんじゃない、ルークが不器用なんだ。」
 極まりが悪そうに頬を膨らませたピオニーが、足を隠すように近くにいた可愛いジェイドを抱き締めた。
「だって、お腹が大きくなってて自分じゃできないんだもん。」
 ジェイドは大きく溜息をつくと跪いた。
「私がやりましょう。足を出して下さい。ガイ、そこの棚にある白い瓶をとって。」
 はいはいと言われた通りに、持ってきた白い瓶を見て彼女は盛大に顔を顰めた。
「ジェイドぉ。」
「我が侭は許しません。貴方には皇帝としての品位もあるんですから。」
 大きなお腹に酷くアンバランスな細い足首を捕らえて、ジェイドはゆっくりと筆を動かす。不貞腐れていたピオニーの顔も両足を塗り終わる頃には元に戻り、ジェイドは『良くできましたと』足先に口付けを落とした。
「貴方が元気でいてくれて何よりですよ。」
 頬を染めてピオニーが笑う。ゆっくりとお腹を撫でる。
「凄く大きくなったろう? この頃は中で動くんだぞ。きっと、男の子だ。」
「おやおや、私は一姫二太郎が理想だと思っていたんですが…。失敗しましたねぇ。」
「俺はその方がいい。ジェイドそっくりの男の子が欲しい。」
「私そっくりですかぁ。思わず首を絞めてしまうかもしれません。」

 本当にやりかねん。
「…。」
 無言で顔を見合わせたルークとガイは、どちらともなく視線を逸らす。ジェイドそっくりの小生意気なガキ。首をとまでいかなくても折檻のひとつもしたくなるかもしれない。

「ほら、ジェイド。」
 ピオニーは強引にジェイドの両手を掴み、お腹の左右に手を置かせた。
 ジェイドは躊躇いがちに触れた指に力を込める。己が手を触れたら、壊れてしまいそうなそんな気がしたのだ。
 俄に、掌はうねるように動き感じた。不可思議な感覚は、ジェイドから貼り付けていた笑みを剥がさせる。
「今、動いたろ? きっと、父親がわかるんだ。やはり賢い、お前似だジェイド。」
「陛下。」
「ピオニー…だ、そう呼べジェイド。今は目の前にいるのは、貴公の伴侶だ。好きな女を呼ぶ時に、お前は敬称を使うのか?」
 微笑む顔は幼さを脱ぎ捨てた、慈愛に満ちた表情だった。

 何処かで見たことがある。
 ジェイドはそう思い、彼女を身籠もった時の妹の顔を思いだした。
 (苦労しますよ)と告げた自分に『兄さん、私凄く幸せなの。』ネフリーはそう言い、綺麗に微笑んでいた。

「ピオニー。」 
 ジェイドは彼女を胸元に抱き寄せた。何もかもが愛おしい、己を支配する圧倒的な感覚なのに、全てが腕の中に収まってしまう。
「きっと、この感情を幸せというのでしょうね。」
「何だ、今頃わかったのか?」
 ジェイドの肩口に頭を預け、ギュッとジェイドを抱き締め返すとピオニーはクスクスと笑った。
「俺なんか、ずっと前から知ってたぞ。」
「恐れ入ります。」
 ジェイドは、そう言うと啄むような口付けを彼女に落とした。

「うわ〜〜。陛下すっごいお腹ぁ。」
「順調ですの? 此処に赤ちゃんがいらっしゃるのですね。」
「あ、あの私、触ってもいいかしら?」
 華やかな声と共に、チームの女性陣が部屋に雪崩れ込んで来たのは、抱擁していた二人が離れた後。ジェイドを押し退けるようにピオニーを囲み、お喋りが始まった。
 妊娠すると胸に谷間が出来るだの、それでもティアよりは小さいだの。見せるだの見せろだのという話になってくると、無言のうちに男性陣は部屋を後にした。
「守んなきゃいけないな、ジェイド。」
 ルークはそう言うと笑った。「生まれてくる子供の為に、この世界を。」
「当然です。誰にも奪うことなど許しませんよ。私を誰だと思っているんですか?」
 そう告げ、眼鏡を指で押し上げる。ガイも微苦笑を浮かべた。
「本気の旦那に敵う奴はいないんじゃないか?」


 この幸せがいつまでも続きますように。どうか決して終わらぬように。


〜fin



 ジェピオ夫婦設定で、妊娠してお腹の大きいピオのリクでした。
 14歳の母(笑)でも、アビスは3年間のお話だそうですので、16歳位ですね。
 生まれる子はジェイド似が希望(笑 でも中身は陛下寄り。そして父親と、母親の主権を争ったりするのですよ。
「父様が母様を独り占めしててずるいよ!」「彼女は私の女です。貴方には渡しませよ。」…ひたすら大人げない方向でひとつ(笑


content/