屋外 澄み渡る青い空。何処までも続く青い海と白い砂浜。 三文小説の出だしに似つかわしい、使い古されたフレーズは、しかし目の前の光景と、ぴたりと一致する。 「暑いなぁ〜。」 手を止めて顔を上げた皇帝の額に光る汗が、つっと流れていく。 褐色の肌にそれは良く映え、金の髪や空と同じ色の瞳がキラキラと輝くのを見るのも不快ではない。目前の景色そのものが、彼の色合いだと言っていい。 けれど…。 「そうですねぇ。」 ジェイドは溜息を付きながら、手にしたブラシを下へ垂らす。ボタボタっと落ちる泡。『ぶひぃ』という声が否応なく耳につく。 目の前の丸々と肥った患畜をいっそこのまま、真っ黒に日焼けさせてやろうと考えたジェイドの思考を素早く察知したピオニーが、横からぶうさぎを引ったくった。 「お前、譜術を唱えようとしただろう!?」 相変わらず、無駄に勘のいい男だと舌打ちをして『いいえええ〜陛下。』と微笑み返した。 「いいや、俺の『可愛いジェイド』が脅えている、絶対そうだ。」 ピオニーは泡だらけのぶうさぎを両手で抱き締めたまま、ジェイドを睨む。凝視したのちに、益々眉間に皺を寄せた。 相当の紫外線を浴びているはずなのに、日焼けもせず、汗のひとつも額に滲む事がない寒々とした美貌。手袋を外し、袖を捲り上げてはいたが基本は長袖にブーツの重装備。 「…真夏のビーチに、ここまで似合わない男はいないな…。」 「好きで来ているわけではありませんから。だいたい貴方がその患畜の皮膚病には海水がいいからと、こんなところへ来たがるからですよ。」 「ガイラルディア一人に押しつければ良かったじゃないか。」 「畏れ多くも、マルクト帝国現皇帝陛下を剣士ひとりつけただけで、宮殿から追い出せるわけがないでしょう?何人卒倒させれば気が済むんですか?」 憮然とした皇帝は『柔軟性がたらん』と文句をひとつ。 けれど、それ以上は意に介する事もなく、笑顔でブウサギを洗い始める。 皇帝領直轄の浜辺。いわゆる別荘という場所だけはあって、風光明媚な上に煩い人間などひとりもいない。 けれど、そのどこまでも白い砂浜は、ぶうさぎの入浴場となり果てていた。ガイは、傷口に海水が沁みて逃げ出したサフィールを追いかけて帰って来ない。 「陛下、そろそろ真水で流して…。」 ジェイドが言い終わる前に、勢い良く吹き出した水は彼を直撃する。全身がずぶ濡れになるのと、ピオニーの笑い声が響くのとほぼ同時。 余程面白いのか、ホースを持つ手が振るえ、水色の瞳は涙すら讃えている。 「おふざけも、いい加減にしてくださいね。」 ジェイドの口角がひくりと上がった。 波打ち際に押し倒して、ジェイドが相手からホースを奪い取った頃には、お互いにひと泳ぎしたような状態。 幼い子供でもあるまいし、下着まで濡れそぼるというのはどう考えても情けない。 「貴方というひとは…。」 睨み付けても、頭からぼたぼた垂れ落ちる雫に、冷てえと目を細め笑いは止まらない。呆れるほど無防備な屈託のなさに、ふいに愛しさが込み上げる。 「成程。誘っていらっしゃると…。」 「ばれたか。」 不敵に笑い、ジェイドの首に腕をまわして自ら唇を重ねてくる。焼けた砂地よりも熱い口付け。どの熱さにか、息が上がった。 「随分と大胆でいらっしゃる。」 「いいじゃねぇか、ふたりきりだろ?」 一瞬の間。しかし、ジェイドはクスリと笑い、そうですねと、今度は彼自身が覆い被さる。どうやら開放的な空間で大胆不敵になるのは乙女だけではないらしい。 疑問と言えば、サフィールを腕に抱えたガイが、浜の入口で立ち竦んでいるのに気付いているのか、いないのか? 〜fin
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