欲求不満


 どろりとしたものは、赤くない。
鮮血とは赤くないもの。人間の表皮に這わされた血管は、濁った血を流すものだから美しい色はしていないのだ。それに、体内にある様々な体液が混ざり合ってしまうと血がますます赤という色からはかけ離れていってしまう。
 だから、これは正しく生物の血液だろう。

 おまけに、人の形が残っている。

 咀嚼という行為をせずに体内に取り込み、その体液で蛋白質等を分解、粘膜から吸収するという栄養摂取をする生物だ。生きながら溶かされるという気分はどういうモノかと思うと、健やかな気持ちにはなれなかった。
 もっとも、怪物も動かぬ肉塊となり果ててはいたが…。


 ジェイドがぼんやりとそんな事を考えていると、胸元に刃物が突きつけられ大きく着衣を引き裂かれる。合わない焦点を、無理矢理自分の上にいる人物に向けた。
 服を引き裂いたものと同じ短刀を翳しているピオニー。そのまま振り下ろし魔物に噛みつかれた部分に刃を差入れ、裂く。
 神経はまともに作用しているらしく、鋭い痛みがつま先にまで走る。うめき声が口元を割った。
 しかし、こぽりと湧きだした血を、躊躇う事なくピオニーの薄く形よい唇が吸う。
皮膚を吸われる感覚と、彼の髪が胸板を擦る刺激。痛みとは別の感覚が、背筋を通っていった。
 息の続く限り吸い、横を向くとそれを吐き捨てる。唾液と混じった血痕が、鬱血した唇から顎そして地に落ちた。
 それを幾度が繰り返すうちに、目元は赤く染まり、酸素不足のせいか息遣いも激しい。えづいて唾液を吐く姿も、瞼を閉じる姿もどこか堕情的だ。


この手が動いたなら…。


「おい…。」
 自分に跨ったままのピオニーが声を掛けた。澄んだ青は、潤んでいる。
「…死にかけてるのに、笑うな。」
 そう告げられ、グミを口に押し込められる。
 
 ああ、そうでしたね。

「御立派な処置です。少し楽になってきました。」
 体内の音素を浄化してくれていたのだろう、先程までピクリともしなかった腕が意思に従う様子を見せた。獲物を毒で動けなくしてからゆっくりと食す。理には充分かなっている。

「お前と俺以外は死体だ。」
 口元を袖で拭いながら、ピオニーは周りを見回した。流れる雫は貼り付いた血を吸い取り、ぽたりぽたりと胸元に落ちる。
「とんでもない怪物だったな。俺を殺すだけのつもりだったんだろうが…。」
「こうなると、暗殺と呼べるかどうかも怪しいですね。」
 首謀者とおぼしき人物も含めて、当事者は洞窟の奥に骨と皮になりはてて積まれている。大儀も名分もあったものではない。

 はぁと小さく溜息を付き、ピオニーが自分の胸元に倒れ込む。
労うように、血で固まった金糸を優しく撫でてやるとまた、小さく息を吐いた。

「救援は望めますか?」
「連絡が途絶えれば、捜索隊が動くだろうさ。マーキングも抜け目無く残して来たんだろ?」
「ご推察の通りです。では、今しばらくは時間がありますね。」
 そろりと動き出した手に身体が震える。
「…なっ、お前何考えて…。」
 この世ならざる者をみつけてしまった哀れな民のように、訝しい顔で後ずさろうとするのを、両手で捕らえる。自分同様に、皇帝の服もあちこち引き裂かれて、直接肌に触れるのに何の邪魔もない。
 抗議の瞳が自分を睨んだ。

「お、前なんて、放っておけ…ば…良かっ…。」
 吐き捨てる唇を塞ぎ、咀嚼するように味わう。

 自分の横で肉塊になったモノとの共通点が脳裏に浮かんだ。
己も怪物もただ、欲求を満たしたいだけだ。


〜fin



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