ero01.html 密やかに雨の降る夜。 『一番注意が必要なのはこんな夜です』と、ジェイドは警備兵にそう告げたが、まさしくその通りのようだ。 軍部から街へと向かう道、雨粒はその姿も音も闇の中に吸い込まれてしまい、響いている水音に隠される。隠されてしまうのはそれだけでなく、足音も足跡も気配もすべて湿った空気の中へと姿を消した。 傘にあたる雨音でさえやけに密やかで、響いているのは自分が履いているブーツの踵を鳴らす音だけ。追っ手の気配を少しでも脅威に感じていただけるなら幸いなのですがねぇと溜息を付く。もちろん相手にそんな思慮は皆無なのだ。 「いつの間に抜け出したんですか?」 場末の酒場。薄明かりに照らされて、ぼんやり浮かび上がる絹のベール。その下から覗く蒼天の瞳が驚いたように瞬いた。 「ばれたか。」 小さく呟いて、親指で唇を濡らす酒を拭う。ジェイドは誘われるままに彼の隣に座った。 「ばれますよ。」 「お前以外には、ばれなかった…だろ?。」 そういうと、皇帝陛下はくくっと楽しげに笑った。警備体制について再度の見直しを提案しなければと、ジェイドは一人語ちる。 「折角来たんだから一杯つきあえよ。」 「ええ、そのつもりです。」 寡黙なバーテンダーに透明度の高いアルコールを注文する。皇帝のグラスを覗くと、彼の肌と同じ褐色の液体が揺れていた。 店内も同じだとジェイドは思う。薄茶色の明かりに揺れ、客達は皆、己の世界にのみ淀んでいる。カウンターで飲む自分達に関心を持つものなど、誰もいない。 「しかし、おひとりとは、侘びしいものですね。」 「ひとりじゃないだろ?。」 目元を赤く染め上げて、見上げる潤んだ瞳。唇だけが笑みの形を描く。 『待っていた』と告げる彼の言葉に、ジェイドは嗤う。 「では、目を閉じたらお仕舞いにしましょう。」 謎かけのような自分の言葉に、ピオニーの瞳に怪訝な光が宿る。 ジェイドはただ笑みを浮かべて、皇帝の顔を隠していたペールを持ち上げた。 挑むような瞳と唇が重なる。 貴方は皇帝で、私はそれに仕える軍人。 自分の中に浮かび上がる地位や立場を否定出来るのは、貴方の瞳以外にはない。 涙という雨が蒼天濡らし、瞼が隠すまでの僅かな時間の後、定められた言葉が紡がれる。 「さあ、お戻りください。陛下。」 〜fin
content/ |