デ・ジャ・ヴ


 最初は添えられていた指に力が籠もる。
 ぐっと押さえつけられて、口からも鼻からも息の出し入れが出来なくなった。
 子供なんだから首も小さくて細い。その手の力に骨が軋んでいく。
 目の前から徐々に色が消えていくのと同時に、目頭が熱くなるのを感じた。


 自分は死ぬんだ…涙を流してそう思った。
 

 夜中の電信は、いつも不穏だ。
 何故なら取るに足らない事なら、明朝にすればいいからだ。
わざわざ夜にしてくるのだから、ロクな報告なはずが無い。
 そのロクでもない報告をする為に、ジェイドは眼鏡を指で押し上げるいつもの癖を見せながら、上司である−ピオニー9世陛下−の私室に向かう。どうしてだか、こんな面倒事は自分の役割になっている。
 私室の扉に何度かノックをしても、今日に限って返事が無い。
 寝付きもいいが、野生動物並みに目覚めもいい事は、幼なじみである自分が一番良く知っていた。ぶうさぎなんぞと寝室を共に出来るのもそれ故だろう。
「陛下?」
 夜中は、お付きのメイドもいない。扉に手を掛けてノブを回すとすんなりとそれは開いて、ジェイドを招き入れる。不用心にも程があるが、彼らしいと言えばその言葉に尽きる。
再度、呼び掛けようとして彼がソファーベッドに座り込んでいるのを見つけた。
 片手で顔を覆うようにして、俯いている。
「どうしました?」
「…悪いな。…嫌な夢を見たもんだから…。返事が遅れた…。」
 上目使いで自分を見る瞳が微かに潤んでいる事に、ジェイドは驚く。
 それなりの経験を重ねてきたのはお互い様だ。いい年をした男が、泣く程の夢を見るなど滅多にあることではない。

 ピオニーにも自覚があるのだろう、ジェイドとまともに視線を会わそうとはしないし、頬も僅かに紅潮してみえた。
「ジロジロ無遠慮に見るなよ。仕方ねえだろ?あの夢だけは、今でも怖いんだから。」
 ジェイドの目が感情を示す様に僅かに見開かれる。
「殺されかけたときの夢、ですね。」
「……まあな。」

 ピオニーが、前髪を掻き上げるとさらりと手から零れた。そのまま、手を自分の首に当てて感覚を確かめるように触れる。

 それはジェイドにもある共通の思い出だった。
目の前の男〜当時は子供だったが〜が、首を絞められているのを見た時の自分の反応は今でもしっかりと覚えている。

「お前らが助けに来てくれたんだよな。」
「扉を壊したのは私です。その後にサフィールが、男の足にしがみついて、ネフリーが貴方を引き剥がしました。そして、私が習い立ての大した威力もない普術を不逞の輩に試させて頂きました。」
 その答えにピオニーは苦く笑う。自分が気が付いた時、その男は火だるまになっていた。おまけにその足には…。
「サフィールごと…だろ?」
 しかし、『緊急で動揺していたんですよ。大した問題ではないでしょう』と返事がかえる。今更ながら、あの男の不運さ加減に笑いが漏れる。
「…そう言えば、いつか伺おうと思っていたんですよ。」
「何を…だ?」
「あの時に、どうして護身術を使用しなかったのですか?」
 ふっと唇から、溜息のような吐息が出るのをジェイドは黙ったまま見つめていた。
上目遣いに見るピオニーの瞳が、嫌な事を聞くと訴えている。
「なんか…一瞬だけだったんだが、『俺が死んで、目の前のこいつが楽になるのならそれでもいいかなぁ…』なんて思っちまったんだよな。そしたら抵抗出来なくなった。」
 お前の親父に子供を殺された。
 男は涙を流しながら訴えてきた。必死の形相っていうのは、こういう顔を言うのだろう。
 到底、自慢にはならないけれど、命を狙われた事なんて何度でもある。でも、仕事として自分を殺しに来たのではない者と対峙したのは初めてだった。
 相手の感情が、自分の心を拘束していた。全てを掛けた憎しみとか悲しみとかの感情を、直接にぶつけられるとこんなにも強烈に掻き乱されるものなのだと思い知った。引きずられて、墜ちていくそんな感覚だった。

幼かった、それもある。
『同情』という馬鹿げた思いだったのかもしれない。
けれど、ほんの一瞬だけ『生きる事』を手放し掛けた。

 あっと思った時は、死は目前に迫っていた。そして、それは恐怖で満ちていた。
 未だに忘れることが出来ないほどに…。

 声が出たのかさえ定かではないけれど、助けてくれとそう言った時に、扉から飛び込んできたジェイドの顔が目に入った。
 いつも表情ひとつ変えないはずの友人の顔は、あきらかに色を変えていて。
必死に伸ばした手はジェイドに届かなかったけれど、何か叫びながら手を伸ばしてくれたのまでは覚えている。
 そこで、一端意識は途切れてしまった。

「…死をあれほど怖がった俺が、他の奴らの死を処理する商売をしてるなんて…皮肉なもんだな。」
 瞬きをすると目尻に微かに溜まっていた涙が頬に流れていく。潤んだ蒼い瞳は諦めと憂いを含んで、ジェイドを捕らえた。

「………陛下、その目は反則です…。」

 聞き咎めて言葉を乗せようとした唇が開く前に、ジェイドは静かに彼の動きを止めた。


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