朱猫現る 降り止まぬ氷雨。ふるふると身体を震わせていた赤毛の仔猫は、通りかかったガイをじっと見つめる。翠の瞳が泣いているようでガイは思わず手を伸ばした。 玄関で、陛下が小首を傾げる。片手でお腹を押さえたガイは、もう一方の手で傘を畳もうとして悪戦苦闘している。それをじっと見つめながら、陛下はつんと鼻を突きだして、ガイに向かってひくひくと動かした。 何かを問う様子で鳴く。 「あの、怒らないでくれよ? 陛下」 機嫌を伺うように、ガイは陛下を覗き込む。陛下はガイの懐に視線を向けたまま動かない。 『いいから、出せ。』 そう告げるが如く、ふさふさの尻尾を左右に大きく揺らした。 ガイは上着の間に手を入れると、片手に乗るほどの仔猫を取り出した。 温かなガイの懐の中から急に外で出されそうになり、仔猫はガイのシャツに小さな爪を立てて抵抗する。 「痛っ、あ〜そんなに怖がらなくてもいいって。」 宥める言葉を掛けながら、両手で抱いて玄関マットの上に置いてやる。心細げにおぼつかない足取りで周囲を眺めた。 けれど、その視線が陛下とぶつかった途端、仔猫は硬直した。 先端がオレンジ色の耳を後ろに倒し、ぺっぴり腰。短毛の長い尻尾は、床に落とされたまま動かない。 弱々しい声で鳴く仔猫に、陛下は顔を近付けた。 「へ、陛下?」 びくりと端で見ていてもわかるほど、身体を揺らした仔猫の顔を、しかし陛下はゆっくりと舌で毛をなぞる。ギュッと瞑った眼がおそるおそる開いても、陛下は気にする様子もなくその瞼や額を毛を舐め取った。 雨に濡れていたのだとガイが気付いたのは、それから直ぐの事だった。 温かなミルクを与えて毛を乾かしてやると、短いけれども、赤毛がとても綺麗な仔猫。翠の瞳もくるくるとよく動き可愛らしい。 ガイは自分の夕食と陛下の晩ご飯を作りながら、二匹の様子を伺った。 最初の歓迎ですっかり懐いてしまった仔猫は、陛下にまとわりついている。 大きくてふさふさの尻尾が特にお気に入りで、床に寝そべっている陛下の後ろから、背中を丸めて飛び掛かってみたり、下に入り込み四肢で抱え込んで舐めてみたりと好き放題暴れていた。 陛下は適当に仔猫を遊ばせ、夢中になって力加減が効かないようだと軽く咬んで、教育的指導を入れる。そうして、すっかり安心したのか陛下に寄り添って、丸くなって眠ってしまった。なんだかとても微笑ましいとガイは思う。 「陛下、御苦労さま」 近くに餌を置いてやるとちらりと視線を寄越して、陛下は尻尾を揺らした。 「こいつ迷子みたいなんだ。もう暫く、うちに置いてもいいかな?」 ガイの問い掛けには顔を見て鳴いた。『仕方ねぇなぁ』ガイには彼の声がそんな風にも聞こえた。 「…という訳で二匹になって、あ、名前は『子爵』。…で、相談というのは、昨日から夜遊びに出掛けた陛下が帰って来ないんだよ…また、別宅だよな。なんだか、行き先が増えたみたいでさぁ…。」 黙って話しを聞いていたジェイドは禍々しい笑みを浮かべた。 「ああ、ガイは知らないんですね?」 嫌な予感に顔を引きつらせたガイに、ジェイドは留めの一言を放った。 「新しい仔猫が来ると、前からいた猫は家出するものらしいですよ。」 冷水を浴びせかけられたように、ガイは顔色を失っていた。 content/ |