家族団欒編


 グランコクマの宮殿。皇帝の私室からガイを呼ぶ声がした。連日続いている会議からガイはやっと解放されたところだった。
 マルクト帝国に皇帝が戻り、彼の告発により、前皇帝夫妻を暗殺した罪状軍部からも貴族院からも数人の逮捕者を出していた。
 国を上げての人員不足のせい、貴族に復帰したばかりのガイまでも忙しく働いている。
「なんですか? 陛下。」
 戸を開け放したままの扉から、ピオニーが顔を出している。
「なぁ、ガイラルディア、赤毛の嫁さん。」
「ええ。」
 困った表情に変わるガイを見て、彼はほがらかに笑う。
「なんだよ。勿体ぶってないで早く連れてこいよ。」
 どう返事をかえそうかと思案顔になったガイの後ろから、アスランが声を掛ける。
「駄目ですよ、陛下。ガイの伴侶はキムラスカからこちらへ移住なさって間がありません。落ち着かれたら改めてご招待すると、何度申し上げたらわかるのですか?」
「アスランは真面目だなぁ。俺は虐めたりしないぞ。」
 むすりと表情を曇らせて、ピオニーは扉に手を掛ける。
「恐れ入ります。それより陛下、お預けしておいた書類の方は…。」
 ひっと悲鳴を上げて勢いよく締められた扉に、ガイは安堵の溜息を付いた。それと同時に、アスランに心を許しているように見えるピオニーに対して憐れみに似た感情を覚えた。
「ルークを見ちまったら、記憶が戻るかもしれないからな…。」
「ええ。」
 思案顔で考え込むように顎に手を当ててから、アスランはガイに向き直る。
「死霊殿の行方は…。」
 ふるりとガイは首を横に振った。
「ルークを通してアッシュにも確認したがキムラスカ領にもいないらしい。」
 そう呟くと、ガイは不機嫌そうに黙り込んだ。

 結局、ジェイドは現在のピオニーの記憶を封じ過去の記憶を蘇らせた。
 その方法が生存率が高いのだ告げてたジェイドはピオニーの容態が安定した日に彼はグランコクマから姿を消したのだ。音素が安定するまで、決して今の記憶が戻る行為をしてはいけないと言い含めて。
 目を覚ましたピオニーもジェイドの事など欠片も覚えていなかった事が、あれほどに、互いを思っていたのにと常に憤りを感じていた。

「…陛下は何も覚えてはいらっしゃいません。つまり、我々が思うほど、彼は哀れな存在ではないのです。」
 アスランは、ピオニーが消えた扉に向かいそう言い放つ。ガイは、むと顔を歪めた。
「そうだろうよ。あんたはこのまま陛下が此処にいて、ジェイドが行方不明の方が都合がいいんだろうからな。何も覚えちゃいない陛下はさぞ、扱い易いだろうぜ。」
 温厚な彼にしては辛辣な言い草を、アスランは笑みで受け取った。
「そうですね。しかし、この事で」貴方もヴァン総長も名誉を回復し逆賊の汚名も返上したのではないですか?」
「別に望んだ訳じゃない。マルクト軍の方が胸中の虫を退治してさぞや安泰だろ?」
「ええ、これでマルクト帝国の安泰は保証され、大変満足しております。」
「…っ。」
 ぎりと奥歯を噛み締め、ガイはアスランを睨みつけた。
「……陛下が何も覚えてないと思って、指一本触れてみろ。ジェイドに変わって俺がお前を殺してやる。」
「貴方はその為に貴族に戻ったんですか? 義理堅い方なんですね。」
 クスとアスランは笑みを浮かべる。剣呑な二人の雰囲気は再び開いた扉によって途切れた。
「なんだ、アスランまだいたのか。ほれ、書類。」
「あ、はい。」
 差し出された手に紙束をぽんと乗せて、ピオニーは満足そうに笑った。形振り構わずに頑張っていたらしく、髪が捻れている。
「これで、今日は自由時間だよな?」
「はい。ですが、城外にいらっしゃるのなら警護をおつけください。」
 解れを直そうと伸ばしたアスランの手を、笑いながら交わしピオニーはガイを見る。
「わかった…あ、ガイラルディアもいたのか? だったら、赤毛の…。」
『駄目です!』
 全く合わないはずの二人の台詞は、この時ばかりは見事に重なった。



「すまん、ルーク待たせたな。」
「ううん。俺も今帰ったとこなんだ、ほらこれ。」
 ルークは笑いながら籠に詰まれた卵をガイに見せた。エンゲーブまで行ってきたんだと告げ、ガイを驚かせた。吃驚するガイの表情に満足そうに笑う。
「ヴァン師匠が、たまご丼を教えてくれるって。俺、ガルディオス家に相応しい嫁として頑張るからな。」
 そして、笑みを曇らせた。
「ジェイドの隠れ家にも行ってみたけど、人気がなくてさ。」
「そうか…。」
「体内音素が安定すれば、記憶が全て甦る事もあると告げてはおられましたが、自分を知らない皇帝を見ているのは、流石の「死霊使い殿」も辛いのでしょうな。」
 二人の後ろから聞こえたヴァンの声に振り返る。ティアの姿も見えた。今日、陛下にお会いしてきたの。彼女はそう告げる。
「音素自体は、落ち着いている様子で私の譜歌も必要ないみたい。剥離の心配はもうないわね。」
 にこと笑う彼女につられ、笑顔になったルークがもう一度、不満そうに顔を膨れさせた。折角、陛下が元気になったのに、それを伝える事も出来ないなんて…。


「……ジェイド…何処いっちゃったんだろうなぁ。」

 
 エンゲーブに程近い処にある掘っ立て小屋。記憶してはいない場所だったが、マルクトには珍しい赤毛の少年が訪れていたことが幸いした。人づてに聞きながらでも辿り付く事が出来た。
 すんなりと開いた扉から中に入ると、部屋には雪のように埃がうっすらと積もっていて、人の気配は無い。
 ピオニーは、ぐっと手を握りしめた。俯く顔は髪に覆われ表情を隠す。

「…っ。」
 
 込み上げてくる何かを押し留める為に、ぎりと唇を噛んだ。

「やっぱり、記憶が戻っていらっしゃたんですね。」
 ピオニーは、はっと顔を上げる。背後から掛けられた言葉は、アスランのものだった。振り向き身構えるよりも早く、その身はアスランに捕らえらる。
「なん…のこと…だ。」
「そうおっしゃりながら何故震えているんですか? 私が怖いのでしょう?」
 両手首を掴まれ、その状態で後ろから抱き込まれている。強い力に身動きが取れず。唯一動く頭を相手に向けようとした刹那、首筋に与えられた濡れた感覚に、戦慄が走った。
「よせっ…。」
「こうして、貴方に強いましたよね?」
 耳元にねっとりと舌を這わせ、強く吸う。痛みに悲鳴が漏れた。
「私のものになりなさい…と。」
 トサと、腰の飾りが落とされる。服の中に忍ばされた指から逃れたくて身を捩った。
「…嫌だ!…やめっ…。」
 抵抗などなんの意味ももたず、難なく床に転がされる。膝裏に回された手に動きを封じられた。覆い被さってくる相手はピオニーが押し返す力など意に介さず、下履きに手を掛ける。      
「あ…。」
「陛下、御覚悟を。」
 ぐと腰を掴かまれ引き寄せられる。ピオニーは精一杯の力でアスランの肩を押し、顔を逸らした。
 嫌だ、こんなの…。誰か…、

「っ……ジェイドッ…!!」

 高く上げてしまった悲鳴と、名に涙が溢れた。彼はもう自分から離れていってしまったのに。
 目を固く閉じ唇を噛み締める。次に来るであろう痛みを覚悟した。けれど、いつまで待ってもそれは訪れる事はなく。訝しみ、瞼を引き上げると、困った顔で見下ろしていたアスランと目が合う。

「手間を掛けさせないで下さいね。道化役はもうごめんですよ。」
 彼の首筋に槍が宛われているのを見て、息を飲む。腕でもって、アスランの下から這い出すと、変わらぬ姿のかれがいた。

「ジェ……イ…ド。」

 零れ落ちる言葉を、ジェイドは無表情のまま聞いていた。
「陛下もガイ殿もどうしてお気付きにならないのか。死霊殿が陛下の側を離れるはずがないでしょう? 彼は、ずっと側にいたんですよ。」
 余計な事を、そう言わんばかりの眼孔で睨み付けたジェイドに、アスランはにこと笑った。
「…ずっと、…?」
 ピオニーの声に、ジェイドは僅かに視線を向けたがそれに応えるつもりはないようだった。再びアスランを睨み付ける。
「貴方こそ、こんな『敵に塩を送る』ような真似をするとは、何を企んでいるんですか?」
「強いて言うのなら、私達を庇って下さった陛下に恩をお代えししただけです。貴方に荷担するつもりなど毛頭ありはしません。」
 アスランは、首に当てられた槍を片手で払いのけ立ち上がる。それと同時に、ジェイドは槍を消し、背にした纏をピオニーに掛けた。
「いつまでも、はしたない格好をしないで下さい。」
 カッと頬を赤らめ、ピオニーはそそくさと胸元まで纏いを引き上げるとジェイドを睨み上げた。
「好きでしてた訳じゃない! 馬鹿。」
「これは、失礼。」
 久しぶりの逢瀬にも係わらず、その時間を感じさせないやりとりにアスランは微苦笑を浮かべた。
 くるりと踵を返し、戸口に向かう。
「アスラン…。」
「陛下…。」
 呼び止めたかったのか、それとも思わず呼んでしまったのか、声を出したピオニーも困ったような表情を向けていて、アスランは表情を緩める。そして告げた。
「ご決断を。もう一度、私の名を呼べば、貴方をグランコクマに連れ帰ります。」
 そして、ピオニーは、開きかけた口を閉じて、出ていくアスランを見送った。



「遅いじゃないですか、貴方は!!!」
 背負った籠に音機関の塊を詰め込んだディストが、ピオニーの姿を見つめて駆け寄って来た。顔を合わせるなり、罵声を浴びせる。
 ピオニーの記憶を消してから後、ジェイドがずっと隠れて見守っていた事。そして、自分がつき合わされて、どれだけ迷惑だったかを捲し立てた。
「とっとと、記憶を戻して帰ってきなさい! 全く愚図ですね。」
「悪い。」
 にへらと笑うピオニーを見ると、憤慨そうに顔を逸らす。
「そんな洟垂れに構うんじゃありません。行きますよ、ピオニー。」
「あ、ああ。」
「待ちなさい! ジェイド、貴方は親友の私を置いていくと言うんですか! この天才ディスト様を!」
「誰が親友ですか。」
 は、と息を吐いたジェイドが、後ろを歩いていたピオニーを見た。
「わかっていますか? 貴方はやっと光の当たる場所に出てきたんですよ?」
「…。」
「また、闇の中に戻るつもりですか?」
「俺は、お前のものなんだろ?」
「ピオニー…。」
「連れ去ってくれ。悪の譜術師らしく、俺を此処から。」
 足を止めたジェイドの頬にピオニーは額を押しつけた。両手でギュッとジェイドの服を掴む。
「…一緒に、いたいんだ。」
 ジェイドの右手が腰に廻され、左手が顎を捕らえる。重ねた唇はときおり距離を置くものの、決して離れようとはしなかった。

「人前で何やってんですが、貴方達は、破廉恥な!!!!」
 二人の後ろを付いてきていたディストが、掌で顔を覆いゆびの間から喚く。
「嫌だと言っても、離しませんよ?」
 にやりと笑った彼に、ピオニーは呆れたように笑った。
「ホント。可愛くないな、お前。」そう小さく呟きながら。




おまけ

「ガイラルディア様にお伝えせねばなりませんな。
 赤毛の味方がいなくなりほっとしましたが、少将殿は宜しかったのですか?」
 遠ざかっていく、人影を眺めていたアスランは、ヴァンの声に微笑んだ。
「仕方ありません、部下を庇う皇帝では使い物になりませんから。」
「追い出すまでもない…と言う事ですかな?」
 ははとヴァンは笑った。アスランは彼等が消えた先を見つめ、肩を竦めた。
「まぁ、死霊殿が出てこなければあのまま陛下を抱けたので。それならそれで別の利用の仕方もあったのですが、悪の譜術師と呼ばれた男が随分と甘くなったものです。」
 期待はずれですよ。と言葉を続けてアスランは胸元に手を入れる。
「それに、私にはこれがありますから、いつでも『陛下』を連れ戻せますから。」
 そう言って、懐から見せたのは、ヴァンから送られた(ピオニーの血判が押された)誓約書。
「その折りは、またお手伝い致しましょう。」そうして、二人は顔を見合わせて笑った。
 
『お主も悪よのぉ。』
『いえいえ、お代官様こそ。』

 其処に誰かいたのなら、きっと、そんな言葉が風にのって聞こえてきたに違いない。


〜いい加減に終わっとけ(苦笑)



【最後の最後にあとがき】
 大好きな絵描き様に捧げたネタだったのですが、書いてるうちに訳がわからなくなってこんなになりました。所々に、元ネタのカリオストロの城が顔を出しているようです。ぴお様が、良い感じにお姫さまポジションだったのが笑えます。
アスランファンには土下座かな(苦笑)
 勿論、読んだ方にも額をする勢いで土下座致します。どうぞ、見逃してやってくださいませ。


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