家族団欒編


「陛下を見ませんでしたか?」
 階段を降りる途中で、周囲をぐるりと見回しジェイドは声を掛けた。見上げたのは、じゃれ合っていたガイとルークで、同じく周りを見てから首を傾げる。
「あん?さっきまでいたけど…なぁジェイド。また陛下を虐めてるのか?」
 ルークに『おや』と言った顔つきでジェイドが返す。「失礼な、どうしてですか?」
「お前が変だって…。俺はそう思わないけど、ずっと言ってたぞ。」
「変…ですか?」
 眼鏡を押し上げながらクスリと笑う。

 実は、聡い男だと知っている。だから必ず感づくだろうとわかっていた。
 調査書類は、数値の羅列で彼には理解出来ない。たっぷりと眺めた後、案の定頭を捻り、私に答えを求めて来た。
「どうでしょうねぇ」とはぐらかせば、『どうせ違うんだろ』と勝手に納得して、それを放り出す。取り繕わなかったのは、考えがあったからではない。ただ、自分自身、迷いが生じていただけだ。

全ての数値は一致していた。

 経緯はわからない。何故を問うても答えは出ないし、誰に聞きようもないだう。
しかし、フリングス少将が見つけた身代わりになるはずの男は、本物の『皇帝』だった。この真実は揺るがない。

「ジェイドが変なのは…元か…ごもご。」
 確実に嫌味をくわえた壁打ちに変化するだろうルークの言葉を、ガイは手で塞ぐ。同時に爽やかに引きつった笑顔を浮かべた。
「多分、アルビオーレのとこだろう。俺も行くつもりだから、旦那が探していると伝えておこうか?」
 それならば自分が動きますという意を含んで、首を横に振ると階段を降りて扉へ向う。やっと、ガイの腕を引き剥がしたルークはその背中に、言葉を掛ける。
「あんま虐めると、嫌われちまうぞ。」
「ははは、年中いちゃこらしているのも趣味に合わないものですから。」
 恐ろしいまでの笑顔のジェイドに、ガイは苦笑い。腕の中では、ルークは膨れた頬を赤く染めて睨み上げている。それでも、抱きすくめられている状態からは抜けだろうとしないのだから、馬鹿ップルよわばりされても仕方ないだろう。
「俺は、旦那の変化はわからないけど陛下は違うだろ?心当たりがあるのなら、早めに対処した方がいいんじゃないか?」
「ご忠告感謝します。」
 軽く手を振り、ジェイドは場を後にする。
「…やっぱり、ジェイドは普通じゃんか。」
 ポツリと呟いたルークに、ガイはふると首を振った。
「俺はルークの変化は見逃さない。ヴァンと堂々と渡り合うって事、ずっと前から来気付いてた。だから、ダアトに向かう事に少しだって反対したりしなかっただろ?卑屈なところが残ってたら、俺は力づくでお前を止めた。」
「…ガイ…。」
「だから、きっと本当におかしいんだ。旦那は…。」



 アルビオーレの側に立っていたジェイドを視界に捕らえると、ディストはおどおどと視線を彷徨わせ、来た道を引き返そうとする。
 反応として、分かり易すすぎる。
躊躇いなく取り出した槍を、進行方向にブッさしてやれば、地面にヘタリ込み蒼白な顔で振り返った。
「な、何するんですか、ジェイド。」
「さて? 私は、陛下を捜しに来ただけですよ。」
 ディストが息を飲むのを眺めていると、さらにせわしなく視線を揺らした後、指で方向を示した。
「あ、あっちに行きました。」
「ほう? 何をしに…でしょうか?」
 肩が跳ねる。両手を胸の前で握りしめて、まるで、脅えた小動物。
「そ、そんな事私が知る…「貴方は、何をしでかしたんですか?」」
 抑揚のない声でそう問われ、ディストは完全に震え上がった。



「陛下からお呼びがかかるとは思ってもおりませんでした。」
 沖には、軍用鑑が停泊しているのが見えた。
 数名の部下を従えたアスランは、波に服が濡れる事も厭うことなく跪き、主の左手に敬愛を落とす。振り払う事もせず、じっとそれを見つめた後にピオニーは口を開いた。乗せる言葉が重くて仕方ないとでもいうように、それはゆっくりと吐き出される。
「俺は…何だ?」
「…。」
「俺は、誰なんだ?」
「死霊使い殿は、何と?」
「ジェイドは、何も言わない。でも、自分が動揺している事に気付かない位に動揺しているあいつを見れば、答えなんか馬鹿でもわかる…。」
「私の口から答えを…そういう事ではないのでしょうね。」
 微苦笑をしてアスランは、ピオニーの顔を見つめた。
「俺は…何も憶えていないし、物心ついた時の記憶はお前等から連れ出されたあの街の事しかない。
 グランコクマの…部屋にいた事を思いだしてはみたけど、懐かしさなんて欠片も浮かばなかった。水音は鬱陶しいし、やたらと白々しい壁だし、好感なんかひとつだってない。どとらかと言えば、嫌いだ。」
 本当に嫌そうに顔を歪めるピオニーを見つめて、アスランは口元を隠してクスリと笑った。その様子を目ざとくみつけたピオニーは、益々不機嫌になり、柳眉を歪める。
「失礼致しました。陛下。」
 腕組みをして、ぷいと貌を背ける子供っぽい仕種の皇帝を、宥めるように微笑んだ。その笑みは、ジェイドが目にしたのなら寂しそうなと感じたかもしれない。
「私は貴方に何故を問われても、お答えするすべを持ちません。
 しかし、データは確かにユリアシティに保存されていた『殿下』のものと相違ないという結果を導き出しました。これで、貴方が『陛下』でいらっしゃる確かな証を得る事は出来ましたが、これ以上の采配は私の分を越えております。」

 ふるりと肩が揺れた。両脇に降ろされた褐色の手は、服を強く握りしめている。

「…お前は、俺がそれであったとしても、無理矢理に我が意に従わせるのか?」
 アスランは首を横に振る。
「貴方は、私が忠誠を誓うべき方です。貴方を妨げるものを退けるのが我が役目。もう二度と、あのような振る舞いをする事はありません。」
「俺を助けてくれる…と?」
「貴方が、王座へ向かわれるのならば、陛下の命以外に守るべきものはありません。…どうか、ご命令を。」
「そんなの…狡いだろ…?」
「今まで、散々俺を好き勝手に扱っておいて、此処に来て俺の決断を望むのか?そりゃ、あまりにも狡いだろ?」
「では、ここで貴方を攫ってもいいとおっしゃいますか?」
 アスランは強引さを欠いた柔らかな仕種で、ピオニーの握りしめている手を持ち上げる。きつく握られたままの手は、肌の色を薄く変えていた。思わず眉を顰め、俯いた彼の表情を伺う。


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