家族団欒編


 相変わらず機体は大きく揺れていたし、このまま大海に墜落してしまう可能性も棄てがたい。此処はそんな緊迫感溢れる場所。

 褐色の指がぐしゃぐしゃに絡まった亜麻色の髪(元々は三つ編みだった)を掴み、そして離した。愛撫と言うほどに柔らかくもなく、ぎこちない仕草をただ繰り返す。
もう片方の手は、硬直したようにジェイドの服を握りしめたまま動かない。
 己の腕に収まる相手は、俯いたままで今だ貌を見せてはくれない。
ただ、何処でつけたのか服を汚す赤黒い滲みは、安穏と助けを待っていたのではない事を語っていた。
 
「良い子ではありませんでしたね?」

 ピオニーは、ジェイド以上に煤に汚れた金髪を相手の胸板に埋めてふるっと首を横に振った。
「…こんな無茶して…死んじまったらどうすんだよ。」
 喉に詰まる掠れた声。自分の状況も最悪だったはずなのに、どうしてこの男は…とジェイドは溜息を付いた。安堵の吐息が混じったそれは、胸に湧く感情をぶつける相手が今、ここにいる証拠だ。
 ゆっくりと顎に手を掛け上を向かせる。案の定、彼の瞳は濡れていた。揺れる蒼穹は、何ものにも代え難く甘美な薬の様に自分を浸食していく。
「己の私物を取り返すだけの話です。」 
 しかし、ジェイドの台詞にピオニーの貌が見る間に表情を変えた。ぼかんとした顔から、むっと、睨み上げる顔へ。
「私物って、俺は…。」
 自然に上がる己の口角をジェイドは許した。
 こんなにも直接的な感情をぶつけてくるくせに、自分のものにはならないと告げようとする相手が、愛しく歯痒い。
 『意地悪のひとつでもしてみたくなるじゃあ、ありませんか。』
 
「貴方が何処へ逃げても地の果てまで追いますよ。その覚悟をしてから、『私のものではない』などというふざけた言葉を口にして下さい。」

 その台詞にピオニーは言葉を詰まらせた。脅迫なのか、愛の告白なのかどっちにしても、微妙な感じだ。
 白い歯までみせて、爽やかな笑顔をつくる目の前の死霊使いにむっとしたままのピオニーが、口を開く。
「違う…。」
「はい?」
 真剣な眼差しはそのままに、言い放つ。
「俺のジェイド…だ。」
 
 やられますねぇ。ジェイドの苦笑いに、ピオニーは得意そうに笑った。

「私のジェイド〜〜〜〜〜。」
 コクピットで鼻水涙を流すディストの背を、ノエルが不憫きわまりないといった様子で摩る。
「私の金の貴公子〜〜〜〜〜〜〜〜。」



  ベルケンド、研究所の前にはアスランの姿。余憤冷めやらない様子のジェイドを見つめて笑みを浮かべた。
「随分と遅かったですね。陛下がご一緒でないのは、好都合でした。今日は、貴方に用事があってお待ちしていたんですよ。」
 アスランはそう告げると、研究所の紋章が記された封書をジェイドに手渡した。
「導師の協力を私達も取り付ける事が出来たのと、これが役に立ちました。」
 小瓶に入った金糸を返され、ジェイドは察した。それで?と問い掛けたジェイドの言葉にアスランは笑みを崩す。睨むでもなくジェイドを見つめ返した。
「私も少々戸惑っておりますので、貴方ならどうされるのか伺ってみたいと思いました。」
 ジェイドは、封書から取り出した書類を数枚斜め読みをして眉を顰めた。
「データに細工は一切していません。そんな事にもう意味はないでしょう?」
「確かに、そうですね。」
 ジェイドは、眼鏡を指で押し上げ息を吐いた。
「しかし、おかしな話ですね。どうしてこの結果で戸惑うのですか?貴方にとっては、有利な材料だと思いますが?」
 アスランは自嘲の笑みを浮かべたまま口元を手で覆った。当惑してる状態は隠しようがない。
「正直に言って、私は本気で彼に惚れていました。一目惚れでしたが、必ず私のものにしたいとそう思っていましたし、その為に手段を選ぶつもりもありませんでした。
 それは、貴方にも充分わかっていただけるかと思いますが?」
 そうして、くくっと喉を鳴らす。
「ですが、どんなに恋い焦がれてもこれでは手が出せませんよ。」
「……忠義な事ですね。」
「私は軍属…ですから、では。」
 情味の欠ける仕草ではあったが、ジェイドは相手に敬意を示す。アスランはそれを一瞥し、背中を向けた。
 それから、何処をどうかいして宿に辿りついたのかジェイドには記憶がない。気付いた時には、宛われた部屋のベッドに腰を降ろして暮れていく空を眺めていた。
 ディストはアルビオーレの修理でいなかったが、待っていろと告げたピオニーの姿も無い。
 例え街中をフラフラ歩き回っていたとしても、もう危険はないとジェイドは判断する。問題があるとするのなら、此処まで衝撃を受けている自分自身なのだろう。
「…どうしたんだ?」
 さらりと目の前を流れる金髪が譜灯に映える。酷く綺麗だと感じ、ジェイドは軽く首を振った。
「何がですか?」
「出ていったきり帰って来ないし、帰ってきたかと思えば部屋に籠もりきりで…俺のデータを照会しに行くんじゃなかったのか?ひとりでいるなって言うから、ガイ達の部屋で邪魔者扱いされながら待ってたのに、さっさと部屋へ上がっっちまうし。」
 小首を傾げるピオニーに、ジェイドは薄く笑みを返した。
「ええ、そうでしたね。」
「具合、悪いのか? 真っ青だぞ?」
 伸ばされた手は頬に、そのまま額を重ねる。「熱は無いようだ…なっ!?」
 いきなり視界が反転し、気付くとベッドに押し倒されていたピオニーは、事態が掴めず、ジェイドの顔を見上げた。
「や、ま、待てジェイド? 嬉しいぞ。嬉しいんだけど、ルーク達が下で待ってて…。」
 全ての言葉が発せられる前に、それは塞がれる。ただ手放したくないそんな要求のままの行動だった。



 不機嫌な表情でディストは目の前の金髪を睨み返す。
常に不穏な笑みを浮かべている顔が真剣で、それならば話くらいは聞いてやってもいいですよと思った自分が情けない。
「だから、ジェイドが変だ。」
 同じ事を繰り返されてディストはキィと吠えた。
「そんな事を言われて、私にどうしろと言うんですか!?」
 ピオニーは、ノエルと共にアルビオーレの修理に励んでいたディストを、無理矢理街の外れまで連れ出しこう告げた。

 ジェイドの様子がおかしい。

 ルークやガイに相談してはみたものの、ジェイドの変化は彼等にはわからないらしく、要領を得ない。ジェイドに聞いてもはぐらかされる。
 ならばもう直接確認するしかない。、もしも、自分の考えている事が正しいのなら。ディストに見えない様にピオニーはぎゅっと拳を握りしめた。本当は怖い。聞きたくなんかない。
「頼みがある。マルクト軍と連絡をとって欲しい。」
「貴方…何を言って…!?変なのは貴方じゃないんですか!?」
 眉を吊り上げたディストを見つめながら、ピオニーは言葉を続けた。
「確かめたい事がある。」
「馬鹿ですか?」
「馬鹿かもしれない。でも、事によったら、俺はジェイドの側には戻らない。
 な?お前にとっても悪い話じゃないだろう?」
 一瞬、歓喜に目を見開いたディストは、ふんと顔を背ける。
「貴方がそんな事を言いだしたって、ジェイドが納得するわけないでしょう?」
「かな?」
 口元を上げる。
 そうだと良いのだ。でも、煩わしいと思われているんだとしたら、ジェイドは
あっさりと離れていくのかもしれない。
「それを私に聞きますか!?本当に嫌な男ですね、貴方は!!」
「でも、お前は俺がいない方がいいだろ?」
 だったら、協力してくれと言いかけたピオニーをディストが睨む。
「誰がそんな事を言いましたか!? 私は必要とはしませんけど、居たかったら勝手に居ればいいじゃあないですか。」
 耳の付け根まで真っ赤に染めたディストに、面食らったのはピオニーの方だった。酸素を求める金魚のように口をパクつかせてから、にこりと笑う。
「ありがとう、ディスト。」
「貴方に礼を言われるような事を言った憶えはありません。」
「でも、嬉しいよ。やっぱりお前は優しいな。」
 小首を傾げるように顔を覗き込まれて、ディストは視線を逸らす代わりに声を張る。
「どうしてもと言うのなら、連絡をとって差し上げます。けれど、行く宛なんかないんですから、何処かに行くなどと戯れ言を言う必要ありませんからね。」
 そう釘をさされて、ピオニーはこくりと頷いた。


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