単身赴任編


 誰かの瞳を思わせる澄みきった蒼の中。長く白い尾を引きながら、アルビオーレは一直線に目的地へ飛ぶ。
 見た目の精鋭さに比べて、船内の居心地が恐ろしいほど悪かった。
「の、の、の、の、の、ど、ど、ど、ど、ど、ま、ま、ま、ま…!」
「ディストさん、捕まっていないと舌を噛みますよ!」
 操縦桿を握るノエルの指摘は既に遅く、思い切りよく舌を歯で味わったディストは床に伏し、痛みでぶるぶると震えている。その横、座席にしっかりとシートベルトをしたジェイドは蔑んだ目でディストを一瞥してからノエルに尋ねる。
「機体が軋んでいますが、大丈夫ですか?」
「平気です。たとえ空中分解しても、ダアトには到着させてみせます!」
 鼻息も荒く言い放った真顔の少女を眺めながら、ちょっとお話に装飾品を付け過ぎてしまったでしょうかと、眼鏡を指で押し上げながらジェイドは溜息を付いた。

 マルクト軍に追われ、ダアトに囚われている大切な人を助けに行く。

…恐らくそんな事を言ったはずだ。商売抜き、命賭してもなどと戯れ言を吐いたのはディストの方だ。
 『なああんて、素敵です。ディストさん』と、両手を胸元で組みキラキラの瞳を向けられ、調子に乗った下僕の失言が現状を生んだ。
 追いすがるギンジを機内から叩き落としてにっこりと微笑んだ彼女は、私が操縦しますからと宣言した挙げ句、格納庫を吹っ飛ばして空へ向かった。

 強きもの、汝の名は夢見る乙女なり。
 
 誰が強奪犯なのか、わかったものでは無い。再び息を吐いたジェイドは、床から動き出す下僕に目を止めた。口元を両手で押さえながら必死で言葉を紡ぐ。
「どうしました?」
「…ろうしたも、こうしたも、ころまま進めば、らアトとの直線上にタルタロスが…。」
 表情を険しくしたジェイドに、ノエルは『まかせて下さい。』と告げた。
「対空砲火、全て交わしてみせますから。真っ直ぐ行きます!」
 きっぱりと言い切られ、ジェイドとディストは無言で頷いた。否、頷くしかなかった。
 

 自分達が騎士団の注意を引き付けておくから、裏口から出て港へ向かえとシンクに言われて、こっそりと廊下に出てはみたものの。教団内は迷路だった。
 気が付けば、裏口どころか、最初に足を踏み入れた大きな譜陣の描かれた場所に出てしまう。
「…やば…違うよな…。」
 踵を返そうとしたピオニーを包むように、譜陣が光を放ち初めて、そこに現れた人影にピオニーは息を飲んだ。

 緑の髪をしたツイン。従えた少女の位置もまるで鏡だった。
 二人のうち一人はファブレ家の屋敷で会った導師なのだろうが、ピオニーには見分けがつかない。それに驚きはしたものの、皇帝を本気で驚かせたのはその後ろにいた人物達だった。
「あ゛ぁ!??陛下!?なんで此処に!?」
 碧の眼を真ん丸にしたルークは、ピオニーの側まで走り寄ると服を掴んでガシガシと引っ張った。ガイも驚きを隠せない様子で瞬きを繰り返す。
 彼等の後ろに立つ髪の長い女性に見覚えはなかったが、両手で口元を覆い不思議そうな顔で見つめていた。
「やっぱ本物!?え?なんで???」
「それは俺の台詞…って言うか、ルークやガイはどうして此処に?ジェイド…は?」
「俺達は旦那と別行動だ。此処に来たのは、ヴァンデスデルカに…。」
 ガイはそこまで告げて、はっとピオニーを背に庇う。ルークも腰の剣に手を回した。

「お帰りなさい。導師。」
 扉を開けて、恭しく頭を下げたヴァンは、ピオニーの姿を見つけてにやりと笑った。横にはリグレットが控えている。
「こちらにおいででしたか、皇帝陛下。随分探しましたよ。」
「陛下、これ持ってて。」
 ルークは、手にしていたディスクをピオニーに向かって放り投げ、ヴァンと向き合う為に前へ進んだ。ガイはピオニーを背に置いたまま、剣の柄に手を掛ける。
 それをちらりと一瞥し、ヴァンはルークを見下ろした。
「何ですかな?」
「いい加減にしろよ。このカモメール眉毛のおっさん。」
 両手を腰に当てて、ルークはヴァンを睨み上げた。
「陛下は嫌がってる…ってか、貞操の危機だし、ガイは望んでない…ってか、あんたなんかに渡さない。一体、何を変えるつもりなんだ?」
「…そんな事を聞く為にわざわざ?」
 さも可笑しくて仕方のないといった含み笑いに、しかしルークは乗らなかった。真っ直ぐにヴァンを見つめて、口を引き結ぶ。束の間の沈黙は、長い髪の女性によって破られた。
「もう、こんな事は止めて兄さん。責任の取り方が間違っているわ。だから私もペールから聞いていた話を二人にすることにしたのよ。」
「メシュティアリカ。」
 ヴァンの表情がはじめて本当に曇るのが見えて、ピオニーはガイに耳打ちをする。
「話…って?俺、ファヴィレの屋敷でペールには会ったけど別に何も…。」
 ガイは視線だけをピオニーに向ける。
「俺の生家が爵位を剥奪されたのは、前皇帝夫妻が焼死したとされる王宮火時で殿下を行方不明にした嫌疑がたまたま居合わせたヴァンに係り、それを庇い責任をとった為らしいんだ。…俺も始めて知った。」



「赤毛のヤンキー小僧が、ガルディオス家の嫁に相応しいはずがなかろう!
 たとえ、ローレライが認めても私は許さん!」
「言いやがったな、このフケ顔!てめぇの新陳代謝が早いからって人を妬むんじゃねぇよ。超振動起こすぞごるあぁ。」
 二人に挟まれ、ガイが頭を抱えているのが見えた。片方の味方をすれば、もう一方の相性が下がる。正に恋愛シュミレーション状態。
 いつから、こんな争いになったのだろうか。どんな理由があるとも、他人を犠牲に出来ないし、ガイの意志を無視してガルディオス家の再興など言語道断…という崇高な話だったはずだ。
 それが、何故、平日昼間に放映されているドラマをリアルタイムで視聴している状態になっているのだろうか?
 
 いや、確かに面白い、面白いんだが…。

 傍観者に徹するべきか、止めるべきか、思案していたピオニーの袖を緑の少年が引っ張った。
「貴方の手にしているディスクは、殿下のデータです。なくさずに死霊使いに渡してください。…どうも、説明して上げられるのは僕だけみたいなので。」
 にこにこと微笑まれ、ピオニーも笑い返した。礼を言うとどういたしましてと行儀良く返される。どうも、初対面の方の導師らしい。
「此処から譜陣で逃がしてあげられると展開として面白いのですが、どうやらヴァンが閉じてしまったようですね。」
 イオンは、そう言うと後ろの扉をピオニーに示した。ピオニーが手で押すとすんなりと開く。ヴァンとルークの騒ぎで皆の視線は逸らされ、アニスもアリエッタもちら見しただけで止める気はないらしい。それよりも、ヴァンとルークの嫁・姑対決の方に興味津々と言った様子だ。
 ピオニーにも気になる展開ではあるが、此処から先はルークとヴァンの問題。頭を切り替えて、一刻も早くダアトを出る事を考えなければ捕まってからでは遅すぎる。
「さ、早く行ってください。あ、せっかくなので、出来る限り逃げ回って楽しませてくださいね。」
 どうにも親切心とは言えない言葉を満面の笑顔でかけられて、ピオニーは苦笑いをしながらその部屋を後にした。


 
 
 タルタロスの弾幕を右へ左へと避けながら、アルビオーレは船尾に近付いていく。数える程だが、掠めた砲弾はアルビオーレの翼を傷つけていた。
「前ほど…手応えがありませんね。」
ノエルの聞き捨てなならない台詞にツッコミを入れたのはディスト。「それは、どういう事です!?」
「一度だけ、タルタロスと戦闘状態になった事があって…でも、今の比ではありません。甘いです。」
「今と、どう違うと?」
「私の操縦も未熟でしたけれど、攻撃も執拗で…この程度の被弾数ではありませんでした。」
 成程…小さく呟いて言葉を続ける。
「司令官は、タルタロスを離れている…そういう事ですね。」
 ジェイドは自らの推理に形良い眉を潜めた。「急がないと、まずい状況のようですね。」


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