単身赴任編


 ラジオ音機関にイヤホンを繋ぎ、頭にアンテナを乗せたディストを物珍しげにピオニーが眺める。指でつんと触覚を押して、きぃいいと怒られた。
「子供じゃあるまし、大人しく待てないんですか!?」
「何してるんだ?」
「軍の無線を傍受してるんですよ。此処はキムラスカの国内ですが、海域はマルクト軍も彷徨いていますからね。」
「へ〜。ディストは凄いなぁ。」
 にこにこと笑う相手に赤面し、ディスト視線が定まらない。
しかし、聞こえてきた声に思わず音機関を握りしめた。しばらく聞き入って、わたわたと全ての道具を懐にしまい、キョロキョロと辺りを見回した。
「どうしたんだ?」
「ジェイドです。どうやら、マルクト軍と接触している最中のようです。」
「それって…近いのか?」
 ピオニーも辺りを見回すが、視界には入らない。
「北の方であることは確かですが、10km圏内は電波を拾いますから特定出来ませんよ。探すしかありません。」
「え〜なんか道具出ないのか?この後ろに持ってるとか…。」
 ピオニーはそう言うと、ディストの蜥蜴襟巻きを引っ張った。ききぃ〜〜と喚き散らす。「貴方は私を何だと思ってるんですか!」
「えと…ド●えも●?」
「伏せ字になってません!!!!!!」


『恐らく、ディストはシェリダンに向かう。』
 ジェイドはそう踏んでいた。アッシュからの連絡だと、ディストはファヴレ家を脱出する際に譜業を失っているらしい。となれば、彼はまずその脚を確保しようとするだろう。
 命根性の汚さは一級品だが、体力のなさでは赤子にも劣るディストでは、旅慣れた様子だったピオニーでも、移動速度も亀並みのはず。
 すれ違う可能性は低いが、それでもゼロではならない。無駄な時間を浪費するわけにはいかないのだ。

「という訳ですので、貴方がたは邪魔です。」

 どういう訳で邪魔なのか理解不能なまま、死霊使いを囲んでいたマルクト兵達は、その笑みに背筋を凍らせた。相手は、あの『死霊使い』。
 藻掻き苦しんで殺されたのちも、なお魂を縛り、操られ、安楽の死すら望むべくもないと噂される悪の譜術師。(当然ですが、噂はジェイドが自分で流した。)

「ひ、ひ、ひ、ひ、怯むな、取り抑えろ!」
 相当に怯んでいる隊長の掛け声と共に、へっぴり腰の兵士が包囲網を狭めようとした刹那、足元に六音素全ての譜陣が展開される。
「終わりです。」
 にっと吊り上がった唇に、兵士達は武器を放りだして一斉に逃走。
 おやおやと彼は嗤う。浮かんだ布陣はすぐに消失し、それがただのハッタリだったことを示していた。



『けれど、ド●えも●並みに便利だなぁ』と、道無き道をふらふらと北上するディストの後ろで、ピオニーは思う。
 気配だか、匂いだかがするそうなのだ。誰かと言えばジェイドのだ。
 どんな匂いなのか、聞きたい気もしたが、それはそれで怖いので止めておく。
 キョロキョロと顔を動かしていたディストが、ピオニーの方を振り返り、北を指さす。最初はダラダラ流していた汗も今は出ず、五穀断ちに入った僧侶のようにかっさかさ、即身仏となり衆生救済を行う日も近そうだ。
「ゼィハァこっハァちゼィの方をゼィ見ハァに行ってくだハァゼィさハい。ゼィ」
 何を言っているのかさっぱり解らないけれども、ピオニーは指が示した丘陵を登ってみる。登り切った先に人影はあった。…あったけれども、それは にこにこと笑う緑の髪の少年の姿。この暑い場所で、なお暑苦しさを感じる赤マント姿ではない。
 少年はピオニーの姿を見つけると、歓声を上げながら身軽に走り寄る。無邪気に腕を取ると、ピオニーの髪に手を伸ばし、サラサラと玩んだ。
「うわ〜お日様みたいキラキラの髪!!」
「フローリアン!?」
 ディストは胡散臭そうに目を細めて眼鏡を欠けなおす。少年は、ディストを見ると『あ〜死神〜〜〜!』と叫んだ。
「知り合いなのか?」
「こいつと、シンクとダブル導師が兄弟なんですよ。…ダアトにいるはずのガキがどうして此処に。」
 砂地に足を取られて何度も躓きながら、近付いてくるディストに、フローリアンはぷうと頬を膨らませた。
「皆どっか行っちゃてつまんなかったんで、僕も遊びに出た。アニスもいないんだもん。」
「来た…って?どうやって。」
 小首を傾げたピオニーに『知りたい?』と聞き、クスクスと笑う。ピオニーの手を引きながら、指で砂地に譜陣を描いた。はっとディストが顔色を変える。
「駄目です、フローリアン! その男を離しなさい! ピオニー、離れるんです!!」
「やだ、一緒にお家で遊ぶんだ。」
 唇を尖らせて、フローリアンはピオニーの手を引く。蹌踉めいた足が譜陣を踏んだ瞬間に少年が聞き慣れない詠唱を口にする。
「ダアト式…。」と呟く少年の言葉が聞こえると同時に、ピオニーは自分の周りを取り囲んでいた景色が一変したのを感じた。



「だから、離れなさいと…。」
 誰もいなくなった場所に、ディストはぺたりと座り込んだ。両手で頬を掴み、ムンクの叫びを実演する。
「あああああ〜〜〜〜よりにもよって、ダアトに連れて行かれたなんて事がしれたら…此処は見なかった事にしましょう。」
「…見てましたよ。」
 灼熱の地を瞬時に八寒地獄に変える声が頭上より降り注ぐ。
「これはどういう事ですか? あの子供は導師の一族でしたねぇ?」
 冷ややかなジェイドの視線に、体感温度は−10℃はいったであろうディストは、先程ピオニーと会話していたときよりも遥かに敏速に話し出す。
「あ、あれはフローリアンです。」
「四番目ですね。移動用の譜陣ですか?あれは。」
「導師のみが使用可能なダアト式譜術のひとつで、…教団内部にある譜陣と繋がっているんです。」
 ひやりと、体感温度がまた下がる。気のせいだろうか、空に黒雲がたちこめてきたような気もする。「つまり今頃陛下は、ヴァンの本拠地でもあるダアトにいる…と?」
「は、はい…。」
 にこり。
 ジェイドの綺麗な唇が弧を描いた。その禍々しいまでの美しさにディストは目が放せない。その脳天に長い足から繰り出されるブーツの踵が沈み込む。勢いよくディストの身体は砂にめり込んだ。
「貴方、なんの為にピオニーを連れ出したんですか?」
 謝罪の言葉を泣き喚く下僕を見下すと、眼鏡を押し上げて溜め息をつく。
「これから船便でダアトに向っても、手遅れで、陛下はマルクトに連れ戻されてしまうでしょうね。」
 どんと目の前にど●で●ドアを差し出して、ジェイドはディストの首根っこを捕まえてドアを開ける。目の前はダアトの教団本部。
「くぐりますか?」
「しししし、死にますよ〜〜〜」
 ジタバタと暴れるディストの鼻先で、ジェイドは扉を閉じた。「では、死ぬ気で手伝いなさい。」
 鼻水涙を砂地にボタボタ落としながら、捨てられた犬を思わせる表情でディストはジェイドを見上げる。
「シェリダンに向い、アルビオーレを強奪します。」


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