単身赴任編


「…なら、ジェイドは行くべきだろ!」
 強い口調でルークは繰り返した。その度に、ジェイドは溜息を付いている。こんなやりとりをかれこれ一時間は続けている。
「そんな事をしたら、すれ違ってしまうかもしれません。」
「何言ってんだよ。あんたの頭なら推測も出来んだろう!? だいたい、あいつらに捕まったらそれまでだろうが!?」
 薄い笑みを浮かべたままそれでも、動こうとしない死霊使いにルークはついに、ぶち切れる。
「だったら、ジェイドはさ、陛下があの将軍に取られちゃっても構わないって言うのかよ! 犯られちゃっても平気だとそういう訳だよな!?」
「そうなりますかね。」
 顔色ひとつ変えずに返事をしたジェイドに、ルークの顔は怒りで真っ赤に染まった。上げようとした手をガイが制する。
「もう、やめろ、ルーク。平気なはずないだろう。」
「だって…こいつ…。」
「お前にだってわかるだろ?どうでもいいのなら、ファブレ家に残して来たりはしなかった。あそこが安全だろうと思って置いて来たんだ。」
「そんなのわかってる!わかってるから、行けって言ってるんだよ。
 ジェイドはそれでいいかもしんないよ!?でも、陛下はどうなるんだ。
 無理矢理置いていかれた挙げ句に狙われて放り出されて、それでも絶対あんたを信じてる。」
 こんなに鬼畜なのにコンチクショ〜と、喚くルークをガイが苦笑いをしながら宥める。やれやれ、そう言うとジェイドは首を横に振った。
「貴方には負けましたよ。迎えに行きます。」
 ぱあと表情を輝かせたルークに、ジェイドは釘を刺す。
「その代わり、必ず、殿下のデータを入手してくださいね。頼みましたよ。」
「まかせとけ!」
 どんな根拠があるのか自信満々で答えた少年に、溜息をひとつだけ残してティアの家を出る。早足になる自分に苦笑して、しかしジェイドはそれを許した。
 ルークの告げる通りだ。揺るがない瞳を失いたくなければ闇雲に行動を起こすのもいいだろう。少しでも相手に近付ければいい。
 あの将軍などに指一本触れさせたくは無い。髪の一筋であろうとも与えたくない。彼を知るのは、そう自分だけでいいのだ。 
 

 波止場に急ぐジェイドの前にアリエッタが立ち塞がる。しかし、彼女が何か告げる前にジェイドはドス黒い笑みをその顔に浮かべた。

「今宵の『死霊使い』はひと味違いますよ。それでいいのなら、来なさい。」

 本気と書いてマジと読む。アリエッタの身体は本能に準じて、死霊使いの進行方向からずれた。
「いいこですね。」
 クスリと返された闇よりも濃い微笑は、アリエッタだけでなくその従獣も震え上がらせた。



 迷路と呼んでも差し支えのない地下。ディストが持つ譜業灯だけが頼りだったが、先を歩くピオニーに追いつけずどんどんと二人の差が広がったかと思えば、最後には座り込む。
「私は頭脳労働派で、体力なんかないんですよ!!!!!」
 歩く体力はなくとも喚く気力はあるらしく、音機関だらけの空間に彼の声が響き渡った。
「何だ?腹減ってんのか?」
 スタスタと帰ってくると、ピオニーは脚を投げ出して座り込むディストを眺めてそう問い掛けた。額にだらだらと汗を流し、眼鏡を曇らせながらディストは息ひとつ乱していない相手を睨み上げる。仕方ねぇなぁ…ピオニーは溜息を付く。
「ほら。」
 差し出されたチョコレートの欠片に、ディストは目を丸くした。
「貴方、どうしてこんなもの…?」
「庶民の嗜み。いつ家を追い出されるかわからない暮らしをしてたから、服に忍ばせておくんだ。習慣だな。」
 にこにこっと笑い、ディストの横に腰を降ろすと自分でも欠片を口に含む。
「噛むんじゃなくて、口の中で溶かすようにすると長持ちするぞ。」
「わかってますよ、そんなこと。」
 モゴモゴと口を動かす音が聞こえ、喚き声は消える。
「そんな貧乏暮らしをしていたのなら、皇帝陛下になれば食にも困らないし、住む場所だって出来るし、万々歳じゃあないですか。」
「…だって、なぁ…。」
 ピオニーは、言葉を詰まらせ唇に手を当てて黙り込む。「くだらない正義感ですか?馬鹿ですねぇ。」
「俺さ、こんな事になっちまったけどマルクトが好きなんだ。」
「は?」
「生まれて育った国だろ?見知った人間も沢山いて、だからそれを欺くような事はしたくなかったんだよ。皆を騙すのは嫌だった。」
「こんな目に会っても、そう言いますかね?」
 う〜んと空を見つめて、頭を掻く。
「…ま、それのお陰でジェイドにも逢えたしな…。」
 その答えに餌付けをされて大人しくしていたディストは再び、き〜〜〜っと叫びだした。
「そうですよ!ジェイドと貴方が会いさえしなければ、私がこんな目に会うこともなかったのに〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
 しかし、無駄に響く声がふいに止んだ。
「ディスト…?」
 不審に思い振り返ったピオニーは、ディストの口を抑えてるシンクの姿に目を剥いた。「おまっ!?」
 しかし、シンクは声を上げそうになったピオニーに、自分の人差し指を唇に当ててみせた。同じ仕草をしてピオニーは「しーっ?」と小首を傾げる。
「あんたら、騒ぎすぎ。これ以上いたらヴァンに見つかるよ。」
 シンクの腕の中でモガムグと暴れるディストを抑え込む。「煩いって言っただろ。静かにしてないと、ダアト式譜術をかけるよ。」
「…ひょっとして、此処から逃がしてくれるのか?」
「へえ、流石に話が早いね。そうだよ。」
 シンクはにやりと笑うとディストの首根っこを抑えたまま、立ち上がる。
「出口はこっちだ。」



 無事に何処かの草原に出たディストは、シンクに開放されても『覚えてらっしゃ〜い!!』という台詞をただ繰り返す。
「こういう場合は礼を言うもんだろうが。」
 苦笑いをしながらディストの頭を抑えつけて礼をさせ、ピオニーは『じゃあ』と手を振った。
「待ちなさい、貴方は私があんな目に会っていたのに…。」
 ゴドゴトとディストの愚痴が爽やかな草原の風に乗って聞こえてくる。 
「でもさ、なんであいつ俺達を助けてくれるんだろうな?」
「知りませんよ、そんな事!!!」
 シンクは遠ざかる後ろ姿を見送り、呟く。
「捨てられた子犬みたいで不憫なんだよねぇ、死神は…さ。」




 にこにこっと、イオンが笑う。
 それに答えてにこにこっとルークも笑う。
『可愛いvvv』とティアが頬を染め、横でガイが苦笑する。
「イオンのお陰で、思ったよりも早くデータが手に入って良かったよ。」
「いえいえ、ルークのお役に立てて本望です。」
 無邪気な笑みを見せるイオンにアニスはやれやれと溜息を付いた。
 アッシュからルークがユリアシティにいる事を聞き『どぉ〜しても行く!』と言い張って忠告を聞かない導師を連れて、遙々やって来る羽目になったアニスは、手間ばっかりかけさせやがってと額に怒りマークを点灯させている。
「ありがとな、イオン。」
 ルークはそう言って、手にしたディスクをクルリと一回転してみせた。ジェイドに大見得を切った手前、内心穏やかで無かった事を知っていたガイは拳を口に当ててくくっと笑う。
「そうだよな。明日にでも、押し込み強盗にでも向かいそうな勢いだったもんな、ルークは。」
「誰がそんな事するかっつうの!」
 むむっと機嫌を悪くしたルークを宥めるように、ティアが口を挟む。
「でも、導師イオンのお口添えが功を奏したのは間違いないわね。ルークだけだったら、後二週間は確実に掛かっていたわよ。」
 な?ポンと頭の上に置かれる手。むむっと頬を膨らませルークは黙り込む。
「さて、殿下のデータは手に入ったわけだけど、俺達これからどうすべきか…。」
 腕を組み顎に手を当てながら問うガイに、ルークも首を傾げる。

「面白そうなものを持っているんですねぇ。僕にいただけませんか?」

 まるで、鏡。
少女を共に連れた少年が、向かい合うように立っている。
「あ〜ネクラッタ!!!!」指を差し放たれた一言に、刺された少女も声を上げる。
「ネクラッタじゃないもん!アニスの意地悪!!!」
「あんたみたいに暗いのは、ネクラッタで充分よ!」
 導師の守り役も険悪ならば、その導師も険悪。無邪気な笑みを浮かべた同じ貌が、黒いをオーラを纏って笑いあう。
「ルークがバチカルにいないのを知っていて、よくも嘘を言いましたね。」
「あれ?そうでしたか?貴方の耳が劣化しているだけじゃないですか?」
「ははは、劣化しているのは、貴方の脳味噌ですよね?こ〜んなとこで、暇つぶしをするしか能がないみたいじゃないですか?」
「いえいえ、貴方のアンポンタンぶりには、手も届きませんよ〜。」
 必殺奥義を咬まし会う導師の守り役と、微動だにせず悪態をつき合う導師。
ティアはそっと頬に手を当てた。
「可愛い…。」
「それ、絶対間違ってるから…。」
 ガイとルークは声を合わせてから溜息を付いた。


content/ next