単身赴任編


 シンクと対峙したアッシュだったが、彼にはやる気という木が生えてはいなかった。(小学校の目標 やる気、元気、根気の三つの木を育てようだった/古)
「僕は邪魔はしないよ。」
 そう告げるとにやりと笑う。「その証拠に最初に忠告しただろう?」
 一瞬訝しげに目を細めたアッシュだったが、嘘ではないと判断したのか片手にした剣を軸にして大きく進行方向を変え、ヴァンに向う。
 大きく振り下ろした剣は、難なくヴァンに留められた。
「邪魔は無しで願いたい、子爵殿。」
 余裕たっぷりの顔にアッシュが吼える。「好き勝手しているのは貴様の方だ!」
「本来此処にいるはずのない人間を貰い受けるだけだ。問題無い。」
「はいそうですかと応じると思うか!? こちらは、死霊使いに頼まれているんでな。あれを敵に回す勇気はない!」
 ディストの椅子を背にピオニーが短剣を構え、ヴァンを挟んでアッシュが立つ。じりと、アッシュは下げていた左脚に力を込めた。大きく振りかざす右手。
「皇帝! そのまま、両手で構えてろ!!」
「!?」
 片手で持っていた剣の柄をピオニーが両手で握り直したのと同時に、アッシュは地を蹴った。背を仰け反らす体勢でヴァンの上を飛び越え、構えられた剣を脚で捕らえると反転し、ヴァンと剣を交える。ヴァンの身体はその勢いで引き離された。
 ピオニーは蹴られた勢いのまま椅子の座したディストの膝の上に飛ばされ、少しばかり浮き出していた椅子は大きく揺れ、ディストの金キリ声が響く。
「さすが、弟君とは違うようだ。」
 揶揄の笑みを浮かべたヴァンに、アッシュは怒りを露わにした。
「ルークの事を悪く言うな。あいつは俺とは違う…違うが、お前に非難を受けるような人間じゃあない!」
「そうですわ!私の幼なじみの悪口など許しません。」
 実の父親を瀕死の状態に追いやって、ナタリアも賛同の声を上げる。周りを囲む騎士団は、教団の人間に手を出せずにいる状態。アッシュにも、いつまでヴァンを抑えていられるか自信はない。
 それでも人間二人を乗せると重いのか、椅子は一向に上がらない。自分の肩の辺りまで浮いたのに気付いたアッシュは、椅子の横を蹴り上げた。
「早く行け!!」
 ディストを椅子にピオニーをその肘掛に引っ掛けたまま、柵を越えた。しかし…。
「何すんですか〜〜!まだ動力がぁあああ!」
「うわぁあ!?」
 椅子は宙に浮くどころか、高い位置にある屋敷から落下していく。
「何!?」
 アッシュが柵に乗り上げて下を見ると、既に二人の姿は米粒になり直ぐに見えなくなった。
「あ〜やっちゃたねぇ。」
 今の今まで、我関せずを装っていた、アニスとイオンが柵に手を掛けてを眺めながら会話を交わす。
「くっ…この屑がっ…。」
 それを追っていったのか、気付くとヴァンとシンクの姿は無い。駆け寄ってくる騎士団の手には鳩と書状。差出人は、ジェイド。
「遅いぞ…死霊使い…。」アッシュはそう吐き捨てた。



 あいたた…。うめき声と共に身体を起こすと空は遠く、そして小さく見えた。
「あんな所から落ちて、よく無事だよなぁ、俺達。」
 感心した様子で、ピオニー床に強か打った腰をさする。
「その変わり、私の音機関がぼろぼろです!!!!!」
 その横から、キーッと高らかに鳴くディストの声がした。同く床に座り込んでいるディストはピオニーと目が合うと、紫色の瞳を涙で一杯にしながら睨み付けてくる。
 床には原型を留めていない音機関とその部品が散らばっていた。
 謝罪か慰めか言葉を挟もうとしたピオニーを遮り吠える。「全く、貴方なんかに係わるとロクな事がありませんねっ!」
 苦笑いをしながら、ピオニーは再度上を見上げた。
「これで、あいつ等追って来ない…わけないか…。」
 やれやれと、立ち上がり服を叩く。微かな光に埃が舞うのが見えた。
「ここ何処なんだ?」
「昔機能していた場所で、今は廃墟ですよ。
 ねぇピオニー…もしも、貴方が前に住んでいたところへ帰りたというのなら、頭を下げれば…ですけど、連れていってあげなくもないですよ?。」
 親切心ではなく、ジェイドのところへ行かせたくないという意図が丸見えだったが、ピオニーは、ああ。小さくそう呟いて睫毛を伏せた。
「…俺さ、最初にあいつらに捕まった時に服も持ち物も全部取り上げられた。」
『それを使って、死体を一個作るくらいあいつらにとって造作もない事だろ?。』
 ディストは彼がなんとか笑みを浮かべようとしている事だけはわかった。それでも、顔はいびつに口元を歪めただけ。
「無理を通したら、迷惑が掛かる…んだ。」

『此処にいるはずのない人物。』つまりそれは、そういった含みを持っていたという事だ。

「助けにきてくれてありがとう、ディスト。…此処からは、俺「…なら、ジェイドのところへ送っていくしかないじゃありませんか。」」
「へ…?」
 ディストはふんと鼻息を荒くした。
 ヴァンの意図がわかった上で、見過ごせば待っているのは、恐怖のお仕置き。それを避ける為に、形ばかり助けに来ただけのはずだった。
 ここへ置いていったって、いいのだ、それなのに…。自分を見つめて、笑う相手をどうしても無下に出来ない。 
「あなたなんかに同情している訳ではありませんからねっ!此処で放り出したら、後で金の貴公子にどんなお仕置き受けるか…考えたくもありませんから。」
「同情でも自分に感情が向けられるのは好きだ。」
 にかっと笑い、ピオニーはディストに手を差し出した。顔は不機嫌そのものだったが、ディストはその手を掴み立ち上がる。
「仕方ありません。行きましょう。」



 ぼすっと言う音と共に、ルークの腕はマットに沈んだ。
小さな声を上げて、反動で倒れこむ緋色の髪もシーツの上に散った。それを愛おしく見つめる碧眼も、唇も気を抜く。
「あ〜〜たんまっっ!!」
「待ったは無し。俺の勝ちだな。」
 ベッドにうつ伏せになったガイは、その笑顔を片手で支えながら目を細める。目元を赤くしたルークが頬を膨らませると、ガイと握り合った手をばばっと振りほどき、もう一度腕相撲の体勢になった。
「もう一回。」
「まだ、やるのか?」
 勝つまでやる。勝気な翠の瞳がそう告げる。
全く困ったものだが、この瞳に見つめられて断る意志の強さなどガイの中には欠片も無い。
 わかった、わかった。そう言いながら差し出された手を握った。
 お互いの気持ちを確かめ合って、バチカルを出た時は細くて頼りなかったその手も、毎日剣を握り、危険を掻い潜っ行くうちに逞しいものに変わっている。随分と大人になった。
 見詰め合う瞳にぐっと力が篭る、その強さに眩しさすら感じた。
「隙あり!」
 真剣な表情が一転、悪戯な笑顔になったかと思えば腕を大きく傾ける。
「あ、こらルークっ!」
 慌てて攻防に転じ、手の甲がシーツの触れる寸で留める。ちっと小さく舌打をした顔。さて、どう反撃しようかと思案した時、部屋の扉が開いた。
「ジェイド…?」
 ルークが身体を起こして、声も無く入ってきた死霊使いを見つめた。同じ様に顔を向け彼が険を纏っていることにガイは気付く。
「旦那、何か不備でもあったのか?」
「公爵の屋敷にヴァンが現れました。」
 驚き声を上げた二人に対して、ジェイドはそれ以上何も言おうとはしない。焦れて声を上げたのもガイだった。「陛下は無事なのか?」
「ディストと逃げたそうです。アッシュの手紙だと、恐らくこちらへ向っているだろうととのことでした。」


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