単身赴任編


 散歩でもする様にのんびりとジェイドは街の中を散策する。
ユリアシティは、古の時代この星の中心して機能していた都市。今の二大帝国と比較すればその規模は小さいが、集約された都市構造などは、決して侮れるものではない。
 そう閲覧の希望が確実に通るとは限らないのだ。
 こちらの手にあるカードは多いが決定打には欠ける。そして、万が一速やかに事が運ばれなければ、マルクトの妨害が入ることも充分に考えられた。
 データの泥棒は計算のうち、問題があるとすれば逃走ルートを確保するだけの土地勘が『今はまだ』無いという事だけだ。
 ジェイドは、細い路地ひとつ見落とさないように注意深く辺りを観察する。
悪のと付くのは、歓迎すべきことではないが、稀代の譜術師として天才と呼ばれる脳は、それだけで地図を作っていくのだ。
 しかし、ジェイドはふと笑みを浮かべた。

…他人の為に、こんなことをするようになるとは、我ながら信じられませんね。

 脳裏に浮かぶのは、ファブレ公爵の元に置いてきた彼の事。鮮やかな笑みが、意識をするまでもなく思い描かれる。
 思い立ち、懐に手を入れた。取り出したのは、小さな小瓶。中に金色の髪が入っている。データを解析するために、ピオニーから拝借してきたものだった。
 自分の腕の中で眠る人からこっそりと切りとった髪は、その持ち主から遥かに離れてしまったにも係わらず、綺麗な輝きをジェイドに見せつけた。
 途端、会いたいなどと思う自分に驚く。

『重症です。』

眼鏡を押し上げ、深い溜息を付く。浮かんでくるのは自嘲の笑みか…。
 
「お久しぶりですね。」
 ふいにかけられた声。それだけで相手の検討が付いたジェイドは顔に張り付かせている笑みを取り外して振り返った。
 緑の髪の少年。細身でふわふわとした服を羽織っていた。
 可愛らしい顔に満面の笑顔を向けてくる相手の腹の内を知っているのなら、この世界に心持ちと同じ貌はそうそう存在しないのだと納得する事が出来ただろう。
 ジェイドは、少年の後ろにいる桜色の髪の少女に目を向けると、一層眉間に皺を寄せる。それを見た少年が微笑む。
「綺麗な貌をしていらっしゃるのに、その表情はいけませんよ。」
「いえいえ、人が見惚れるのは馴れておりますので、たまには違ったお顔を拝見しようと思いました。導師イオン。」
 ジェイドに問い掛けには返事をせずに、少年は微笑んだ。
 邪気の欠片も浮かばない顔は、相当数の信者を従える教団の頭を務めるに相応しいものに見える。
 しかし、ジェイドは少年の笑みなど見ず、後ろの少女を睨みつけていた。
「アリエッタ、今日はイオン様のお供なの。だから、ヴァン総長なんて知らないもん。」
 彼女はそう告げると、両手に持ったぬいぐるみをぎゅっと抱き締めて、イオンの後ろに隠れる。
「本当ですよ。」
 笑顔で細めていた目をすっと上げて、イオンはジェイドを見返した。
「弟が、ファブレ公爵の出奔していた弟君が帰ってきたと聞きつけましてね、総長やアニスを伴って会いに向いましたよ。」
 途端、ジェイドの表情は険しさを増した。イオンはその様子を眺めて笑みを深める。
「ああ、貴方のそんな顔が拝見出来できただけでも、ユリアシティに来て良かった。」
「私に会う為…とおっしゃいますか。」
 ジェイドは、再度眼鏡を押し上げながらくくっと嗤う。形良い唇を微かに開き嗤う様は、それなりに絵にはなる。
「では、こちらへガイもルークも来ている事をご存じの上だと言うことですね。」
「ええ、勿論ですよ。」
「それでも、お教えにならないとは、随分な人格者だ。」
 にこやかに微笑み会う二人。取り巻くオーラはただどす黒い。絵になるとしたら、きっと地獄絵図になったことだろう。
「僕はどちらかと言えば、皇帝の方に興味があったんですが、そちらは残念ハズレのようですね。」
「これは、誠に申し訳ありありませんねぇ。」
 クスクスと嗤い会う二人。異様な空気を辺辺り一面にまき散らすと、お互いに満足したようにその場を後にした。


「イオン様、楽しそう。」
 トコトコ、少年の後を追いかけるアリエッタが呟くと、イオンはことのほか優しげな表情を浮かべた。
「死霊使いにあんな貌をさせる相手なんて、随分と楽しそうじゃないですか?。アリエッタも、ヴァンに協力してあげてくださいね。」
 コクンと素直に頷いた少女を見て、少年はにっこりと笑った。
「ああ、でも本気で怒らせると怖いから、程々に…ね?」


 日課になった庭園の散歩を終えて、ペールの側に行くつもりだったピオニーの頭上から、空飛ぶ椅子が降ってくる。
「へ?」
 鼻先に止まるそれに乗った人物は、充分にかかった重力を堪能してから顔を上げた。涙と鼻水にまみれた人の名前は…。
「ディスト?」
 ゼイハアと荒い息遣いと、だらだら流れる汗に眼鏡も曇り。なかなか言葉も出てこない。
「此処、譜業だらけの場所なのに、よく入り込めたな。」
 目を瞬かせて、感心したように声を掛けたピオニーの手を、ディストが掴む。
「…来…なさい…。」
「え?」
 驚いて反応出来ないピオニーの腕を、今度は力を込めて引く。どうやら、この椅子に乗せるつもりなのだと察して、ピオニーは脚に力を入れた。
 彼が自分に対して悪意のみを持っているとは思わなかったが、ジェイドに残れと言われた以上勝手に出ていくのも憚られる。それに、彼に頼まれたアッシュにも迷惑が掛かるだろう。
 理由を聞こうと、掛けた問いは一蹴される。強く腕を引かれた。
「…いいから…此処を出るんです!」
 ふいに斜めに薙いだ剣がディストの銀髪を空に飛ばした。ひっと息を飲む声がディストの口から漏れ、ピオニーは剣の持ち主を振り返る。
「アッシュ!」
「そいつを放せ!死神。」
「う…うるさいですよ、鮮血!」
 余程その名が嫌いなのだろう、アッシュの眉間にはその歳にそぐわない深い皺が刻まれる。その緋色の髪が怒りを纏い、なお赤味を増したようにも見えた。
「…その腕を切り落とされたくなければ、放せ。」
 ピオニーは捕まれていない方の手で、アッシュの右手を−剣の柄を握ったその上から−抑える。ふるっと首を横に振った。
「お前は、死霊からの預かりものだ。理由もなく行かせるわけにはいかん。」
 しかし、ピオニーは静かに首を横に振る。
「こんな奴を信じるというのか?」
「こんな奴とは、随分な言い草ですね!!!」
 きぃいいいいと声を上げたディストをアッシュは睨みけると彼に向けていた刃を離した。
「ありがとう、アッシュ。」
 笑顔の皇帝を斜め見て、ふんと鼻を鳴らしながら剣を鞘に収める。…と、慌てた様子でナタリアが走り寄って来た。
「大変ですわ!」
「どうした、ナタリア。」
「たった今、導師イオン(2番目)が、城の方へ参られましたわ。用事があるとかでヴァン総長を伴ってこちらへ…!」
 ナタリアがすべての言葉を言い終わる前に、中庭に続く廊下から騒々しい足音が響いた。
「ルーク!」
 満面の笑顔と共に現れた少年は、アッシュの顔を見て露骨に笑みを崩した。
「ルークは…?」
「…いないぞ。」
 不機嫌そのもので返すアッシュに、横に並ぶアニスがやれやれと首を振った。その後ろにはラルゴとシンクの姿も見える。
「イオン様。だから、オリイオ様の言葉を鵜呑みにしてはいけないと申し上げたでしょう?アニスの言う事を聞いてくださいよ〜。」
「でも、ルークがキムラスカに帰ったという情報は、教団に入ってましたし〜。」

「見つけましたよ、皇帝陛下。」

 そちらの集団に目をとられていたピオニーは、横から聞こえた声に振り向きざま、懐に入っていた短剣を横に薙ぐ。軽々とそれを交わして、ヴァンはにやりと笑った。
「無駄ですよ、皇帝。」
「ちっ…早く行け!死神!
 ナタリア、ラルゴを抑えろ!俺は、シンクを足止めする!」
「わかりましたわ!」
 ナタリアは素早くラルゴに近づき手にしたバスケットを差しだした。被せられた布を取ると、脅威を感じる代物が存在感たっぷりに鎮座している。
「お父様!私が料理致しましたの。どうぞお食べになって!」
「こ、これが、人の造りしもの!?(驚)」
 どんなに愛しい娘の作品でも、身体が、本能が拒絶する。「…ゆ、許してくれ、メリル…。」
「そんなっ!お父様は、私の事が嫌いなのですか!!!!」
 目尻に涙を浮かべて告げられた娘の言葉に、ラルゴは死を覚悟した。


content/ next