単身赴任編 キムラス王家の流れを引く由緒正しいファブレ侯爵の屋敷。 その中庭は白い花が咲き乱れている。褐色の腕が伸びると一本だけ手折り、その花弁を傾けた。 「綺麗な花だなぁ。」 青年の横に座り、土いじりをしていた庭師の老人が笑った。 「殿下は昔からこのお花がお好きでしたからねぇ。」 「そうか、俺は昔からこれが好きだったかぁ。」 微妙に噛み合うことのない会話。しかし、近頃のファブレ家では珍しいものではない。廊下を歩いていたアッシュがそれを見つけ、頭を掻いているピオニーに呼び掛ける。 「ペールはボケているんだ。毎日々つき合ってやらなくてもいいぞ。」 「ああ。」 ピオニーはにことアッシュに笑い掛けてから、ペールにじゃあなと声を掛けた。 「お友達ですか?夕餉までにはお戻りくださいね。皆が心配しますから。」 「うん。わかった。」 丁寧に言葉を返して、小走りにアッシュの横に立つ。アッシュはその歳に似合わぬ皺を眉間に寄せ、溜息を付いた。 「物好きなことだな。」 「特にすることも無いし、俺は似てるらしいからいいさ。でも、あの爺さんがピオニー殿下に仕えてた人物だったのは驚いたけどな。」 「あの男は、ガイと一緒に雇った人間だ。元々、ガイの実家に奉公していたらしいが、火事で焼け落ちるまでは王宮にいたそうだ。」 「へ〜。」 にこにことあくまでも笑顔の相手に、ついキツイ事を告げてしまうのは、あの『死霊使い』と同じ性格を持ち合わせた故だろう。わざとらしくフンと鼻を鳴らす。 「随分とご機嫌だな。死霊使いの後を追うか、もっと暴れるかと思っていたぞ、皇帝。大人しく待っているとは予想外だ。」 「だって、あいつが…さ。」 ピオニーは、ほんの少し目を彷徨わせてから苦笑いを浮かべる。無意識に指が今だ残る鬱血の後を撫でていた。 『今にも泣きそうな顔をして自分を抱いた』死霊使いが、自らも必死で気持ちを抑えているのがわかったから…。 我慢するしかないじゃないか…。 「そういえば、マルクトでは嫌われてるジェイドとどうして親しくしてるんだ?」 「ああ、母上が病がちで、あの男に処方箋を貰ったことがある…まぁそういう縁だ。」 そっか。ピオニーは笑った。「いい奴だよな。どうして皆わかんないのかなぁ。」 「そんな事を言うのは、お前位だ。もの好きめ。」 はっと息を吐く相手に、ピオニーは笑みを崩さない。 「俺はあんたも嫌いじゃないなぁ。」 「どうして、そこで俺を引き合いに出す。」 のんびりと仲良く…そんな風にも見える二人は軽口をたたき合いながら、遠く旅の空にいる人達を想った。 何してるんだろうなぁ。あいつら。 「ごめんなさい。」 大きなメロンを挟むように手を揃え、ティアは三人に頭を下げた。 業務的にも感じる淡々とした口調だが、困ったように下ろされた眉毛が本心だと告げていた。 「でも、ティア…。」 「ごめんなさい、ルーク。一応極秘資料になっているものだから、部外者においそれと見せるわけにはいかないのよ。」 ええええ〜と不満の為大きく膨れたルークの頬を見やって、ガイが困った顔でジェイドに視線を送る。 貰えませんでした。ごめんなさいと、キムラスカへ帰るわけにはいかない身の上だ。最も、この『死霊使い』が大人しくそんな事をするはずもない。 ついにユリアシティに血の雨が降るのかと、ガイはシクシク痛む胃を抑えた。 「おいそれ…とはどういう事ですか?」 しかし、ジェイドの声は冷静そのもの。 「特別の許可があれば又は閲覧の為の手続を踏めば…という事ですか?」 「ええ。頭から駄目という事ではないの。古くて貴重な文献を多く扱っているから、なかなか許可が出ないのよ。」 「それは、恐らく大丈夫でしょう。こちらは、キムラスカ王家の血を汲むご子息の方がいらっしゃいますし、それで不足でしたら次期国王の誉れが高い子爵から要請を頂くことも可能です。」 「そう…そうよね。ルークがいたんだわ。」 「忘れてたのかよ。」 未だに、ふくれっ面のルークにティアは微笑む。『ごめんなさいね。』そう言うと、頭を撫でた。子供扱いに頬を赤くしたルークには『可愛い。』と微笑む。 姉弟のような二人を眺めながら、ジェイドは眼鏡を指で押し上げた。 「…それでも駄目なら、最悪のケースにはなりますが、マルクト皇帝の許可を得ることも出来ますよ。」 ジェイドの言葉にティアは長い髪を揺らし、驚いた顔で口元を抑えた。 「皇帝自ら?病でふせっていらっしゃると伺ったのに。」 「世界には一枚板では済まされない世界がありますからね。」 あくまでも、にこやかで物腰も柔らかい。 強烈な嫌味と悪辣な奸計さえ表面に出なければ、紳士でとおる風貌なのだとガイは再確認した。しかし、胃は痛む。何故なら、自分が彼がそうで無いということを嫌と言うほど知っているのだから。 そして、忘れてはいけない。皇帝をさらったのは自分達だ。胃はぎりりと痛む。 「わかったわ。おじいさまを通して、正式に閲覧の要請をしてみます。少し時間が掛かるかもしれないけれど…「その間、ティアの家に泊まってもいい!?」」 ルークの提案に、ティアは一瞬目を瞬かせた。 「え、ええ、いいけれど。どうして?」 「久しぶりに会ったから、ゆっくり話しがしたいし、母上から伝言もあるんだ。」 「わかったわ。じゃあ、業務が終わるまで時間を潰していてくれる?迎えにくるから。」 「うん。」 元気よく頷くルークにティアはクスリと笑った。そして、 「そんなに睨まなくても、貴方のルークをとったりはしないわ。」 「お、俺はそんなつもりじゃ…。」慌てたガイにヒラと手を振り、ティアが立ち去る。 「おやおや、世話になる方に嫉妬とは。意外に腹黒ですね〜ガイ。」 如何にも面白そうに言うジェイド。ルークはきょとんとガイを見つめ、ガイの尻尾をがっしりと掴み引っ張った。 「…妬いた…?」 色々と説明しろと、キラキラした碧の瞳が告げている。助けを求めようと辺りを見回したガイは、背中を見せて歩き出したジェイドに気が付いた。 「旦那、何処いくんだ?」 逃げ出せないように、がっしりと掴まれたままガイはジェイドに声を掛けた。振り返った笑顔が答える。 「手は色々と打っておくものですから。…では、ごゆっくり。」 content/ next |