新婚旅行編


 夜の森。ざかざかと、草群を進む二人の影が月に照らされる。
「ガイが心配するぞ?」 
 ピオニーの言葉に、いっそうムキになったルークは足を早めた。さっきから『ガイ』という言葉は、ルークにとって禁句だ。
 ジェイドを探しに行くと言ったピオニーに、ルークは付いていくと言う。じゃあ、ガイも…と言った途端に、ルークはひとりで外へ出ていったのだ。
 慌てて追いかけたピオニーも、ガイに何も告げずに出てきた事に気付いたのはたった今だ。きっと心配しているに違いない。
「なぁ…ルーク、さっき俺が素直だって言っただろ?」
 ピオニーの言葉に勇んでいたルークの足が止まる。赤い髪が月に照らされてオレンジ色に揺れる。
「お前も…素直になりたいって思ったんじゃないのか?」
 幼い子供のようなルークの顔が振り返った。
 金の糸がさらさらと風に踊っていた。ガイよりも淡い色をした目が、ひたと自分を見据えている。

「…俺…ジェイドが好きだ…。」

 唐突に紡がれる言葉。自分の想いを即されていることがわかっても、ルークは頬を赤くして、ただ目を反らした。
「なんで、そんなに自信満々なんだよ…。」
「自信なんかない。」
 ピオニーは、そんな言葉ですら堂々と口にした。ルークの頬がその髪の毛に追いつきたいのだといわんばかりに色を濃くする。
「ただ、俺は自分の気持ちを知っているだけだ。」
「俺…はっ。」
 吐き出す言葉は喉に詰まり、目を刺激する。
「俺は、嫌なんだよ。このままガイの優しさに甘えてるのは。普通にあいつの横に並びたいんだ。剣の腕も、人間としても…そうでなきゃ…。」

 なんで、家を出たのかわかんねぇじゃねえか。

「きさまがガイラルディア様と並ぼうとは…笑わせる。」
 その言葉にルークは、ハッと顔を上げた。視線の先には、ヴァン総長の姿。
「俺は、人の話を立ち聞きしてるあんたを笑うぜ。」
 辛辣なヴァンの言葉に、ピオニーは相手を睨み付けてそう言い放った。
ふ…と笑みを浮かべて、ヴァンは視線をピオニーに移す。
「皇帝陛下。死霊使い殿がいらっしゃらないのに、我が身が守れるとお思いか?」
 ゆっくりと剣を抜き、刃先をピオニーに向ける。
「怪我をしたくなければ、大人しく従いなさい。」
「断る。」
 まるで、本物の皇帝のように堂々と答え、ピオニーは薄く笑った。
「そんな不遜な態度をとるんだから、あんただって俺が偽物だってわかってるんだろ?なんで、手を貸す。」
「全ては、ガイラルディア様の…「ガイはそんな事の望まない!」」
 腰の剣を手に移し、ルークはピオニーとヴァンの間に立ち、その男を見据えた。
「ガイは、人の不幸を喜んだり、益を得る事なんか絶対に望まない。そんな事もわからないないなんて、あんたガイの何を見てるんだ。」
 大きく息を吐いて、両手で剣を握りしめる。
「それに、俺はジェイドやガイにまかせてって大見得をきった。陛下を渡すわけにはいかないんだ。」



 地に伏し、何度目かの回復を受けているルークを越えて、ヴァンの視線はピオニーに注がれる。
「もう無駄でしょう…来ていただけますな。」
 その言葉と同時に、ルークは剣を支えにして立ちあがり男を睨む。荒い呼吸を繰り返すルークに言葉はないが、瞳の強さは失われていない。
「…ルークが諦めない以上、俺も諦めない…。」
 顔を顰めながら返される答えに、ヴァンは嗤う。
「随分と慈悲深い皇帝陛下でいらっしゃる。では、この子供を二度と立ち上がれなくしてから、貴方を連れていくことにしましょう。」
 言い終わらぬうちに、振り上げられる太刀。

「ルーク!!」

 しかし、重く振り下ろされるはずだった太刀は、横から現れた刃に阻まれる。ふわりと、ルークよりも長い赤毛が、主より一歩遅れて重力に従った。
「……アッシュ…?。」
 ルークの碧瞳が、同じ色を見つめた。
「心意気と実力は別物だと知れ、この屑がっ!」
 口汚い言い方をしたわりに、心配でたまらなかったと告げる表情を一瞬ルークに向けた。
「どきなさい!」
 そして、鋭い声が場を制する。大きく展開された譜陣がヴァンを取り囲み、アッシュはルークを弾く形で横へ飛んだ。
「ミスティック・ゲージ!!」 
 場を震源地として広がる衝撃波は、中心のヴァンを包むが、消え去った光の後にその姿は無かった。抱いていたピオニーの肩から手を外し、ジェイドは眼鏡を押し上げる。
「そう簡単には殺られてはいただけませんか。」
「ジェイド…俺。」
 躊躇いがちに開いた口を見つめて、ジェイドはにっこりと笑った。
「お話は後でゆっくりと伺います。今はルークを回復して差し上げて下さい。」
「そいつは回復が出来るのか?。 ああ、そう言えば…。」
 そう呟いたアッシュの頬が弛み、唇が弧を描いていく。ピオニーは回復の手を止めて口元を手で翳しながらルークに尋ねた。その声は訝しげで、なおかつ細い。
「あいつ、何笑ってんだ?キモイぞ。」
 両眼を細く呆れ顔をしながら、答えもコソリと、溜息と共に返ってきた。
 屋敷にいても、従姉妹と兄のいちゃつきっぷりは凄まじい。回復という一言だけで、アッシュはナタリアを思い出しているのがわかる自分が既に嫌だ。
「アッシュの6割はナタリアだからな…。」
 やはり意味がわからず、ピオニーは小首を傾げた。

「ふおっ、ふおっ、ふおっ。」

 水戸黄門のような呑気な笑い声と共に、雑草と変わらぬ身長の老人が姿を現した。 後ろに良く肥えたぶうさぎを従え、面白いものを見れたと悦にいり、その場にいた人物を眺めている。
「なんだ?この爺さん?」
 ルークの疑問は、アッシュの罵声とともに解消される。
「マルクト軍属老師マクガアヴァン殿だ。失礼な事を言うな。この屑がっ。」
「え〜だって、こんなのただの爺…。」
 それでも、続けようとしたルークの口をアッシュは完全に塞ぐ。鼻も一緒に塞がれて、藻掻き苦しむルークと必死で押さえるアッシュを見て、ジェイドは『つき合いきれませんねぇ〜』と鼻で嗤った。

 マルクト軍属と聞き、彼等には散々追い回されているピオニーは顔を歪める。
 しかし、老人は警戒心を隠そうともしない相手に近付いた。笑みを浮かべながら目を細める。
「これは懐かしい。本当に殿下と生き写しですな。将軍閣下もなかなかやるのものだ。」
「似ていますか?」
 興味深げにジェイドが問う。「似ている。側近であった儂が見ても遜色ない。」
 マクガアヴァンはそう告げ、言葉を重ねた。
「これならば、数多の人々が納得したのも道理。大層な拾いものだ。」
 コクリと頷きジェイドはピオニーの方を向く。そして笑みを浮かべた。
「私は彼と話をしていて遅くなってしまったんですよ。戻ってこなくてそんなに心配でしたか?」
 わざわざこんなところまで…と言われピオニーはムッと顔を歪めた。
「あのなぁ、俺は…。」
 揶揄した言葉に反論しようとした唇に、ジェイドは指を置いた。
「私は怒っていますよ、わかりませんか?あのままでは、間違いなく貴方はヴァンに連れて行かれました。そして、そのままグランコクマへ直行です。」
「わかって…。」
「いいえ、わかっていません。迂闊すぎます。もっとも、あの少将が恋しいとで言うのなら貴方の行動も理解できますが?」
 その一言に、ずっとジェイドを睨み付けていた目が伏せられる。まるで、それが真実だったと告げられたようで、ジェイドも普段崩さない笑みを消した。
「…これから気をつける。」
 小さな呟きと共に離れる身体。踵を返そうとした腕を掴むと、引き寄せる。
「やはりわかっていませんね、ピオニー。」
「な…にが…。」
 情けない顔を見られたくなくて、背けた耳元でジェイドが囁く。「私の側を離れるな…と言っているんです。」
「へ…?」
 ぽかんと口を開けた表情。なんて可愛い顔ですかねと、ジェイドは口元を緩ませ、頬に口付けを落とす。
「全く、間の抜けた顔をして、二度は言いませんよ。」
「え、だって、お前…怒って?」
 頬に触れた唇の感触は、益々ピオニーから冷静な判断とやらを奪っていく。軽いパニック状態で目の前の死霊使いを見れば、普段と変わらぬ笑みを浮かべ、こう告げた。
「何か言いましたか?私は。」
 にこりと嗤うジェイドに、ピオニーは狡いと睨むと両手で頬を引っ張った。
「痛いじゃないですか。」
「だったら、その不気味な笑みは速効やめろ。」


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