新婚旅行編


 セントビナーの宿。部屋へ辿り着くと、ピオニーは泥の様に眠り込んでしまう。
これで疲れも癒えるかと思っていたが、真夜中近くになると今度は悪夢に魘された。

「も…やだ…。どうして…。」
 喉にかかる服を引き千切るかと思われるほどに強く掴み、端正な顔を歪ませる。
止めようとして手に触れると、大きく身体を震わせた。
「や…いや……!やだぁ!!」
 悲鳴に近い声が上がると同時に、ジェイドは相手に覚醒を即す。細く開いた瞳は潤んで、自分を視界に捕らえていないことを感じた。
 額に浮かんだ脂汗でじっとりと濡れた前髪を撫でつけてやると、初めて認識した様子で瞳が動き、自分の顔を見つめる。
「ジェイ…ド?。」
「ピオニー、貴方…。」  

「…あの将軍に犯られましたか?」

 少しの沈黙の後、顔の下から上に蒸気があがるが如く赤くなり、耳の先まで真っ赤になった時点で、ジェイドに向かって枕と共に罵声が放たれた。

「いきなり何言い出すんだ!このあほう!!!」



「…という訳で部屋を追い出されました。ついでなので、森に薬草を採りに行ってきます。」
「そりゃ幾らなんでも、不味いだろ?」
 目を細め明らかに馬鹿にした表情のルーク。苦笑いを越えて引きつった笑みを浮かべるガイ。
「俺も聞き方ってもんがあると思うぜ、旦那。謝ったのか?」
「一応詫びは入れておきましたが、どうにも機嫌を損ねたようで返事もしてくれないんですよ。」
 さもありなん…と、両者の目付きは冷ややかだ。ジェイドは、顎に手を当てて暫く思案してから独り言のように言葉を続けた。
「ふむ…こうしてみると、私自身が意外とそれを気にしていたようです。咄嗟にあんな言葉が出てくるとは思いませんでしたからね。」
 しかし、変わらぬ笑みを浮かべたままのジェイドに動揺は見られない。
「ま、いいや。俺が取りなしておいてやっからさ。」
 胸元をどんと拳で叩いてルークが偉そうに仰け反ってみせた。
「大丈夫かぁ?」
 苦笑するガイには、反発心満々の目を向ける。まるでお子様の反抗期だ。
「大丈夫!ガイは心配性すぎんだよ!」
「いえ、私も心配ですが。」
 そう付け加えるジェイドに、尚更頬を膨らませルークは、隣の部屋へ向かった。
「この頃よくつっかかってくるんだよな。ルークの奴。」
「ヴァンの存在が彼をそう仕向けるのではありませんか?」
 クスリと笑うジェイドに、困惑の表情のガイ。
「お互いに、己の燈台の周りはよくわからないと言ったところですか…。」
 そして、声を潜めた。
「ここは、マルクト軍属老師マクガヴァンのお膝元です。くれぐれも油断なきようお願いしますね。」
 ジェイドはそう告げると宿を出ていった。


「でさ、そん時のガイときたら…。」
 ぶぶっ。枕に顔を突っ込んでいたピオニーが盛大に吹き出した。
「何さ。」
 話しを中断され、あまつさえ笑われルークは不機嫌そうに彼を見る。
「いや、ルークは本当にガイの事が好きなんだなぁってな。」
「違げぇ…ってか、俺そんな事言ってねえだろ!?」
 ムキになって反論するあたり、肯定しているようなものなのだが、真っ赤になったルークにピオニーはくくっと笑う。
「ココ来てからずっとガイの話してる。気付いてないのか?」
 途端、ルークは口を尖らせて黙り込んだ。ピオニーに揶揄されたからではなく、自分が何故ココにいるのか…を思い出したからだ。

 これじゃあ、ガイやジェイドに心配だなんて言われちまうよな。

「陛下はさ、ジェイドの事好きじゃないの?」
 唐突なルークの問いに、ピオニーは一瞬言葉を失い顔を赤くして黙り込む。
「すげぇ聞き方だったとは思うけど、心配してるからだろ?そこんとこは、話し合っといた方がいいと思うんだ。
 やったとかやられたとか、俺が聞きたいわけじゃなくてさ!」
 両手で拳を握り力説するルークに、ピオニーは眉間に皺をよせた。
「…鼻息を荒くして興味津々で言うな。犯られそうにはなったけど、何にもなかった。」
 その答えに、ルークの顔はお預けをくらった子犬のようなきょとんとしたものになる。ピオニーもばつが悪そうに目を揺らした。
「なんで?」
「それ聞くかよ。」
「え?聞きたいじゃん。」
 う〜と唸ってから、ピオニーは『絶対ジェイドには言うな』と前置きをして、言葉を続けた。
「子供みたいに、泣きながらジェイドの名前を呼んでたら、相手が諦めた。」
「うわ〜。そら、恥ずいかも。」
 顔を真っ赤にしてピオニーがルークを睨む。「だから言いたくなかったんだ!」
「拘束されてたし、脅されてたし、凄く怖くて、頭ン中真っ白になって気が付いたら呼んでたんだよ。助けをとかなんとか言うんじゃなくて…その…。」

 「あいつの事以外、何にも浮かばなかった。」

 ぼそりと呟く。あ、なんか羨ましいかも…とルークは思う。
「…陛下、素直だなぁ…。」
 自分も素直にガイに告げたい事があるのだ。
 そして気付く。ピオニーがジェイドに対して怒っているわけではないという事に。同時にがははと笑い出して、ピオニーを面食らわせる。
「機嫌が悪いと恥ずかしいの区別がつかないほど混乱してたってのか?あの鬼畜眼鏡が? 傑作!」
 そのまま、ルークは脇腹が痛くなる程に笑い転げた。



 もうひとつのベッドは皺ひとつ無い。当然だ、未だにルークは帰ってこない。ガイは、碧い瞳の上に形作られた金色の弧を歪めた。
 なんだ、かんだと話し掛けてくる相手がいないという事は、随分寂しいものだと思う。ひょっとしたら、それがわかっていての、ルークの反抗の現れだろうかとも考えてみて苦笑する。
 小さな頃から一緒だった。
 身体の弱かったルークは、屋敷でひとり残され事が多くて、まあ、その為に自分が雇われたようなもの。眠る彼の側にいたり、話し相手になったりして一日を過ごす。
 ああ、可愛かったなぁと鼻の下を伸ばした。
 一生守ってやりたいとあの時思ったんだよなぁ。ここにアルバムでもあったなら、ページを捲り思い出に浸れたものを…。そんな事をつらつら考えていたガイは、ふいに部屋を取り巻く空気が冷えたものに変わった事を察した。
 いつでも、抜刀出来るように柄に手を掛け、廊下に通じる扉を睨む。
静かに開いた扉からは、自分よりは歳上だろう、明らかにマルクトの軍人とわかる男が入ってくる。無骨な感じがする男は、ベッドに腰掛けていたガイを見て一瞬顔を強ばらせた。
 そして、恭しく跪く。

「グレン・マクガヴァンと申します。陛下お助けに参りました。」

 本気でそうきたか!?…ガイは思わず頭を抱え、そして、ふと思い立って顔を上げる。
「つかぬ事を聞くようだけど…。」
「何でしょう、陛下。」
「………隣の部屋は確認したのか?」
「賊は留守にしております。ご無事でなによりでした。」

 じゃあ、ルークと陛下は何処へ行ったんだよ。

 神妙な顔で自分を見つめる軍人に、ガイは『さて、どうしようかな』と慈悲深い微笑みをなげかけた。


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