新婚旅行編


◇友達以上恋人未満

side P

『これは、勘違いかもしれませんよ。』

 冷静な口調で、栗色の長い髪を垂らしている男はそう言った。
切れ長の、いかにも賢そうな紅玉は嗤っている。

 自分をその腕の中に抱きこんでおきながら、言いたいことはそれかよ。
ピオニーは、ちょっとばかしの抵抗を試みて相手の胸板を押してみる。けれど、それは許されずに、ジェイドは耳元に唇を寄せた。

『最初に出会った時に、衝撃的な事が起きると、その際の動悸が一緒にいた相手に対してのものだと勘違いをするそうですから。
 そして、それが相手を意識していると脳が判断し、恋を意識させるそうです。
 となれば、貴方も私も唯の勘違い野郎なのかもしれません。随分と滑稽な話ですね。』

 一体こいつは何がやりたいんだろう。
さっき重ねていた唇のせいで、腰の辺りに痺れる感覚を残している身体。
耳元に相手の吐息を感じながら立っているは、ちょっと…いや、かなり辛いんだけど。
 おまけに、頬にかかるあいつの髪がくすぐったい。
「…放せっ…て。」
 垂れた髪を掴んで腕を伸ばす。

『痛いじゃないですか?』

 嘘つけ、嗤ってるくせに。
 この男の白い頬には赤みなんか差していなくて、でも、唇だけが赤く鬱血しているのがなんだか不思議だ。
 
「勘違いだったら、どうして俺達こんなことしてるんだ?」

『それこそ、気の迷いというものですね。』

 きのまよい…。き の ま よ い!?

「だったら、離せ!!!!」

 本気で相手の頭を叩いて、腕から抜け出そうとしたら、背骨をそろりと撫で上げられる。痺れる感覚が、足の力を奪う。
 
『危ないですね。どうしました?』

 倒れかかった身体を支えられ、意地くその悪い顔が覗き込んできた。
弄ばれているいるのだと、完全に理解した。…癪にさわる。
 少しだけ、後ろに反動をつけた頭を思い切りよく相手の額にぶち当ててやる。
…自分の目からも星が見えたが、そんなもん大した事じゃない。

「お預け!」

 って、くらくらする頭を両手で押さえてそう言ってやると、相手も同じように額を押さえて…でも笑ってやがる。それも…

『仕方ないですねぇ。』

 作った笑いじゃなくて、少しだけ困ったような緩やかな笑み。
ああ、なんだ。やっと理解した。

「お前も、緊張してるんなら最初からそう言えよな…。」

 死霊使いの顔が、少しだけ紅潮したなんて誰が信じてくれるんだろうか?


side J

 馬鹿っぽく見えて、目の前にいる男はやけに鋭くて、ジェイドを苦笑させてくれた。そして、ずきずきと痛む額が石頭であるということを教えてくれる。

『俺だって、その、…だから…な。』
 ちらちらと、上目使いに何度か視線を合わせたのちに、ごにょごにょと口ごもり、耳まで赤くなった末に、最後は黙り込んでしまった。

 手触りの良いさらさらの金糸から垣間見える、蒼穹の瞳。濡れた唇と血色の良い頬は、先程交わした口付けのせい。

 ふいにまた、それを求めたくなる。

 甘い吐息と、自分の腕を求め、震える手と身体を感じたい。息継ぎの度に洩れ聞こえてくる声だけでも、充分に熱い。
 そんなもので満足してしまえるのは、一体どこの若造なのかと苦笑してしまうが、昔から性欲に自身が駆り立てられた覚えもないのだから当然だろう。
 正確に言うと、欲しいと感じた相手がいなかった。行為は何かの儀式のように、事務的にこなしていたと言っていい。
 それついて、男女を問うた事も無かったし、こだわった事もない。

 なのに触れられない。
ベッドに沈めれば、相手は抵抗出来ないとわかっているのに。躊躇う自分がいる。

「貴方は、怖くないんですか?」
 そう耳元で囁くと、大きく体が震えた。快楽によるものではないのは、さきほどの行為でわかっている。
 そして、言葉による返事はすぐにかえらない。

 あの将軍が、二度目に彼を拉致した時、何もしなかったとは言い難かった。
 事実としてあったのなら相当の恐怖だったと想像に難いし、大きな傷として彼に残っているに違いなく、それをえぐるような真似をしたいとも思わない。 

『怖い…さ。』
 ぽつりと呟く言葉に、ああ、やはりと思う。ならそれでもいい。これ以上、無理をしたいとは思わない。

『でも、俺を、このままにしとくのは…狡いぞ?。』

 …とんだ、殺し文句ですね。


side G

「馬鹿ですね。止められなくなりますよ。」
 軽く押しただけで、抵抗無く沈む身体。
 蒼い瞳だけが、戸惑いを隠せずに揺れている。あの男がこれを見たのかと思えば、腹が煮えた。抑えはきっと効かないだろう。
 しかし、服の重ね部分に指を差し入れて、直接肌に触れようとした、その時、扉をノックする音が二人の動きを止める。

「おや?」
 驚いた風もなく扉を開け、自分達を見つめたジェイドの紅玉が細められる。そして目尻を赤くしているピオニーに、ガイは状況を理解した。
 飯喰いにいかねえかと切り出したルークの肩に手を置くと、戸口から引き離そうと試みた。
「ルーク、俺達だけで行こうぜ。」
 しかし、ルークは気付かない。頬を膨らませて抗議の体勢に入った。「なんで!皆で喰うと旨いじゃん。」
「いや、あのな…。」
「いいですよ。行きましょう。構いませんよね、ピオニー。」
「…そりゃいいけど。」
 同意してくれた二人にルークは機嫌を直したが、後ろでガイが額を抑えていた。

『空気を読んでくれ、ルーク。』

「此処の飯は旨いって評判なんだ。ピオニーは…ピオニー…って、ちょっと言い辛いよな。」
 ルークはそう言うと何度か口の中で繰り返す。ぴおぴおとヒヨコの鳴き声のように連呼すると、首を傾げた。
「そうですねぇ。では、『陛下』なんて呼び方はいかがですか?」
 にこりと笑うジェイドに、ピオニーは眼を剥いた。
「陛下…うん、陛下。言い易いかも…。」
 口をパクパクさせている相手には、にっこりと微笑んでこう付け足した。
「お子様は、舌が上手くまわりませんからねぇ。仕方ありませんよ。」
「マジ殺すぞ、お前。」
 ジロリと睨む蒼穹の視線に、はっはっはっと嗤う。
「最低。もういい。ルーク飯喰うぞ!」
「陛下、何喰う?」
「陛下はやめろ。」
 じゃれ合いながら、階段を下りていく二人を眺めながら、ガイはジェイドに声を掛けた。
「一応謝っとくけど、あんまり虐めると嫌われるぜ、旦那。」
 呆れたようなガイの視線に、ジェイドは眼鏡を押し上げながら微笑んだ。
「これくらいの方が、丁度いいのではありませんか?」
 チラリと送られる視線に、ガイは肩を竦めた。

「まだ、花を手折りたくないってか?」
「随分と詩的な表現ですが、それもお互い様というところでしょう。」
 ジェイドの言葉にガイも苦笑した。


◇只今衣裳変更中

「なーなーこれ?どだ?」
 目の前の男が試着室から顔を覗かせて、覆うカーテンを開いてみせる。
ジェイドは、ピオニーの姿を見て眉を顰める。

「…服を選んだのは、また、ルークですか?」
「うん。何でわかる?」 

似合う似合わないを問題にするのなら、確かに似合うだろう。
機能的と言われればそうかもしれない。

けれど、どうしてセパレーツの服でなければならないのだろうか。
大きく開いた胸元とか、晒された腰のあたりとか、身体のラインに沿った上着とか…
要するに露出が多すぎる。

キムラスカに向かう旅の間中、この姿のピオニーを人々の前に晒せというのか。
「却下です。」
「ええ〜〜!?これで何着目だと思ってるんだよ!?」
「…文句があるのなら、宿の部屋から一歩も出れないようにして差し上げても構わないのですよ。」
(蒼白)
「……次、お願いします。」


「また、駄目なの?じゃあ、これ。…なんでいけないのかなぁ。」
 自分が見繕って来た服を両手で掲げて、ルークは首を傾げた。横でルークの姿を眺めつつ、ガイが苦笑い。
「お前が選んでる時点で、駄目なんじゃないか?」



◇お買物

「ジェイド。」
 上目使いでピオニーがジェイドを見つめた。言葉の端に媚びるような響き。
「困った方ですね、我慢出来ませんか。」
 あしらう旦那も妖艶な笑みを浮かべている。
「おま…そういう意地悪を言うんだな…俺に。」
「そうですね。貴方がとびきりのお強請りをしてくれるなら考えなくもない…ですよ。」
 ふふっと嗤いかけられ、あ…と小さく口ごもる。
それでも、口をキュッと窄めてから言葉を発した。掠れた声がやけに艶っぽい。
「…欲しい…我慢、出来ない…。」
「そんな可愛いお強請りをされたら、私も理性を緩めざるを得ないじゃないですか。」

 村人達が会話を耳にして、赤面しながら通り過ぎていく。我が子の耳を塞ぐ親や、思わず立ち止まって聞きっていっている輩までいた。
 ああ、…なんで、あの二人の会話はこんなにもいかがわしく聞こえるんだろう…。たかだか、食料品を買うだけの話じゃないか。
 
「なぁ、ガイどうして皆赤くなってるんだ。」
 隣でルークが不思議そうに首を傾げた。「…。」
 自分達の思考回路が毒されているのか、ルークが無垢すぎるのか…。
いやいや、皆赤くなっているじゃないか。変なのは旦那達の方だ。

 毎度ありという掛け声が震えている気がしてガイの苦笑いは深くなる。
「おーい!ルーク、ガイ、おまけして貰っちゃったぞ〜 vvvvvv 」
 ピオニーが満面の笑顔で、袋をルークに広げて見せた。
「いいもの見せてもらったとかで、ほらこんなに。」
「うわ〜すげぇ。」
 やったやったと子供のようにはしゃぐ二人を前にして、ガイは額を抑えた。
「あれは、わざとだよな、旦那。」
 にっこりとその美貌が笑みをつくる。
「どうやって節約しようとも、出費が少ないにこしたことはありません。彼の衣裳一式を買い揃えたので路銀が心許ないですからね。」
「にしても、陛下は…。」
「そうですね。彼はもう少し自分の容姿が相手に与える印象を把握しておいた方がいいかもしれませんね。」
 顎に手を当てて、思わせぶりに思案してみせた。
「これでは、誰かに押し倒してくれと言っているようなものですからねぇ〜。」
 やれやれ、困ったとご丁寧に溜息までついてみせるジェイドに『押し倒しているあんたが言うな』とガイは心の中でツッコミを入れた。

理性=財布の紐(笑


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