お見合い編


「…膝が震えて歩けない…。」

 アスランは彼の悔しそうな表情に苦笑し、今にも譜業の引き金に指を掛けそうな部下を止め、ピオニーへ向かった。肩の高さで伸ばされた手を取ろうとアスランが腕を上げた瞬間に、ピオニーは脇をすり抜け走り出した。
 虚を突かれた兵士を数人出し抜き、ジェイド達を狙っていた譜業兵器に飛びつく。
自分の身体を楯にして機関を封じ、「逃げろ!早く!!」と叫んだ。
 それを合図にルークとガイは、隠れていた場所から飛び出してジェイドを両脇から抱え上げた。
 踵を返したアスランの腕がピオニーのものを掴み、機関から引き剥がそうと力を込める。
「これ以上の我が儘は許すわけには参りませんよ。陛下。」
「卑怯者! 助ける気なんかないくせに!!」
 ギツと自分を睨みつけるピオニーにアスランは、薄く笑う。
「…そんなに、あの死霊使いが大切ですか?」
 現役軍人と力比べをして勝てるはずもなく、腕を外され壁に背から叩きつけられる。けれど、再びアスランが譜業を向けた先に彼等の姿は無かった。
「逃げましたか、しかし…。」
 振り返ったアスランの顔は笑みを浮かべていた。視線は、意識を失い床に倒れこんでいるピオニーの姿を捉えている。
 跪くと背中に手を差し入れて抱き起こし、乱れた金糸を手で整える。
「貴方さえ、いらっしゃるのならそれでいいのです。」
 そう囁くと、誰かに見せつけるが如く、応じない相手に唇を重ねた。
 
 
「彼…は…。」 
 意識の戻ったジェイドの声に、ルークは顔を歪める。
答えなど聞かなくても、その表情で状況は理解出来た。自分を逃がす為に、彼等の手に落ちたのだ。
「そう…ですか…。」
「…俺、キムラスカの…アッシュやナタリアに連絡して…。」
「無理だルーク、儀式は明日だぞ。キムラスカから異議を申し入れたところで、継承は終わってしまっている。軍部が応じる訳がないぜ。」
 ガイにそう言われ、ルークは俯く。
責任を感じている二人の様子に死霊使いは苦笑した。
「そう気にするものではないでしょう?貴方がたには無関係の事ですよ。
 犯罪に手を染めてもやりたい事があった頃、宮殿に忍び込んだ際に、殿下に逃がして頂いた…そんな年寄りの昔話に付き合う義理もありません。」
 ジェイドはベッドに沈み込んだまま自嘲の笑みを浮かべる。眼鏡を外すと手で両目を覆った。
「…最も、恥ずかしい話ですが、彼に会うまで忘れていました。」
 失踪した皇太子に恩義を返せなかったその無念さを、彼への行為に重ねていたのかもしれない。なのに…。
 ジェイドは眼鏡をかけ直し、傷を抑えながら起き上がる。 
「私の為に彼を生贄にする訳にはいきません。…行きます。」
「勿論、俺達も手を貸すぜ。」
 ルークはそう言い、ガイと頷き合った。
「貴方も相当の物好きなですねぇ。」
 ジェイドはクスリを笑いこう続けた。「感謝します。」



 蝋燭の影だけがゆらめく部屋。
 中心佇むピオニーの瞳に輝きは無い。生気がすっかり抜け落ちたようで、豊かな表情を見せた顔もただ虚ろだ。
 白い即位衣裳は確かに美しかったが、それと相俟って死に装束にすらも見える。
 扉の前には正装に身を包んだアスランが笑みを浮かべていた。
「さあ、参りましょう、陛下。」
 ピオニーは彼の言葉に、まるで人形のように従い礼拝堂に向かう。式典は大勢の来賓が見守る中、滞りなく進んでいった。 異変が起きたのは、ローレライ教団の導師代行トリトハイムの若き皇帝にその帝位を問うた時だった。
「この契約に異議なき時は、沈黙を持って答えよ。」
 まるで、その場いた全ての人間に問いかけられたように、礼拝堂は静まり変える。
しかし、皇帝が保った沈黙に呼びかける声がした。

『ピオニー。』

 礼拝堂の正面に現れた死霊使いは、目の前の皇帝に呼び掛ける。しかし、ジェイドの声にすら反応は無い。輝きのない瞳のまま空虚を見つめていた。対する緋色の瞳が細められる。
「可哀相に薬…ですか。口をきけないようにしましたね。」
 眼鏡を押し上げる仕草でアスランを見据えると、ジェイドは嘲る笑みを浮かべた。
「本当の彼を喪失してまで欲しがるとは、貴方も哀れな方ですね。将軍閣下。」
「戯れ言を!死霊使い!!」
 肉を断つ、くぐもった音と共に飛び散った血がピオニーの頬に掛かり、つうと滑り落ちる。生暖かい感覚が、彼の瞳に輝きを戻した。


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