お見合い編


「遅かったようですね。」
 ジェイドの言葉に、ディストは顔を上げた。止血をしていたルークも顔を上げる。
「ジェイド!?」
 近くにタルタロスが停泊している事に気付いて戻ったんです。ジェイドはそう告げた。
「騒々しくて目が覚めた。俺が降りてみたらこいつが血塗れで倒れてて…。」
 ルークの言葉を遮り、ディストは歯噛みをしながら呟いた。「あいつら…約束を…。」
「守るような輩ではありませんよ。貴方も馬鹿ですね。」
 その言葉にディストは唇を噛み締める。
「彼は連れていかれたのですね。」
 ジェイドの問いには無言で頷く。『お仕置きだ』ルークも、ディストもジェイドの次の行動をそう予想して、顔色を変え首を竦めた。
 しかし、ジェイドは扉を見つめたまま動かない。恐る恐るといった様子でディストが問い掛ける。
「私を責めないのですか?」
「…それは、ピオニーが決める事です。」
 吐き捨てて、立ち上がったジェイドの後をルークが追う。
「俺もガイを探したら、すぐそっちへ向かうから…あの、ジェイド無茶すんなよ。」
「私が…ですか?」
 自嘲気味に笑う死霊使いに、ルークは顔を顰めた。
こんなジェイドを見たことがない。もしも、この場にガイがいたのなら上手い対処も出来たのではないのか…一抹不安と共に、ルークはタルタロスに向かうジェイドを見送った。

 

「人殺し!!」
 貴方のせいで止めは刺せなかったのですが。アスランは、溜息まじりに呟くと、ピオニーに向き直った。
 ディストを騙し打ちにした事が許せないらしい目の前の男を煩わしく感じ、それと同時にその情を羨ましいとも感じる。きっと、これが己に向けられたものならば歓喜に胸を震わせるのだろう、それは確信出来た。
「貴方もですよ、陛下。」
「何…を…。」
「王座などという代物は大抵屍の上にこそ成り立つもの。そもそも、あの男が誰のせいで死にかけたと思っているんですか?」
 アスランの言葉にピオニーは顔色を変えた。両手で耳を塞ぎ、ギュッと目を閉じて俯く。くつりと耳元に笑みが落とされた。
「私も貴方も同じです。」
 聞こうとしないピオニーの手首を掴み、囁く。
「貴方が選ばれた時から、もうこの手は血塗れなんですなんですよ。」
 アスランは柔らかな笑みを浮かべ、その手を思いきりよく自分の方へ引き抜いた。
「…っ!」
 上げた顔は真っ青で、潤みを帯びた瞳でアスランを睨みつける。それでも、強い力で握られている腕を引き剥がす事が出来ずに、唇を噛み締めた。
 それを見た途端、アスランの中にある感情が、押し留めることが敵わぬほどに膨れ上がった。そのまま、壁にピオニーの背を押しつける。
「!」
 ピオニーに抵抗する間はなく唇を重ねられる。はねつけようとした腕は、両手で頭の横に縫いつけられた。そのまま、情け容赦ない舌に口腔をまさぐられる。
「っ…!」
 微かに顔を歪めて、アスランがピオニーから身をひく。唇からは血が滲んでいた。
 浅い呼吸を繰り返し、ピオニーは唇を袖で拭った。恐怖に足は震え、視界が霞んで見えたが許容できることではない。どんな理由があろうとも、嫌だ。
 浮かんだのは、別の人間の面差しだった。

「これ以上、俺に触れたら…舌を噛みきる…。」
 
 口角を指で拭ってから、顔を上げたアスランの瞳は異様な光を宿していた。
「さすが、陛下…。」
 不気味な笑顔を湛えている顔は、ピオニーの目の前にあった。
「どうしました?舌を噛みきるのではないのですか?」
 アスランの言葉と含み笑いに、ピオニーは顔を背け諦めたように瞼を閉じた。
 しかし、再度アスランの顔が近づくと、ピオニーはアスランを睨み付けて、頭を振った。眉を寄せアスランの右手が素早くピオニーを顎を捉えると、歯の間に指を滑り込ませる。舌を噛みきろうとした行為も、アスランに阻まれてしまう。
「う…。」
 口を塞がれ声を出すことも出来ずに、アスランを見ると、彼の目がうっとりと細められた。
「もう抵抗しないのですか?」
 自分に噛みつかれている部分からは、指も唇も血が滲んでいるにも関わらず彼にはなんの感情も抱かせていない様子にピオニーは心底震えた。
 今度こそ、恐怖と諦めの涙が頬を伝う。
 捕まれた顎を上に向けられ、喉元に舌を這わされる。ゆっくりと味わうように愛撫された後、歯を立てられた。鈍い傷みと共に、生温かいものが首筋に垂れる。

殺されるのかもしれない…。

 そんな思いが脳裏をよぎったのとほぼ同時に、身体は開放されていた。それでも安堵の気持ちは生まれなかった、ずるずるっと床に座り込む。
 両手で顔を覆い蹲った。身体の振えが止まらない。
「もう諦めなさい。貴方は私の…この国のものです。」


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