続・運命が引き寄せる


 華やかな会場は、優美な音楽と豪華な料理と着飾った人々で溢れていた。
ホテルの入り口にひっきりなしに到着する高級車から降り立つ人々も、優雅で華やか。男達は皆自信に満ちあふれてカーペットを歩き、寄り添う美女達も己の魅力を振りまいている。高貴な、そして財力を持った者達。恐らく、殆どの人間にこの定義はあてはまるに違いない。
 しかし、上記の条件に合う事のない人々もまた、招かざる客として訪れるのも世の常。
 招待状をタキシードの懐から、あるいはブランドもののバックから取り出し扉をくぐっていく人々は、扉をくぐった途端に、一人の男の監視下に置かれているなどと思った事もないのだろう。
 
「ええ、こちらは異常ありません。」
 紅い絨毯が敷き詰められた廊下を長身の男が歩いていた。黒いタキシードの襟に付けられた小型マイクに話しかけてる。栗色の長い髪はさらりと背中で流れ、端正な顔立ちはいわゆる会場に華を添えるトップモデルの類にも見えた。すれ違う女性客に微笑む物腰は、来賓だと告げられても遜色ない。
「どうも、2、3人扉を通った際に反応があったようですので、対処はまかせます。私はファブレ公に呼ばれているものですから。」
 そう告げると、ホテルの一室の扉をノックした。
 

「大佐。」
 ちょい悪親父。そんな雰囲気を持つ赤毛の紳士が、ジェイドを見て笑った。
爵位を持ち、ファブレ財閥の社長がその男の肩書きだったが、剛胆な雰囲気も併せ持つ。ジェイドの顧客のひとりでお得意様だ。
「どうしました? 何か不備でも。」
「いや、今日は私の可愛い従者達を連れてきたので、先に紹介しておこうと思ってな。」
 男はくしゃりと顔を綻ばせ、部屋の真ん中に鎮座しているソファーセットへ向けて声を掛ける。
 顔を覗かせたのは二人の子供。ジェイドを見た途端、片方は眉間に皺を寄せ、もう片方は恥ずかしそうに顔半分を沈める。雰囲気は違うが、紅い髪と翠の瞳を持った子供達。互いによく似た顔立ちをしていた。
「アッシュ、ルーク。こっちへ来なさい。」
「はい。」
 皺の方が返事をして、まだ恥ずかしそうにもぞもぞと動く子供に手を差し出す。
「ほら、行くぞ。」
「うん。」
 仲良く手を繋ぎ、父親の足元に並んだ。ファブレ候というよりは、その奥方に似たのだろう端正な顔立ちの子供達。父親の手が肩に置かれると嬉しそうに笑う。
「今日、私のボディガードをしてくれる大佐だ。挨拶をしなさい。」
「よろしくお願いします。」
 意外にも、先にぺこりと頭を下げたのは手を引かれていた子供だった。もう片方は、子供らしくもなく皺を増やすと不満そうに父親を見上げた。
「こんな優男、酷く弱そうだ。父上を守ってくれるの?」
「あ、アッシュ。駄目だよそんなこと言っちゃ。」
「ルーク。お前も守ってもらわなきゃいけないんだぞ、弱いやつでは困る。ねぇ、父上。」
 ジェイドは眼鏡を指で押し上げながら溜息をついて見せた。ははとファブレ候は笑っている。
「やれやれ、私も随分と見くびられたようですねぇ。」



 クライアントが到着し始まりを告げたパーティの最中、ジェイドは一際目を引く金色の髪を見つけた。黒のタキシードを纏う華やかな雰囲気は、舞台に立つ時と変わらない。
 しかし、本人はそんな事には気付かず挙動不審気味にあちこち眺め、給仕からシャンパンを一息で飲み干す。そして、クライアントに目をやった。途端、視線がかち合う。
 ぽかんと開いた口が、間抜けな顔にぴったりだとジェイドは思う。
「ジ…ェイド…。」
「お久しぶりですね、ピオニー。」
 にこと微笑んでやると、今度はむっとした表情に変わった。口元が緩む。別れを告げずに去った事を根に持っているのだとジェイドは思い、それを喜びと認識している自分に苦笑する。

「なんだ、知り合いかね?」
 ファブレ侯爵が、驚いた様子で声を掛けてきた。
「ええ、まぁ。」曖昧に答え、ピオニーに微笑みかけた。
 不機嫌そうに歪んだままの表情は変わらない。
「もっとも、此処でお会いするなど思ってもみませんでしたが。」 
「……俺は、actor'sholidayなんで、こっちに端役として出させて貰ってるんだ。」

(知っていました。)とは、流石のジェイドも口に出せなかった。舞台を見に行ったなど、とても言えたものではない。勿論、招待客名簿に彼の名を見つけていたとはなお言う事も出来ないだろう。

 ジェイドの様子をどうとったのか、ファブレ侯爵は酷く楽しげに笑い、ピオニーの肩に腕を回した。
「実は彼のパトロンになろうと思っているんだがね。なかなか堕ちてくれなくて。」
 冗談とも本気ともとれる声色でそう告げると、ピオニーは僅かに金の弧を顰めて苦笑する。
「…パトロンも何も、俺はただの端役ですよ。」
「ですが、どんな理屈をつけても後ろ盾は必要ですよ。貴方自身の為にも。」
 閉ざした口が真実だろう。睨みあげる蒼穹にジェイドはことさら笑みを返した。
現実として必要だとわかっていても、アンフェアを好まない彼の性格も全く変わっていない。
「…但し、ファブレ侯爵はおやめになった方が良いかもしれませんね。貴方なら引く手あまたですよ。よりにもよってこの男である必要はありません。」
 おいおいと、ファブレ侯爵は両手を上げた。その隙に、ピオニーは苦笑はそのままに腕の下から身体をずらす。
「それは、酷い言い方だな。私を推薦してくれるかと思ったんだが。」
「これまでの経験上の忠告ですが、何か?」
 クライアントに対して平身低頭ではないと気付いたピオニーはくくっと笑い出した。ファブレ侯爵も慣れているのだろう、肩を竦めてから声を掛けてくる招待客に向き直った。
 同じく場を離れようとしたジェイドをピオニーの腕が引き留めた。もう、彼は怒っている様子はなく、笑っている。
「折角逢えたんだ、後で、話せるか? 勿論仕事が終わってからでいい。」
 後で連絡すると言い置くと、ジェイドも笑みを返した。
 
 
 
 給仕に呼び止められピオニーはカクテルとカードキーを手渡される。耳打ちされた名前には少々怪訝な顔になったものの示された部屋へ向かう事にした。
 だいたい仕事を放り出すような男ではないはずで、連絡がくるとしても後日だと思っていたんだが…ピオニーはそう呟きながら、ベッドに腰を下ろした。手持ち無沙汰の次いでにカクテルは早々に飲み干した。
「まぁ、やっとあいつに礼が言える…か。」
 押してくれた背中には、感謝している。もう一度会いたいと思っていたのは嘘ではない。もっと有名になって、それこそ(あいつの顧客)にでもならないと再会などないと思っていんだが。
 つらつらと考え事を続けていたピオニーは、今まで感じたことのない慟哭と、恐ろしいまでの発汗に目を見開き、左胸に置いた手をぐっと握りしめた。



 ジェイドは届けられたカードを見るや否や、その策略に気がついた。
 差出人はピオニーになってはいたが、如何せん彼がそれをやってのける人物ではないことを自分が良く知っている。商売用の顔がどれだけ優美で高貴なものだったとしても、彼自身はそれを裏切るような性格の持ち主だ。
 嫌な予感と共に指定された部屋を開けた途端、ジェイドはベッドの中で蹲っているピオニーの姿を見つけた。 固く目を閉じ身体を抱え込んでいる身体に手を置くと身体が熱い。呼吸が苦しいのか釦も蝶ネクタイも引きちぎり、胸元は大きく開いている。
 誘っている。状況はそうとられても仕方ないほどに整えられていた。
「ピオニー。」
 どうしました。と聞かなくても、ジェイドには直ぐ理解出来た。何度か呼びかけると名前には辛うじて反応する。恐る恐るといった様子で、視線がジェイドに向けられた。
「…ジ…ェイど…。あつ…ぃ。」
 急激な、そして自分でコントロール出来ない体調に、明らかに怯えている。縋るような瞳には、涙すら浮かんでいた。
「…な…で、おれ。」
 仰向けにして、相手の背中に腕を差し入れて抱きしめる。そうすると、小刻みに震えているのがわかった。ジェイドの胸板に額を擦り寄せ指先に力を込める。縋り付き息を詰めていないと、悲鳴に近い声をあげてしまうことが、益々ピオニーの体を強ばらせていた。
「大丈夫ですよ、今、楽にして差し上げますから。」
「あ…。」
 ふっとジェイドの身体が離れ、怯えたピオニーの腕に力が籠もる。離したくないと訴える指先に苦笑して首筋に頭を埋めた。僅かな刺激でもピオニーは喉を大きく仰け反らす。そこを見逃さずにジェイドは唇を重ねた。
 一瞬目を見開いたが、熱をむさぼるように舌を差し込んできたのはピオニーの方だった。一心に求めるそれにジェイドも応じる。終わりを感じさせない情熱的な交わりは、しかし、背中から手がずるりと滑り落ちたことで終わりを迎えた。力の抜けた身体を、ジェイドはベッドに横たえる。
 
「一服盛られましたね。」

 舌先に残る味を確認して、ジェイドは溜息をついた。口移しで飲ませた睡眠薬が効いているのだろう。ベッドに沈む男の浅くて荒かった呼吸も、ゆったりとした寝息に変わっていた。
 目が覚めた頃には[媚薬]の効果も抜けているに違いない。
「悪戯好きにも困ったものです…ね。」そう呟いたジェイドの瞳は、笑顔とは裏腹な明らかな怒りを湛えていた。
 


「私だったら、さっさと既成事実を作ってしまうんだが。勿体ない。やはり私が貰い受けるか…。」
 秘書から話を聞いて、ファブレ候は顎に手をあて至極楽しげに嗤う。ふたりの子供は、ご機嫌の父親を不思議そうに眺め、どうして?を告げようとしたが、勢いよく開かれた扉に言葉を飲み込んだ。
「こ・う・し・ゃ・く。」
 顔は笑い、語尾にはハートマーク。しかし声は地獄から響いてくるようだった。
緋色の瞳に怒りを湛えたジェイドが、引きつった笑顔のファブレ候にとびきりの笑顔を向けた。こんな美人のあり得ない笑顔なのに、部屋にいた人々の背筋は凍り付く。
 その恐怖のオーラは、何もしらないはずの子供達にもただならぬものを感じさせる。
「た、大佐…これは、単にだな…。」
「ええ、わかっておりますよ、侯爵。これ以上言い訳という名でその口を開くというのでしたら、私もうっかり、色々とやっちゃうかもしれませんねぇ。」
 ひそひそと囁かれた言葉に、舞台に幕が下りるように侯爵の顔から血の気が引いた。
「わ、わかった。私が悪かった!!」
「余計な手間を掛けてくださった落とし前、きっちりとお支払い下さいね。」
 コクコクと無言で頷くファブレ候を唖然として見つめていたアッシュとルークは、視線が自分達に注がれている事に気がついた。
「いいですか、貴方達も余計な事をしてはいけませんよ? 悪い子にはお仕置きですよ〜。」
 怯えた顔のふたりの赤毛は、にっこりと笑うジェイドに涙目で頷いてみせた。


content/ next/indications of put an end