サヨナラは言わない 「モースから守ってあげたのは、僕なんですよ?ね。これからもずっと守ってあげますから。」 「…っ、何の話だ…。」 男はそれには答えず、記念碑に己の名を刻むように慎重に刃物を動かす。ちりと痛みが頬を走り、ピオニーは思わず、『それ』を握り込んでいた拳に力を込めた。 「貴方宛のモースからのラブレターを捨てたという話ですよ。」 響いた声はジェイドのもの。いつだかと同じく気配ひとつ感じさせない男は、手にした銃の安全装置を外しながら落ち着き払った足取りで近付く。 銃口を向ける動作は、あくまでも優雅だった。 「彼から離れなさい。」 しかし、それを一瞥し馬鹿にしたように男が笑う。 「そんなプラスチック。モデルガンだって事くらい、子供でもわか…。」 言い終わるより早く、拳銃は次の装弾も終わっていた。飛び出した薬莢はコンクリートの床を転がり、言葉を途切れさせた爆音の余韻だけが耳に残る。 壁にはめり込んでいる弾は確かな現実だ。 「グロッグをご存知ないようですね。最も、旧タイプなので後4発しかでませんが…まぁ、留めを刺すのには充分でしょう?」 ジェイドは斜めに銃を構え微動だにしてない。着弾の衝撃など、まるで無かったかのようだ。 「おい…。」 「何です?」 「もう、気絶してるぞ…。」 ピオニーがのしかかっている男を払いのけると、埃を巻き上げ地に伏した。仰向けになった口からは泡を吹いているのが見える。 「…実銃って、お前…。」 「こういう商売をしていますから当然でしょう? ああ、許可証は持っていますよ。銃を持ち込んだのは内緒ですが。」 微笑む男は悪魔に見えた。何処に仕舞うのか銃を消すと、ピオニーの前に跪く。頬に指を滑らせ、赤い線に顔を顰めたジェイドに苦笑した。 「これくらい…メイクでなんとでもなるって…おい。」 ぐっと近付いた端正な貌に、ピオニーは慌てた。微かに赤らんだ頬を見てジェイドが嗤う。 「何ですか? 私が舐めて直すとでも思いましたか?」 「………キモイ事言うな。」 ピオニーは、溜息を付き全身から力を抜いた。そして、手に痕が付くほどきつく握られていた『発信器』の存在に気付き、ジェイドの瞳が微かに揺れる。 「本気で怖い思いをさせてしまいましたね。」 「いいさ、お前は約束を違える男じゃないだろ?」 そう強がったものの、身体には震えがくるようでジェイドの手を借りて立ち上がる。袖口が捲れた拍子に見えた時計に目を剥いた。 「開演まで30分も無いじゃねぇか!?」 「間に合いますかねぇ。」 「馬鹿、間に合うに決まってるだろうが! 俺が間に合わない訳がないだろ!」 「はいはい。では、急ぎましょう。」 ジェイドはピオニーの腕を掴むと踵を返した。扉から出るとアニスが笑顔で出迎える。おおとピオニーが声を上げた。 「6年後にストライクゾーンに入りそうなお嬢さんは誰だ。」 「同僚です。アニス、後始末は頼みました。車では却って渋滞に巻き込まれますから、私達は走りますから」 「はぁ〜い、大佐。ピオニーさあん、行ってらっしゃぁい。」 大佐?背中にかけられた声援にピオニーが突っ込むと、渾名だと答えが返った。 「さ、全力で行きますよ。」 手首を思いきり掴まれて、縺れた足はそのままにピオニーも走り出した。 踏み出した一歩はいつもと変わらない。 最初の台詞が出た時、アスランは安堵でそれまで詰めていた息を吐き、幕を力一杯握りしめていた指を外した。 楽屋へ飛び込んだ時の、ぐだぐだでへろへろでヨレヨレな男はもう何処にもいなかった。この数分前まで、騒動に巻き込まれていたなどと告げても、観客の誰が信じるのだろうか。 ライトの下で、ただ視線を集める男の姿にジェイドですら感嘆を覚える。 どうあっても側にいたいと願ったスタッフの気持ちもわからないではない。ジェイドがそう感じたのと同じタイミングで、アスランが笑った。 「…出来れば引き留めたい。同じなんですよ、あの男も私も。ピオニー宛に届いた招待状を見た時から、割り切れない思いを抱えていた事は、本当です。」 ですから、あの脅迫状を見た時に本気だと思いました。アスランはそう付け加えた。 「でも、惚れた弱みですね。世界の舞台に立ち、変わっていく彼も見たいと思ってしまうんですから。」 アスランの言葉は何処か自嘲気味だったが、ジェイドは眼鏡を押し上げてやれやれと首を振った。 「馬鹿な事を、あの男は何処へ行こうと何をしようと変わりませんよ。」 え?そんな顔で見返したアスランは、ジェイドが踵を返したのを見て慌てて声を掛けた。 「あの、もう行かれるのですか?」 仕事はもう終わりましたから。にこりと綺麗な笑み浮かべる。せめて、ピオニーに声を掛けてからと告げたアスランに否を伝えた。 「でも、黙って帰った事を知ったら、また拗ねてしまいます。」 「拗ねさせておけばいいでしょう。」 口元を手で覆うと、ジェイドは嗤った。 「しかし…。」 たった一度だけ聞いた弱音は、アスランには告げないでおこうとジェイドは思う。 『俺、いままで助けてくれた奴らを放って、行けないかもな。』 口元を柔らかく緩めて、ジェイドは微笑んだ。 「では、約束を果たすのを楽しみにしているとだけ伝えていただけますか?」 劇場を嵐のような拍手が包む中、ジェイドが立ち去った扉は音も無く閉じた。 content/ 〜the story next time? |