独占欲


 後ろに組んだ手を左右に揺らし、ツインテールの女の子が近付いてくる。可愛らしい容姿とは裏腹な瞳が、普通の子供ではないと示していた。
「あの〜。」
 立派な来客室の豪華なソファー。漂う紅茶の香りは、懐が痛むのを承知の上で彼女が用意させた高級品だ。ソファーに腰掛けた長身の男に、彼女はもう一度声を掛けた。
「…怒っちゃいましたかぁ? ごめんなさ〜い。」
 変わらず甘ったるい声を発した唇が、次の瞬間にげげと硬直した。

「ア〜ニス?」

 振り返ったジェイドの顔を見るなり、少女は笑顔をまま、口元を歪める。
ちっ、あいつらしくりやがってと吐き捨てるのが聞こえた。しかし、振り返ると何事も無かったように、声は可愛いものに戻っていた。
「ど、どうして大佐が此処にいるんですかぁ〜??アニスちゃん、わかんなぁい。」
 両手を口元に当ててぶりっこポーズを決めてはいるが、冷ややかなジェイドの視線が揺るがない。それでも、顔はにこにこと笑ってはいるのだが。
「同僚の貴方が、犯罪に手を染めるとは嘆かわしいですねぇ。」
「なっ、なんのことですかぁ。やっだぁ〜なぁ〜誤解ですよ、大佐ぁ。」
「貴方が『ダアト』に派遣されていると確認済みですよ。勝てない勝負には乗らない方が懸命だと思いますが? それとも、ピオニーが持っているはずのものを取り返せたら、別途料金が上乗せでしたか?」
 ジェイドの言葉に溜息を付き、アニスはどっかとジェイドの目の前に座り込んだ。これまた高級そうな菓子に手を伸ばすと、口に運ぶ。
「はい、はい。すみませんでした。本部への報告は止めて下さい。」
 ふてくされた声で呟き、悪びれた風もなく菓子を放り込む。
「モースの野郎が彼に送った写真入りのファンレターを取り返したかったんです。」
 説明を促されたわけでもないのに、アニスの唇は軽い。ジェイドを相手にもう隠し事をしても仕方ないと思ったのだろう。
「あの馬鹿発言のお陰でドル箱スターに逃げられたのに、懲りずにそんなもの送っちゃって。公表されたら『ダアト』の 面子にも係わるから、取り返して欲しいとイオン様に頼まれたんですよ。」
「貴方の手際には感嘆しますが、肝心の手紙はピオニーの手に渡る前に処分されていますよ。どうやら、酷い嫌がらせだと思われたようですね。」
「ええ〜〜〜。アニスちゃん、骨折り損じゃあないですか〜〜〜。」
「自業自得です。」
 にこりと微笑むと、少女の頬は年相応にぷうと膨らんだ。
脅迫状の有無や、楽屋での嫌がらせ。それらを、アニスから聞き出すと、ジェイドは席を立った。
「送りましょうか? た・い・さ。ホテルへお迎えですよね?」 
 恩を売りたいアニスの誘いに、ジェイドは嗤った。
「では指示する場所へ向かっていただけますか?」
 


「痛っ…。」
 ピオニーが後頭部を抑えると瘤が出来ていた。ずきずき痛むのは、首や背骨もそうだ。寝ころんだまま薄目を開けると、まだ目を閉じているかのように暗い。
 それでも、馴れてさえくれば、微かな灯りに周囲の状況を把握する事は出来た。しかし、彼にはそれよりも大事な事がある。

「腹…減った。」

 もう、何でもいいから食べたい。それは、ピオニーの記憶を甦らせる。
ポケットを探ると小さなチョコが転がり出てきた。恐ろしい奴の愛情だかが詰まっていたはずだが、喰えばチョコの味はするだろう。包み紙を剥き、口に放り込む。
 歯でかみ砕けば、飴が歯に当たる…はずだったが、それ以上に固いものが舌先に触れた。
 …これが、愛情…。
 複雑な心境でそれを握り込むと同時に、部屋が照らされた。
倉庫だ。推測だが、劇団で借りている場所ではないだろうか?見慣れた、スタッフ(勿論さっきの男だ)が大きな紙袋を抱えて入ってくる。
 自分をぶん殴って此処へ連れて来たのだろう男の悪びれる理由は、ピオニーの思ったものと違った。
「すみません、遅くなっちゃいました。お待たせしましたね。」
「お前…。」
 目の前に落とされた袋の中身は、ピオニーの好物ばかり。横に座ると、普段と変わらぬ愛想笑いを向ける。薄気味悪さに、後ずさると背は壁にあたった。
「アスランさんに連絡取られると、邪魔されそうだったんで。あの、閉館の時間まで、僕と此処にいて下さいね。」
「はぁ!?ふざけるな、俺は帰る!!」
 立ち上がろうとした肩は、両手で押さえられる。
「駄目、駄目です。いてくれないと困ります。ずっと、側にいてくれないと困るんです。ね、行かないで下さいよ。」
 繰り言のように『行くな』、『側にいろ』と声に出しながら、男の笑顔は崩れていく。それでも、ピオニーの瞳から否定の色が消えないのを悟り、強く服を掴んだ。
「お願いですから。一度で、いいんですから。舞台に穴を開けて下さい。そうしたら、契約違反でもう少しだけ側にいられるんですよ?」
「……断る。」
 襟首を掴まれ、懇願しているのか脅しているのか、涙でぐじゃぐじゃになった顔は、まるで被害者のそれだ。
「わざわざ、足を運んでくれる客を裏切ってまで、それが劇団の奴がすることか…。」
 客の事などとっくの昔に失せているだろう男は、ピオニーの返事にただ顔を歪めた。
「どうしても、駄目ですか? こんなに僕が頼んでも?」
 男の腕に加減が効かなくなる。締め上げられて、呼吸が浅くなった。
何故わからないんだと繰り返す男に、お前もだろうがとピオニーが毒づいたのと同時に、しゃくり上げていた声が、冷めたものに変わった。

「仕方ないです。」

 はっと視線を向けると、手には、腰に下げていた(大道具用に使っていたらしいナイフ)が、握られていた。
「顔に傷あったら、出られませんよね。」
 頬に押し当てられた冷たい感触に知らずに身体が震える。
「痕はなるたけ残らないようにしますから、じっとしてて下さいね。」
 ぞっとする声と共に、弾力を帯びた皮膚に刃先がめり込むのがわかった。


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