姫だき


「当分こちらで暮らしますのでお願いします。一応この事は、クライアント以外の方には秘事ですからね。」
「いや、そのお前…幾らなんでも、こりゃないんじゃねえか?」
「そうですか?」

 高級ホテルのロイヤル・ルーム。扉の前で、流石のピオニーも絶句する。
エレベーターが制限なく上がるものだから、変だ変だとは思っていたのだが、よもやこんな場所に来る羽目になるとは思わなかった。

 ここって、超有名なスイートじゃなかったか?

「仕方ないんですよ、急遽の要請だったので、ホテル側も此処しか用意出来ないとの事でしたので、暫くは我慢して頂くしかありません。」

 こんな高級ホテルに飛び込みでVIPルームをとれるのは、この男がよほどの上客なのだろう。それもまた、凄い話だ。だか、今自分が心配しているのは、そんなことではない。言うなれば、かなりみみっちい話しであって…。
「いや、あのさ。我慢とかじゃなくて。」
「セキュリティや出入りする人間のチェックでは、此処がベストなんですよ。」
「そういう事でもなくて、一体幾ら払えばいいんだよ、俺は。」
 駅前のカプセルホテルは3,980円だぞと呻くと、ジェイドがにこりと笑った。
「それは、貴方が心配する事ではありませんよ。必要経費として、きっちり清算させて頂きますので、問題ありません。」
「…爺さんも気の毒に…。」
 はぁとついた溜息と共に掌で蝶番を押すと、扉は軽く開き中へと客を招き入れた。

「あ? 鍵…。」
「最上階のフロア全面が部屋になっているので、エレベーターでのチェックのみですよ。入る時に、警備員がいたでしょう?」
 一般の客とはエレベーターも別なんですよ。と告げられ、恐れ入る。
 目にした部屋も恐ろしい程広い。部屋の角。申し訳程度に置かれている自分の手荷物を眺めるに、場違いなのは否めない。(ゴミの山に見えた事はジェイドには内緒だ)
「ぼおっと突っ立てないで、早くシャワーでも浴びて下さい。」
「お、なんだ? 期待されているんなら、俺も頑張るぞ。なんたってスイートルームだからな。」
「あなたの恋人は右手でしょ?」
 サラリと流され、ピオニーは軽くジェイドを睨んだ。
「俺が振られた事まで調査済みかよ。」
「そうですよ。遺恨も充分動機になります。…ですが、安心して下さい。彼女はこの事件とは無関係です。配偶者の方と幸せに暮らしていらしゃいます。」
 途端、ピオニーの目は真ん丸になり、笑った。
「…ありがと。」
「どういたしまして。私は纏めたい報告書がありますので、自由にして下さって結構ですよ。但し、部屋からは出ないように。それと有料サイトをご覧になりたいのでしたら、経費として計上しますので御了承お願いします。」
「…誰が見るか、あほ。」
 ピオニーは鞄の中から下着だけを取りだして、キョロキョロと物珍しそうにあちこち見回しながら、ジェイドの視界から消えた。
それを見送って、ジェイドは再びパソコンに向かい、キーボードに続きを叩き始める。画面の斜め横には、ピオニーの部屋が写し出されていた。今のところ異常は無い。
 警察に突き出した侵入者は悪戯目的だったと供述し、器物破損については知らないと言ったらしい。しかし、昨日の空き巣に続いてこれでは、関連性を疑わない方はどうかしている。

 ピオニーの部屋へ何かを探しに来た。しかし、見つからない。自分なら、どうする?
    
 かなりの時間、キーボードに向かっていたジェイドはふと、彼が戻ってこない事に気付いた。何処かで就寝したのかと考えて否定する。
「変ですねぇ。」
 毛布を抱き込むように眠っていた様子から推察すると、彼はかなりの寂しがり屋のはずだ、こちらへ顔を出さないはずはない。ジェイドは鞄の中にパソコンを仕舞うと、ピオニーの姿を探した。


「………何やってるんですか。」
 端が充血した蒼い瞳は、潤みを帯びてジェイドを見つめた。
「いや、風呂がいっぱいあるんで、色々試したとこまでは覚えてる…。」
 ジェイドは呆れ返った表情で、壁にかけてあるタオルを水道で濡らし額に落とした。風呂場の床にマグロのように転がってい男は、それを手でぎゅっと押さえ込む。
「あ〜生き返る。」
「バスだけでも5個はありますよ? 子供ですか、貴方は。」
「つい、好奇心に負けた。」
 どうも、最後のジャグジーがとか、サウナの温度が高いんだよと呻く男を見下ろして、ジェイドの口からは溜息しか出ない。
「動けますか?」
「…う、無理。頭がくらくらする。」
 完全な湯あたりの状態。
「仕方ありませんねぇ。」
 背中と膝裏に回された手に、ピオニーがギョッと目を剥いたのと、ジェイドが彼を抱き上げたのは同時。ピオニーの口から悲鳴に近い声が上がる。
「歩ける!歩ける!歩けるから降ろしてくれ〜〜!!!」
「嘘をつきなさい、自業自得です。」
「勘弁してくれ!!!!」
 スイートルームで男に姫抱きされて、ベッドに降ろされる。最悪の状況に治まったはずの眩暈が再びピオニーを襲った。


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