容赦なし


 何処にでもあるコピー用紙。丁寧に4つに折られ、業務用の茶封筒の中に収まっていた。差出人も宛先も書かれていない。
 ジェイドは、向かいのソファーに座っているアスランにちらと視線を送った。両手を顔面で組み、自分を凝視していたアスランが頷くのを確認して、紙をひろげる。

『公演を中止しろ。でなければ、お前の命は保障しない。』

 ありきたりと言えば、ありきたりの脅し文句。
 プリンターで打ち出された文字は、質素で味気ない。これだけで、恐怖心が湧くかと問われれば否。全く気にもしていないクライアントの態度が普通であると、ジェイドは良く知っていた。
「宛先も宛名もありませんね。どうして、これが彼に宛てたものだとわかったのです?」
「…俺の楽屋に置いてあったからだ。」
 自分の隣に座っていたピオニーが、そう告げる。無理矢理連れ戻された挙げ句に、座る場所まで指定されたピオニーの機嫌は最悪。両手を背もたれに乗せた尊大な態度で、自分の横の男を睨み付けていた。
 アスランが慌てて補足の言葉を続ける。
「ファンレター等は、私が開けて仕分けをしてから手渡すようにしていますが、これはピオニーの鞄の中に入っていたそうなんです。基本的にスタッフの入室にも制限がありますし、関係者以外の人間が入り込む事は不可能なはずなんですが…。」
 封筒を元に戻しながら、ジェイドは笑みを浮かべる。
「しかし、事実こうして、彼の手元に渡っています。差し入れの物品が爆発物だったとも聞いていますが、それも楽屋で?」
「はい…。」
 不甲斐ないと言わんばかりに頭を垂れるアスランに、ジェイドは『お気になさらず』と涼しい笑みと言葉を添えた。
「今後、このような事がないよう私が雇われたのですから。」
「すげぇ自信だな。」
 ふんと鼻を鳴らし、ピオニーは眉を上げた。にこりと崩さぬ笑顔でジェイドが対する。
「自信ではありません。事実を申し上げているだけです。」
「いちいち、嫌味ったらしいんだよ。その胡散臭い笑顔はやめろ。」
 オロオロと二人の間で視線を揺らしていたアスランは、あと胸元に手をやる。取り出した携帯を耳にあてて話し出した。誰もいないのに頭を下げる様子が、如何にも生真面目だ。

「はい、私で。はい、今いらして…はい、社長のご推薦通り、有能な…ええ…。」
「マクガヴァンの爺さんも、随分と心配性だな。」
 ピオニーの言葉に、携帯の受話器に手を置きアスランが困ったように笑う。
「いえ、若社長の方です。」
 はあと溜息をついたピオニーは、ふいに腕を掴まれ顔を上げた。いつの間にか、ジェイドは立ち上がっている。
「行きましょう。家で仮眠をとる時間のはずです。」
「え?あ、ま、待ってくだ…。送っていきますから…!」
 電話の応対を中断し、時計を見たアスランが慌てた様子で声をかけたが、ジェイドは笑って静止をかける。
「ここからは私の仕事ですので、さ、動いて下さい。」
「な、んでお前が、そんなこと…。」
 不承不承立ち上がると、そのまま部屋を出るよう即された。
「クライアントのスケジュール・行動範囲は把握済みです。今出ないと、普段使っている車輌に乗り込めませんよ。」
「余計なお世話だ、俺はお前なんか…」
 振り解こうとした腕は、考える以上に強い力で拘束された。驚きに目を見開くピオニーの顔を覗き込み、ジェイドはにっこりと嗤う。
「仕事ですから我が侭は言わないで下さいね。あ、そうそう暫くの間は貴方と衣食住を共にしますので、あしからず。警備体制については、追々説明するという事で。考慮はしますが、基本的にこちらの支持に従って頂きます。」
「ふざけ…。」
「今回の事は貴方のクライアントである社長の命のはず。私も貴方を守る最善の方法をとりますし、それには従って頂きます。
 けれど、それ以外の理由で私を拒絶するのなら貴方の嗜好に従って改めますよ。ええと、胡散臭い笑顔をやめるんでしたね。」
 す、と笑みを引っ込めた相手に、ピオニーは驚く。
「これでよろしいですか?」
 眼鏡を指で押し上げる仕草はただの優男にしか見えないが、口先だけではない確かな実力が、その男にはあるのだと感じさせた。
「…くだらない自尊心は持ってないってことか?」
 ふうん。小さくピオニーは呟き、ジェイドは口元だけを緩めた微かな笑みでそれを返した。


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