蝋燭の示す秘め事


 城の地下は差詰め迷路のようだ。
入り組んだ石畳の廊下が、様々な扉で繋がれている。マルクトがもっと強大な国であった頃から、代々の皇帝によって少しずつ足されていったらしいが、こうなってくると、全ての道を把握しているものがいるかすら、怪しい。
 ピオニーは、蝋燭の明かりを手にその道を下へ下へと進んでいた。
音素を使用した灯りをつけることも可能だったけれど、たったひとりでの道行きを、誰かに知られるのを良しとは思わなかったのだ。部下達は諫めるだろうし、命を狙う暗殺者達は喜んで後をつけるはずだ。どちらも御免被りたい。

ぽつん…。

 と水滴が首筋にかかり、ビクンと震える。掌を回せば、その上にまた雫がかかり、背中へと流れ込む。

「ま、水の都だしなぁ…。」

 大きく息を吐き、手にした蝋燭が消えないように片手で覆って先を目指した。地下の一番に深い部分に、太古の資料庫があったと文献に載っているのを見つけたのは昨日。
 手短な資料を幾ら漁っても(ジェイド)の事は、お伽噺の(悪の譜術師)としてしか載っていなかった。
 彼は確かに存在する。
 お伽噺でも、まして幻でもありはしなかった。
 幾度となく城を訪れ、自分を組み敷いていくジェイドをピオニーはどうしても憎むべき対象として位置づける事が出来なかったのだ。
 狂気に彩られているかに見える紅眼は、虚無をうつしながら何処か寂しげではあったし、がむしゃらに殺戮を求めるには彼は聡明すぎた。
 彼を受け入れている間は、ジェイドをわかった気にもなれたが、いなくなってしまうと何も知らない自分が残る。
 彼の事実と真実が知りたかった。知って、今の彼と自分の関係が変わる訳ではないのだろう。
 ジェイドはいつでもこの国を、自分を壊す事の出来る力を持ち、実行出来る存在。
ならば、真実を知ってどうなる。幾度となく及んだ思考も、知りたいという欲求には勝てなかった。
 だから、こうして自分は深夜地下道を徘徊しているのだ。


◆ ◆ ◆


 どうにかこうにか、それらしい扉を見つける。
天井から否応無しにボタボタ垂れる雫に浸食された扉は、触れる事すら躊躇わせるような有様で、流石のピオニーも顔を歪めた。

「え〜開けるの〜?」

 自分ひとりしかいない状態で、他に誰が開けるはずがないのだが、つい呟いてしまう。嫌なら放置して自室に戻ればいいだけの話だが、仕方ないかと溜息を吐く。
 重厚な飾りが施されていただろう緑色の固まりを指先で触れると、ヌルリとした感触が背筋をぞぞぞとさせる。
 苔だか黴だか知れないものが全てを覆い尽くして変色していた。
「やっぱ、嫌だな…。」
 これを両手で持って、思いきりよく引かなければならないと思うと、どうにも行動を起こす気になれない。ならばと、左手に持った蝋燭を右手に持ち替えて同じようにつついてみたが、利き手ではなくとも滑って気持ち悪い事にかわりない。
 当たり前と言えば当たり前の事だが、わざわざ試してみるところがピオニーの性格で、皇帝らしくないと称される部分でもあった。
 ともかく納得はいったのか、眉間に皺を寄せる。
「キモッ…。」
 はぁあ〜と息を吐いてから、渋々上着を脱ぐ。ヨッコイショと掛け声をかけながら蝋燭を床へ下ろして、右手にぐるぐると服を巻き付けた。そしてもう一度蝋燭を持ち直し、扉へ向かった。
 その状態で掴めば気分的にもマシで、今度は扉を開けるべく本気で力を込める。創られた当初は、何かの彫刻が施されていただろう蝶番をぐっと押し込めば、僅かに室内へと位置を動かす。
 けれども、渾身の力を込めたとて扉は容易に開くことを許さなかった。
 額に汗をして、蝋燭も床に置きっぱなしにし、気色の悪さも忘れて扉に取り付いていたが、開いたのは僅かに小指の先程度か。
「てめ…やる気だな、この野郎…。」
 ゼイハアと荒い息を吐く皇帝が扉に喧嘩を売っていれば、地下の淀んだ空気がふいに揺れた。
 ハッと視線を背後に向けたピオニーは近付く足音に顔を歪める。呼び掛けがない事に加えて、足音は軍人のそれではない。こんな場所まで追い掛けてくる酔狂な側近などいはしないから、此処へ向かっているのは有り難くない奴等だろう。
 どうするべきかと思案して、取り敢えず蝋燭の火を吹き消した。 
漆黒の闇に足音が高く響く。
 回廊の先。角から灯りがチラチラと見え隠れする。
ピオニーは懐に隠した短刀を手にして息を潜めた。考え無しに近付いて来てくれれば、灯りを消してしまえば先に暗闇に慣れた自分にも反撃の余地があるかもしれないと期待した。
 けれど、先の灯りは姿が見えるか見えないかの位置でピタリと止まった。
その行動で、ピオニーは慌てて踵を返して反対方向へ走り出す。それを追うように衝撃波が周囲に放たれた。

 …譜術師がいやがったか…!

 失策を反省する間もなく、身体は吹き飛ばされて壁に激突する。気付けばさっきまで、どうやっても動かなかった扉が開き、瓦礫に仰向けでのっかった状態でピオニーは室内を眺めていた。

 あ〜〜。

 あれだけ外が苔むしていたのだ。中に納められた書物も何だか訳のわからない固まりになっていた。
 アイツの事を知る唯一の手掛かりだったのになぁ〜。熱を帯びない緋石が浮かぶ。
「…ガッカリだな…。」
 両腕で支えながら痛む身体で起きあがろうとするが、続けざまに放たれた衝撃波はピオニーの身体を部屋の奥へと吹き飛ばした。

 ゴロンゴロンと床に転がり、意識こそ吹っ飛ばなかったものの小指の先でさえ、動かせない。こうなって気付いたが、部屋の床には水が流れ、浅い川のようになっていた。横になって浸かっている顔の皮膚には水苔の感触すらした。
 とんでもないわ。と思っても、身体が動かない。それは濛々とした埃の中から粗野な姿をしたふたりの男が姿を現しても、変わらなかった。
 バシャバシャと水飛沫を飛ばしてふたりの男が近付いてくる。呻るような声でずっと不満を言い立てていた。

「うわ…汚ねぇ。コイツなんでこんなとこ。」
「いいじゃねぇか、楽に仕留められるんだからよ。オイオイ粉々にはするなよ、皇帝を殺ったって証拠がないとアイツ等金を払わないからな。」
「じゃあ、首でも切り落として持って帰ればいいって事か?」

 下卑た笑いと共に、頭が宙に浮かんだ。ズキズキと全身が痛むから、何をどうされているのか分からない。髪を持ち上げられていたのだと知れたのは、もう一度地面に堕ちた時に、頭皮が痛んだせいだった。
 カツンと髪飾りが叩き付けられる音がした。
 何かが視界の端で振り下ろされ、床に突き刺さったけれど思考と視界が接触不良を起こした譜業みたいに繋がらなかった。
「早く刎ねちまえよ。」
 うっすらとした視界に、鈍く光るものがあった。

…これで、死ぬか…。

 そう感じて、浮かぶ顔立ちに苦笑する。まあ、あれだけ綺麗な死霊なら一緒に逝くのもいいかと思う自分にも呆れた。
 呟きが声になったかどうか知れなかったけれど、有り得ない衝撃が周囲に起こる。
ドンドンと何度か大きく鳴った後に、床も壁も震えるほどの揺れが続いた。
 バサバサッと音が降り注ぐ。天井が降って来ているのだと思った途端に、それは見慣れた腕に弾き飛ばされた。
 言うことを訊かない身体を必死に捻れば、赤が見えた。

「ジェイ、ド…?」

 それは紛れもなく、ジェイドのマントの色だった。


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