蝋燭の示す秘め事


 唇の上に湿った感触。
そのまま入り込んでくる生温かで、ヌルリとしたものが頬の内側を擦り上げていくのがわかる。
 呆けた口の中に、マイマイ目の有肺類でも入り込んだのか…?
歯を閉じて噛みきったら、どれほど嫌な感じがするのだろうかとも思ったけれど、ままでいるのもどうかと思い、恐る恐る歯茎に力を込めた。意外と固めなんだなと思った瞬間に、喉の奥にぐいと押し込められたものがあった。
 喉頭が塞がれて息が出来ずに、咳き込むと同時に身体が前方に跳ね上がる。そのまま、前のめりになり両手を前についたまま、激しく咳き込んだ。

「一体、何…げほっ、げっ…。」

 えほえほと、肩を揺するピオニーの姿を見下ろして、ジェイドは唇を手の甲で拭う。
「自業自得です。」
「なに、げ、げはっ。」
 えづくように咳を繰り返せば、涙が溢れる。舌が攣ってきたように付け根がびりびりとする。そうして、ポトンと地面に落ちるものがあった。
「な、んだ、アップル、グミ…?」
「私は第七音素は使えませんから、親切に回復アイテムを差し上げたというのに…まったく。」
 両眼を閉じ、そのまま指先でつんと瞼を突っつく。
「馬鹿いえ、気絶してる人間の喉に固形物を突っ込む奴がいるか…!」

 殺す気か…!

 と叫びかけて、ピオニーはハタと思う。身体が動く。寧ろピンピンしている。
「…俺を助けてくれたのか?」
 質問に答える事なく、不機嫌な表情のままジェイドは眼鏡を押し上げる。何事もないよう振る舞う悪の譜術師にピオニーは吹き出しそうになった。

 俺を殺すのなんか訳ないと、常に言っているくせに。

 嗤いをかみ殺すピオニーの様子が面白くなかったのだろう、ジェイドは座り込んでいたピオニーの胸元を掴み上げた。脅しのつもりか、近付いた顔は本当に不機嫌そうだ。
 それでも、常にされる仕草よりも込める力が少なく感じた。ピオニーは思う。
この男は本当は優しい人間なのではないか、と。

「こんな場所にどんなご用件がありましたか?」
「いや、なに、お前の事をもっと知りたくてな。でも、収穫はゼロだった。」
 肩を竦めてみせてから、見回した壁に、人間の形をした血糊があった。
何なのか悟るのは、訳も無い。自分を殺そうとした奴等の成れの果てだと知り、大きく息を吐く。
 遺体すら残さない、その譜力は圧倒的だ。
 なのに、殺すと宣言した自分をこうして救ってもくれる。

 ジェイド、お前は何を考えている?
 
 言葉を紡ごうとした唇が完全に開く前に、顎を掴まれ持ち上げられた。まま、重なってくる唇から口腔に入り込んでくる舌が、ゆっくりと中を蹂躙する。
「…ん、っ…。」
 鼻から抜ける声が妙に緩い気がして、ピオニーはそんな事に気恥ずかしくなった。相手の舌に夢中になってしまう自分など、まるで小娘が口付けをされてるようじゃないか。
 端から零れる涎を啜っても、首から鎖骨へと流れ落ちるくすぐったい感覚があった。いい加減放せと言うつもりで指先に力をこめれば、完全に顎を押さえられて、深さが増す。
 言葉の全てを奪われて、身体を重ねてそうしてどれ程の時間が経ったのか、ピオニーには検討もつかなかった。気がつけば、蝋燭に照らし出されるジェイドの顔をぼにゃりと見つめていた。
 微笑む様な、それでいて泣いているような。蝋燭に描きだされる表情はそれでも酷く柔らかい。

「…ジェイ…ド…?「貴方を殺すのは私です。他の誰にも許しはしません。」」

 ぽかんと口が開き、ピオニーは心底呆れた声が出た。

「…あのなぁ…。」
 呟いて、ボリボリと頭を掻く。
「その台詞、俺には、愛の告白に聞こえるぞ。」
「お目出度い方ですね。」
 一瞬見開かれた緋石は、すぐに細められる。クスリと尖鋭な美貌が嗤った。
 ああ、本当にキレイな奴だと、嘘偽りのない想い湧いた。
「…うん、まぁそれも、よく言われる。」
 そのままジェイドの肩をひっつかみ、唇をかすめ取った。無表情な美貌が蝋燭に揺らいだ。
 こんな場所まで来た甲斐があったとピオニーは思う。悪の譜術師が、これだけ多彩な表情を見せてくれるのだ。
 蝋燭だけが照らし、少しだけ、彼の事を知った気がした。


〜Fin



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