悪の譜術師×陛下


 気まぐれに訪れた皇帝の私室。
 衛兵など、ジェイドの前では何の意味も持たない。まるで、自分の家に入るようにその場所へと足を踏み入れた。
 薄汚れた部屋は気に入らないが、此処に住まう皇帝はなかなか気に入っている。反応が面白いし、何より組み敷いた時の悔しそうな表情を見るのが楽しい。
 あの貌を見ていると、もっと酷くしてやりたいとそう思うのだ。
「今日は、何をしてさしあげましょうかねぇ。」
 くくっと嗤い、開いた扉の向こう、窓辺にもたれる皇帝を見つけた。ぼんやりと、焦点の定まらない瞳を外に向け、微かに唇を動かす。
 
 アスラン、アスラン…。繰り返す唇は、たった四文字の言葉を紡ぐ。

「誰の名ですか?」

 ジェイドの声に、ピオニーは飛び上がるのではないかという程に身体を跳ねさせた。水色の瞳が驚愕に見開かれている。
「ジェイドッ…。」
 悪戯を見咎められた子供にも似た焦りを見せながら、出窓から降りようとした身体を逆に押し付けて、逃げられないように抑え耳元に唇を寄せる。
 腕に本気で力が籠もるだなどと、私らしくもない。殺してしまっては、本も子もないではないか。命はどんな譜術でも再生することなど敵わない。
「…貴方の恋人ですか? 随分と可愛らしいですねぇ。」
 抵抗するように捩る身体が煩わしいが、耳に落とした吐息に反応してびくりと震えるさまは心地良い。今の状況から逃れるために、相手は反論を口にした。
「違う、アスランは俺の部下だっ…。」
 苦痛に歪める顔を憎らしいと思う。肩口に引っ張られた衣服は、喉を締め息をするのもままならないらしく、続く言葉は途切れ途切れで掠れていた。
「それも、半月前に戦役で死んでる…。もう、いない。」
 いないと語意を強め、後はただ呟く。
「俺の立場じゃあ、死に悲しんで涙することなど許されなくて…だから…。」
 言いたい事など、わかっている。アスランという名前の少将に、ピオニーが他の部下とは違う感情を抱いていた事など知っていた。だから…。
 
「その男は死んでなどいませんよ。」
「え…。」
 虚を突かれた顔で、ピオニーはジェイドを見つめた。
手を緩めて自由にしてやっても、惚けた顔は変わらない。ジェイドは己の顔が綻んでいくのを止められなかった。間抜けな皇帝の顔がたまらなく面白い。
 こんな状況を待っていたのだ。
手に入れた情報を最大限に使う事が出来るこんな場面を。
「彼は敵国の将校と恋仲になり、其処に留まっています。つまり、貴方は裏切られた訳ですね。」
 ジェイドの言葉が終わるか、終わらないかの間に蒼穹から一筋の涙が流れる。くと笑みを浮かべ、ジェイドは続けた。
「驚きましたか? それとも悔しいですか?」
「…驚きはしたが、そうか、生きていてくれたのか…。」

良かった。

 うっすらと笑みを浮かべて呟かれ、ジェイドは言葉を失った。あ、と声を上げてジェイドを見る。
「それで、あいつは幸せに暮らしているのか?」
 続けられた質問には反応が返せない。その様に、ピオニーは眉を顰める。
「お前の事だから、知っているんだろう?辛い目にあっているのか?」
「いえ、きっと幸せでしょう。」
 矢継ぎ早に続けられる質問にやっと口が開く。
 此処で、不幸だと告げれば、目の前の男は悲しそうな表情に変わるのは明らかだったが、何故か辛辣な言葉が唇を通らなかった。だた、沈黙を守る。
「ありがとう、ジェイド。」
 発せられた言葉も完全に予想外で、笑顔にただ驚く。笑うなど考えもつかない、どれだけ悲観にくれるかとそう思っていたジェイドの予測は完全に覆された。
 手の甲で涙を拭う。
「全く…。お前はいつも急に来るから、何にも用意してないぞ。まさか、また衛兵に怪我をさせたんじゃないだろうな? お前には逆らうなとは命じてあるんだが。」
 眠らせてあるだけです。と返事をされて軽やかに窓辺から滑りおり、ピオニーは壁面にある棚に向かった。
 暫く思案したのちに、瓶をひとつとグラスを二つ持って出窓に置く。
 一息に飲み干すピオニーは、手をつけようとしないジェイドを見て笑った。
「酔わせて『悪名高い譜術師』殿を捕縛しようとか思ってねえぞ。ほれ先に飲んでみせただろ?」
「…そうですね。」
 手酌をし、グラスを傾けようとしたピオニーの顎を捕らえると、ジェイドは唇を重ねた。お互いの顎を伝う液体は赤く血を思わせ、共に何らかの儀式を行っているようにも見える。

「確かに何も入ってはいないようですね。」
「たりまえだろう…。けど、お前…。」
 あの状態で吹き出したらどうするつもりだったんだ。肩で息をしながら睨み付ける相手に、ジェイドは殺すに決まってるじゃないですかと笑顔で返した。






 しまった。鬼畜さんが優しい。甘い。
嫌がるところを無理矢理感が激減しております。おかしい。
あ、きっと最初は嫌だったんだけど絆されたんだよ陛下は。うん、そうそう。(これこそ無理矢理だ・汗)


〜fin



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