aftershock 「そろそろ用意が出来た頃ね。行きましょう。」 そう即すと女は持参していた薄茶の纏をピオニーに渡した。余り綺麗とは言いかねるそれを被りピオニーはベッドから腰を上げた。 側に並んだ女は、顔を半分以上隠していた纏の先を指先で捲くる。綺麗な蒼い瞳が彼女を見返すと、艶のある唇がほうと溜息をつく。 「隠してしまうのは、勿体ないわね。」 「何だ?俺を口説いてるのか?」 クスリと笑う皇帝に、女は妖艶な笑みを返した。 「正直な気持ちを言ったまでよ。隠さなきゃいけないなんて、勿体ないわ。」 「それこそ、仕方ないだろう。それとも俺が顔を晒して堂々と連れて歩けるのか?」 悪戯めいた笑みに口元を上げて、女は踵を返した。 「それは無理ね。いい男はそれでなくても目を惹くから…こっちよ。」 ピオニーは頷くと、女の後をついて狭い部屋を出ていった。 入り組んだ通路を、迷う事なく歩く女を追う。 早足な訳では無かったが、とにかく物珍しくて仕方ないピオニーは、何か興味を惹かれるものがあれば直ぐに立ち止まってしまい、女との距離が離れる。 そうして、暫くすれば歩き出すという行動を繰り返していた。 本来ならば、苛立ちのひとつでも見せるだろう女の表情は、呆れがまじっているが特に不機嫌なものではない。それでも、余りに度々なのには軽く溜息を吐いた。 「もっと、ゆっくりが良いかしら?」 艶やかな唇がそう告げると、ピオニーは今まで見ていた壁の模様から視線を逸らす。名残惜しそうに指先でなぞる模様は、何処か彼の愛玩動物に似ていた。 「そんな事、ないぞ。」 「どうかしら。」 クスクスと笑い、女は脚を止める。 「いや、この模様が興味深かっただけだ、うん。 それにしても、話に聞いた以上に入り組んでいるものだな、面白い。」 「陛下に喜んで頂いて、きっとこの通路も喜んでいるわね。」 「ああ、何処でも軟禁生活というものは退屈なもんだ。こうして、抜け穴を通って遊ぶのが一番だな。」 悪かったと、背後に立つ男達に言葉を発し、今度は脇見をすることなく歩き始める。 「無理はしないで。貴方の身体には充分すぎるほど価値があるから。」 女の台詞に、ピオニーは目を丸くしてから微笑んだ。 「美人に言われるのは、光栄だ。そこに、どんな意味があったとしても、な。」 「あら、そんなことは…?」 通路が二股に別れている場所に視線を向けた女が、そこに落ちている物に目を止めた。 「子供のおもちゃかしら…それにしてはよく出来ているかも。」 「どれどれ。」 覗き込んだピオニーの目が一瞬点になった。思わず腕を伸ばして、持っていた女の手から持ち上げる。 「汚いわ、処分させるわよ?」 「いや、なんか、これに郷愁に似た想いを感じるぞ。」 顎に指を当てて、感慨深げに首を傾ける。しかし、口角は上がり笑みの表情を浮かべていた。 「皇帝陛下ってホント、変わった生き物なのねぇ。」 薄汚れたものを懐に仕舞ったピオニーに、女はやはり溜息をついた。 ダアト港。ジェイドはアニスやディストと別れそこにいた。 軍服に着替え、マルクト軍属ジェイド・カーティス大佐として、正式に教団を訪れる為の迎えを待っていた。柵に背を凭れながら、行き交う人々に時折視線を走らせる。 その緋色の瞳が、意識せず金髪と蒼い瞳を追っているのに気付いた人間はいたのだろうか?。ジェイドも自分の行為に唐突に気付き、相手がどれだけ間抜けであろうと、そのまま定期船に乗り込む奴もいないでしょうにと自嘲してみても止まらなかった。無意識に、自分がそれを求めていることを自覚させられる。 参りましたね…。 呟いて、ポケットに手を入れると指先が固いものに触れ、皇帝の髪飾りを入れたままにしていたのだと思い出す。手にとって眺めたい気分にはなったが、今この港についた自分がこんなものを所持しているのを、誰かに見咎められるのも不備な気がして思い留まった。 掌で弄うと、書状を受け取った時と同じ様な不快な気分が込み上げてきた。 これ以上待たされれば、本格的に不愉快になる寸で(最も既に不機嫌だったのだが)ジェイドは見知った人物を人混みに見つけて、眉を潜めた。 相手もジェイドの姿を認めて、近付いてくる。妖艶に笑う美女は、漆黒の翼−ノワール−の姿だった。 「あら、眼鏡の旦那。可愛い坊やはいないの?」 彼女の言うのがガイであることを知っているジェイドは、いませんよ。とそっけなく答えた。関わり合いになって徳になるような人物でも無い。 「貴方こそ、こんなところで何をしているんですか?」 「やぼ用よ。気になる?」 「到底ろくな事ではないでしょうからね。気になりますよ。」 ノワールはジェイドを見つめてにんまりと笑う。しかし、質問に答える気は、さらさらなさそうだ。自分と頭脳勝負を挑む程に彼女は馬鹿ではないし、自分がこの地にいるとなれば、義賊行為の触手も鈍るかもしれませんね。とジェイドもそれ以上問い詰めない。 「あら?」 そして、こちらに近付いて来る騎士団の姿を見るとそそくさとジェイドの側を離れていく。 やはり、良からぬ事をしていらっしゃるようですね。 盗賊が増えたと言うアニスの言葉を思い出し、やはり通報するべきでしょうかと浮かんだがすぐに否定した。そんなものに係わっている場合では無い。 眼鏡を指で押し上げてやれやれと首をふったジェイドは、騎士団の方に歩き出そうとして、彼女の側にヨークが歩み寄るのを視界に収めた。 彼女に耳打ちをして何事か告げてから、その後ろを歩きだした彼は軽くびっこを引いている。怪我…ですか?。何をしていらっしゃるやら…。 ジェイドは小さく感想を呟くと彼等が人混みに紛れて消えていくのを見届けて歩き出した。 「ジェ…。」 思わず立ち上がりかけた男をウルシーが手で諫めた。首を横に振られ、渋々といった様子で馬車の席に戻る。 「見るぐらいなら良いだろ?」 拗ねた口調で問うと、仕方ないと言った表情で首を縦に振る。 馬車の窓を覆っている布を横に避けて見ると、ノワール達がこちらへ向かって来るのと、ジェイドが騎士団と話をしているのが見えた。 いつもの薄ら笑いを浮かべてはいたが、ほんの少し疲れが見えてピオニーは表情を固くした。一瞬だけこちらを向いた視線に、布を握りしめる。 遮るように、ノワールが視界を遮った。 「駄目よ、皇帝陛下。」 馬車に乗り込みながら、布で窓を覆う。 「眼鏡の旦那のところへは行けないわよ?」 「…逃げたりはしない。」 そう言ったものの、わかったと両手を上げて見せた。その後ろからヨークが乗り込んでくる。 「上の連中とご対面か?」 しかし、ノワールはそれには答えず御者に行き先を告げた。 content/ next |